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息子の性の興味と母性
10歳の息子のことで本当に悩んでいます。 母である私の身体を触りたがったり、性器を押し付けてきたりします。 甘えではありません。性的にです。 成長過程で母性が足りないと、身近な女性の身体を触ったり、将来は性的に逸脱したり、性犯罪に結びついたりしやすいと聞きましたが、その兆候でしょうか。 私はもともと母性が足りない人間ですが、子供のことを愛していないのとは違います。父親のようになってしまうというか・・・ 変かもしれませんが、母性が足りないのに、やってることは過保護かもしれません。そういう無理して頑張ってきた歪みみたいなものが出始めたのかもしれません。 皆さん、どうか良いアドバイスをお願いします。
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性に目覚めるのが10歳というのは、特段早いわけではありません。 エディプスコンプレックスというのはご存知でしょうか?簡単に言うと、母親を得るために父親を排除したいと願う潜在意識、のような感じになるのですが、こちらは個人でも調べてみてください。 ”母性が足りない、過保護”とのことでしたので、母性が足りないとと母親は子どもにとって母が抜けて女性となってしまう、と言っても潜在的な意識で、となってくるという傾向はあると思います。そこで、エディプスコンプレックスが働けば、母親を性的な対象として意識する面は強くなると思います。古典でも源氏物語のような物があるので、そういった現象事態は昔からどこかしらにあったのかもしれません。 僕自身、直接的に母を性の対象としては見ませんでしたが、母というイメージに性をぶつつけるというイメージを抱くことは少年期から多くありました。誰しもに存在する潜在意識であると解しています。アダルトものではそういったものも多いですよ。息子が特別と苦しむことはないと思います。 問題は現実の母親に性的な行動化が見られていることでしょう。僕は専門家でもないので、確としたことは言えませんが、エディプスコンプレックスを押さえ込むのには父親が、父親としての権威(パワー、威圧力、壁としての存在性)を示し、母親が夫に愛情を示すことで、ある程度の抑制は期待できると思います。子どもと親とのパワーバランスが微妙に崩れているとも言えると思います。 性犯罪は性倒錯や、精神と性のバランスを崩した人や(性倒錯と同義か)、性的興奮が微妙に崩れてしまった人、あるいは、いじめの復讐として深層意識で処理されたりして顕在化したりします。慌てることなくきちんと対応すれば、そういった恐れはないと思います。 人間の性意識(性本能)は非常に巧妙に複雑にできていると思います。ゆえに、微妙なボタンの掛け違いのようなことで、ちょっとした混乱は起きるものと思います。種の保存のための本能は常人には理解しがたい物があるわけです。 慌てることなく、しっかり対処すれば大きな問題とはならないでしょう。他にも色々調べてみることはお勧めします、が深入りも常人には耐えられない領域かもしれませんのでお気をつけください。では。
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kumosuke32です。 お気遣いいただいて本当にこちらもありがたく思っています。見当違いな話ということではないのでお気になさらないで下さい。 こういう場の性質上、全てをつまびらかにするのは不可能に近いので、大まかにもご理解いただくのは、やはり難しいと言わざる得ないという感じに辿り着いてしまう、というような事です。そこもおわかりいただけているように思います。 育児においては周囲の多くの方がデリケートになっているのを感じています。僕は、どちらかというと他の方より精神的なものに深く踏み込んでいる面があるので、精神的に楽になるのにアドバイスが出来ればな、ぐらいの気持ちで書いています。参考になったようなのでホッとしています。大きく外れることはそうないですが、完璧に全てを見渡せるようなことは人にはないので。 お子さんの成長、楽しみですね。
お礼
kumosuke32さんのアドバイスで、気持ち的に一段落ついたので、締め切ります。 本当にありがとうございました!
kumosuke32です。 すいません、僕の話をするのはちょっと場違いでしたね。書いてしばらくしてから、しまったなぁと思っていたのですが、投稿は自分では消せないんですよね。すいませんでした。nokariroさんには本当に申し訳なく思っています。 ただ、まぁ、僕のように家庭的に恵まれていなくても(全部はさすがに書けないので、きちんと伝えるのは難しいですね)、道を違わないのには、何らかのヒントかそういったものにある、という話の展開をしたかったのですが、自分の例は難しいと思いました。 主題を逸らしてしまったような気がします。すいません。 そして、僕のことも気遣ってくれて本当に申し訳ありません。 話を繋げると、お子さんも、そういったものを活用していけば、人として色んな側面をおもんばかる心を持てるのではないかと思ったのですが、これでは受け取るのは難しいですね。 僕も気になる近所の子とかいて、その子にいいものを与えられたなという日もあれば、今日は駄目だったなと思う日もあります。自分には人より多くの色々な引き出しがありますが、ない引き出しもあるので、相手の求めるものが出て来ないこともよくあるのです。 そういった子の将来的な支えとなるようなもののヒントとかきっかけに繋げたいなと思うんですが、人間的な器が大きいわけでもないので、そうはいかないという感じですね。人間はそんな簡単なものではないよ、と何かに囁かれている気分になります。 ただ、性的なものというのは成長過程で様々な混乱をはらむものであるものです。その中の一つの行動だとnokariroさんのお子さんの話は、僕には受け取られるのです。 専門家と話すと、僕とは違う手法で違う見方を示すと思いますが、慎重に示されるとは思いますが、たぶん、”もうちょっと見守ってあげてください”となるのではないかな、と思います。 かなり下卑た話になりますので、心をきつくガードして、固めて聞いて欲しいのですが、例えば、性倒錯とか性的異常者というのは、そういう行為の中で絶頂までいってしまうんです。性的絶頂が、例えば、殺人をしたときにのみ起こるという人は連続殺人犯とかになります。 すいません、苦しくなるような話をして。もう終わりです。 しかし、多くの小児の性に繋がるような行動は、その前段階までにもいかないものである場合がほとんどだと僕は思っています。それゆえに、安心していいのではないでしょうか、と言っているんですね。 もちろん、確認のために、専門家の話を聞くのもいいと思います。安心のための最終ステップという感じでしょうか。そして、それを聞いた後に安心してお子さんと向かうことが出来ると思います。そして、安心して眠ってもらえると思います。 人の幸せが、僕の幸せでもあります。心休まる日が早く訪れるといいですね。僕の話にも付き合ってくれて、ありがとうございました。 では。
お礼
週末、お礼が書けなくてすみませでした。 制約のある中で、お互いの状況を正しく理解しあうのは難しいですね。 私の質問にしても、こうなるまでの伏線のようなことは書いていません。そこまで書けば、また違ったアドバイスが出てくるかもしれませんが、書けないこともありますよね。 男の子の性のことって全然わからないし、私としては旦那でも相談しにくいし、それまでの経緯というか心配事もあり、昨今のいろいろな事件を考えて、どんどん不安になってしまっていたのです。 でも、私はkumosuke32さんの助言で大体納得しています。 おっしゃるように、子供は親からだけ影響を受けるわけじゃないし、あんまり悪いほうに考えないで、いろんな症例を参考に、客観的に対処していこうと思っています。 kumosuke32さんに関しては、私も見当違いのことを書いてしまったかもしれません。もしそれで気分を害されていたら申し訳ありませんでした。 私としては、ネット上でこうして見知らぬあなたと、通りすがりにしても、お互いを気遣いあいながら、こころの触れ合いができたことは、とても素敵な経験でした。。。 kumosuke32さん、人よりも、まずご自分を幸せにしてあげてくださいね。まわりのことはその次でいいのですよ。 またいつか何かの質問でお会いできると良いですね。 本当にありがとうございました。。。
kumosuke32です。なんだか、連続で書いてしまってすいません。 例の、”天に目あり・・・・”なのですが、そういったことを本質的な意味を解して親身に伝えた人、という存在は記憶に無いんですよね。そのことで色々お応えしようと思いました。 僕は小さい頃愛情を受けたと言われるのですが、愛情に苦しんでいたとも言える感じだったわけです。初の男孫ということで大変可愛がられるまではいいのですが、姉と色々と差を付けられたので、そこが苦しくて痛ましかったんですよね。 小さい頃は、というか小さい頃だけなのですが、割と頭のいい方だったので、割となので凄いわけではないのですが、それでも、姉と差を付けられたのです。 そのうち愛情がもらえるお金でしかないような感じになってしまったのです。 だから、僕が愛情というものを自分に見出したのはごく最近のことになります。ちょっと蛇足かな。 愛情を素直に喜べない環境で、意識が芽生えた頃には、軽い対人恐怖症で、わずかな人としか関係を築けない感じになっていたので、そういう言葉を伝える人、存在と言えるような人はいなかったですね。 ただ、なんというか、”言い回し”とか、”言い伝え”とか、”天に目あり・・・”みたいなものが、結構身の回りにあったんですよね。母方の祖母がそういうものを結構好きで、母もそういうことをよく口にして遊んでいたんですよ。父もまぁ好きなのかな、そういうのが。 両親は石川県の生まれで、僕も生まれるだけは石川県で、そこにはそういうものが伝わっていたんだと思います。より多くという感じでしょうか。 伝統と言うと変な話ですが、そういうものが今より僕の周りにはあったんじゃないかと思うんですよね。伝統的日本人感とかがあったように思うし、今の人ほど日本人感覚が無いことがなかったんじゃないか、という感じはします。 ”オーラの泉”の話でも書きましたが、伝統的な価値観の良いところが割りと僕には伝わったんじゃないか、とは思うんです。 自分にも問題はありましたが、人、という面では本当に恵まれてこなくて、逆に人の醜い部分は嫌というほど見てきてしまったという感じはあります。でも、逆説的に人間の最悪なものを見ているからこそ、何気ない人の良さに心打たれたりもするんですけどもね。地獄のような日々に声をかけてくれた人たちがとてもありがたかったし。今は縁が無いけれども、そういう人たちがいたからこそ今の自分があるとは思います。些細なことだったけれども、それが凄く嬉しくて、今でも残っているんです。 でも、僕のような道を後進もたどれるものではないですよね。下手したら死んでしまう。そこをどうしたらいいんだろうと、今、7歳の姪と、0歳の甥がいるんですが、色々思うこと多いのです。近所の子達も見ていて色々思うんですよね。結構、仲がいいんですよ、彼らと。 でも、こんな僕だから人を寄せ付けない面もあるんですよね。いいことばかりではないんですよ。やっぱり、僕と同じ道を歩ませることはできないでしょう。なるべく穏便な道を皆さんには歩んで欲しいなと思うのです。ちょっと、かっこつけすぎですね。 だから、僕の場合は伝統的な言葉に、伝統的な背景にもかもしれないけど、救われたというのはあると思うんですよね。そういう意味ではアメリカ人でなくて僕は良かったのかなと思うんですけれども。 人として全部話せる人というのはごく最近できたんですよ。僕はカオティックですから、なかなか人はついていけないんですよ。 今まで書いてること振り返ると、ちょっと恐い部分はあったと思いますよ。普通に暮らしている人はそこまで踏み込まなくてもいいんじゃないかな、と思うんですけれどもね。 今の時代、難しいかもしれないけど、伝統を大事にするのって結構意味があるんじゃないかな、と最近思いますね。人の営みの下に出来た価値観なのですから。ヒントはあると思うんですよね、その中に。 伝統の変な解釈が多いので難しいとは思いますけれども。 私的な話になると、僕は、いくつか私的な方向性の上で得るものがありましたから。 親というのは大変ですよね。ご苦労は察します。でも、親でない自分には、子供で悩めるのが凄い羨ましいんですよね。子供はやっぱり可愛いし。あんな存在が自分にもいると、それは嬉しいし、励みにもなるよな、って思うんですよね。本当に家庭を持っている人を羨ましいなと思うんですよ。お子さん大事にして欲しいと思います。
お礼
私は田舎で生まれ育ったので、昔ながらの習慣や考え方の中に、人間としてとても大切なものが含まれているのは感じています。それを自分自身大切にしたいとも思っています。 それにしても、kumosuke32さんは本当に苦しんでこられたのですね。今も苦しいのかもしれません。 ですが、愛情の供与に問題があったのかもしれませんが、愛情の無い家庭ではないようにお見受けしますが、どうでしょう?文章を読んでも、とても賢くやさしい、愛情を受けた方のような気がするのですが・・・ ただ一般論として、親の接し方に問題があって、本人に愛情を受けた自覚がないということはあるかもしれません。 それと、kumosuke32さんに、何でも話せる人がいると聞いて本当に良かったとおもっています。そういう人が、一人、いればいいんです。その一人がいて、本当に良かったです。自分自身の問題でいっぱいいっぱいの、ちっぽけな器の私ですが、この気持ちは本当に真実、思ったことです。 kumosuke32さんが肩の荷をおろして、癒される日が来ることを、本当に、心から願っています。←これも社交辞令でなく、真実思っています。
kumosuke32です。体調不良のため休んでいるので、昼間ですが失礼します。 ちょっと、小話をしようと思いまして、お時間を下さい。 この間、いつも通り今話題の”オーラの泉”という番組を眺めていたのですが、この番組の私見を言わせてもらうと、心霊的な話は僕にとってはオプションのようなものでして、どちらかというと日本の伝統的価値観のいいところをもって人を諭すところがいいなと思っていて、江原氏もギタリストの村治佳織さんが来たときに、スペインの作曲家のロドリーゴと村治さんが生前お会いしたという話で非常に驚いて羨ましがっていましたからね(江原氏は声楽を本格的にやってますからね)。支社とコンタクトできる江原氏であっても、現世での出会いに重きを置くことはわかりましたし、心霊的なものはやっぱりオプションだなと、と本題はこのことでなくて、ある回で、美輪明宏氏が「今の人には”天に目あり、地に目あり、(後は忘れました)”という言葉が身についていない。知らない」のようなことを言っていて、軽くショックを受けました。 ”天に目あり、地に目あり・・・・”とは、いつでもお前の行状を皆見ているぞ、恥ずかしいことはできないぞ、ということですが、これって僕には当たり前のことであったわけです。なぜかはわからないですが。 恥ずかしい話ですが、僕の両親は決して立派な人ではありません。むしろ、世間体を繕うものの、家ではひどいものだったのです。父は仕事のイライラで家にいても腫れ物を触るような人で、働いて家にお金を入れれば後は何をしててもいいんだ、というような人です。自分の気分を少しでも解していないとひどく荒れますが、人の気分はお構いなしで、まぁ、僕が人生の危機に立とうと何ら助力になれるような人ではなかったわけです。これは母も同じでしたが、母も僕が小さい頃は常にいらいらしている人で、僕は常に怒っているので近づけない人という感じだったのですが、ある日、そのことを話したら、「私は怒っていないよ」という感じでして、まぁ、家の環境は結構つらいものであったわけです。 僕自身多くの問題を抱えていて、一歩間違えれば犯罪者かな、という感じはありました。そして、あんまり頼りにならなく、私事を仰ぐには幼すぎる親の間で育ちながら、僕が何とかやってこれたのは、 ”天に目あり、地に目あり・・・・” という感覚があって、恥ずかしいことはできないぞという思いがあって、そして、そういう怖れがあったからでもあるのです。 世間体を気にするとか、人の目を気にするとか、そういった類とはまた違ったものなのですが、この感覚お分かりいただけるでしょうか? まぁ、私的なことはともかくなのですが、現代人の老若男女にはこの意識がないという事実が、変な話ですが僕にとっては驚きでして、逆に、道を通り行く人々の行状のひどさはこれで納得がいったのです。 子供にこの精神を伝えるのは難しいとは思いますが、育児において取り入れられたらいいのではないかと思いまして、小話をしてみました。役に立つといいのですが。
お礼
kumosuke32さんのご両親とのお話、とても複雑な思いで読みました。 今私は親であり親の立場で考えますが、自分の親との確執も経験している私はkumosuke32さんの立場も多少なりとも理解できるからです。 いろいろ思うことはあるのですが、あり過ぎて、誤解無く文章にまとめることが出来そうにありません。 ただ、kumosuke32さんの"天に目あり・・・"という考え方はどうやって身についたのですか。文章からはご両親からではない印象がありますが、孤独な中にも、そういう考えを教えてくれた存在があったのではないでしょうか。 そういう存在がkumosuke32さんの身近にいたとしたら、私はとても嬉しいです。 だって、人間誰だって環境次第で犯罪者になり得ますよね。赤ちゃんのときから犯罪者、なんていないんですから。だからこそ、私も子育てを悩んでいるんですから。 kumosuke32さんの文章を読んでいると、とてもつらい思いを乗り越えてきた方なんだなと感じます。こんなに他人に親身になれる人だからこそ、つらいだけじゃない関係もあったのだと思いたいのです。 ちょっと母親目線で、感傷的になってしまったかもしれません。失礼なことを書いてしまったら申し訳ありません。 ただ、kumosuke32さんのいろんな問題が解決することを心から願っています。ありがとうございました。
kumosuke32です。ちょっと気になったもので。 過保護が虐待にカテゴライズされるというわけではないですよ。過保護について、そんなに思いつめて考えなくてもいいと思います。これは、多くの人が通る道だと思います。過保護が行き過ぎると、反転して虐待になるケースがあるというだけですよ。 今回の件で、だんなさんの影が薄いなとは思いましたが、対応が出来なかったのですね。ただ、専門家に聞くにしても、だんなさんも同席した方がいいのではないかとは思うのですよ。このことについて、今後、だんなさんは誤解と責任回避で過ごされてしまうと思うからです。共通理解をもつことは育児では重要な部分だと思うんです。 今も昔も、母親だけでは子どもの人生は背負えないわけですから、だんなさんも同じステージに上がってもらうことは重要だと思うのです。おせっかいになってしまうかもしれませんが。 性器の押し付けに関しては、どうも僕の感覚では珍しいことではないように思います。無意識レベルではかなり行われているように思います。うちの7歳になる姪も身体の触れ合う遊びの中で性器を無意識に押し付ける動作を行っていますよ。ちょっと、精神的に成長が早い子ですが、無意識レベルでは親愛の情を行動化すると、そういう行動に繋がってくるようです。 動揺はあると思うのですが、専門家の方もたぶん、そう大きな問題とはとらないと思うんです。ちょっと無意識下のバランスを失っているぐらいだと思うんですよね。 たぶん、外の世界よりも内にこもる子なんじゃないかと思って、もう一つアドバイスすると、お子さんと一緒にいるときに他の方に会われた時に、自分が話して子どもをずっと待たせているだけでなく、その会話の中に常にお子さんを入れてしまうといいですよ。そうすると、世間の中にいる自分というものを意識するようになっていくんです。人が見ている、人に話しかけられると意識するようになると、ちょっと自分と周囲とのあり方を多く考えるようになると思います。そうすると、性的な行動にも抑制はかかってくるでしょう。これは小学生とか幼稚園・保育園期には結構効くと思いますよ。していなかったら試してみてください。 だんなさんがわからなかったのは、幼少期の無意識的な心理の動きを覚えていなかったからでしょう。そういう無意識下の動きがなかったためではないと思いますよ。たぶん。 質問者様の悩みが早く解消されることを祈っています。では。
お礼
kumosuke32さま、気にかけて頂いていて、とても嬉しく思います。 それに、本当に的確と思えるアドバイスで、そうか、そうだな、と安心できました。 ちょっと、悪いほうに考えすぎていたのかもしれません。 私に対する親愛の情が、そういう行動になってしまっているというのは、とてもよく理解できます。 周囲との関係も、まさに、まだ自分目線のみの世界で、年齢的にもこれから客観性が出てくるとは思うのですが、こうやって働きかければ良いのか、と目からウロコでした! kumosuke32さまのアドバイスで、ほとんどモレは無いようですが、もう少し同じような経験をされた方のお話を聞いてみたいと思っています。 まだ締め切りませんので、もしお暇があればのぞいて見てください。展開によって、新しい考察を教えていただけたら幸いです。気が向いたら、で結構です。図々しくすみません。 本当にありがとうございました。
- kiku424
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こんにちは 19歳と16歳の息子がいる母親です。 このお悩み ご主人にはご相談されてますでしょうか。。 家の場合ですが 長男が やはり10歳の頃 心配することがありました・・・ 長男10歳・次男7歳の頃は 3人で 川の字で寝ていたのですが 布団に入り 私がうたた寝の時 長男が 私の唇にキスしてきました。 その時は、正直驚き 「キスなんか 親にするもんじゃない」 と怒鳴り 主人に相談しました。 「擬似恋愛だと思うよ」 と言われ 放っておきました。。 次男も10歳の頃 お風呂から 素っ裸で出てきて 座って テレビを見ている私の背中に 抱きついて 下半身を押し付けスリスリしました。。 長男のこと・次男のことも 一度きりでした。。 そのうち 成長とともに モー娘なんか。。アイドルに興味を 持つようになり エロ本とか 見るように なりました。。 まず ご主人に相談されてみては・・・? それでも ご心配でしたら 公的機関・・児童相談所や保健所。 または、病院で小児精神科があれば 行かれてみてはどうでしょうか。。 子供についての 多種多様な 相談にのってくれます。 私は 別の件で 児童相談所や小児精神科に行きましたし 専門家のアドバイスも 心強いですから 少しでも 安心感が得られるのではないでしょうか・・
お礼
経験者の方の投稿、ありがとうございます。 夫には、こういう行為が始まった頃相談しましたが、返答に困った様子で、何の参考にもならなかったので、それ以来相談していません。 夫としては、多分自分にそういう経験がないので答えられなかったのだと思います。 夫婦仲は悪くありません。 擬似恋愛。。 そういうこともあるのかもしれませんね。10歳前後の男の子は多かれ少なかれ、こういうことがあるのでしょうか。 エロ本でも見ていてくれた方がよっぽど安心なんですけどね。 >小児精神科があれば 行かれてみてはどうでしょうか 私もやはり、専門家のアドバイスが欲しいところです。 別件で、近くの心療内科にかかろうかと思っているのですが、そこでついでに相談して見ようかと思っています(小児精神科でないとダメですかね?) 今一歩、踏み出せないでいたのですが、せっかく背中を押していただいたので、頑張って見ます。 本当にありがとうございました。
kumosuke32です。 追記になりますが、過保護というのがありましたので、念のために書いておきますが、過保護というのは子どもにとって管理であり、拘束でもあります。僕も経験がありますが、それによる拘束感は結構強く、そういったものへの反動が出ます。それが性的な形で出ると自慰になることもあります。息子さんの場合は自慰にではなく、母親への性的行動として反動が顕在化しているとも考えられます。それをどう対処するとなると難しいと思いますが、過保護であるという自分への視点(客観的な視点)を持つことは大事だと思います。 また、自慰を母親は嫌悪し、不潔扱いすることがありますが、哺乳類の中では珍しい繁殖期が年中あり、生殖活動が絶えず行われる人間という生き物においては自慰という行動は生活上重要であったりします。性への目覚めはごく幼少期に起こり、実際に性交を行えるのはいつになるかわかりませんし、環境と精神の成熟を待たなければいけませんが、性欲は存在するのです。そして相手がいても自慰を行うのが男というものでもあります。40歳を過ぎて自慰話で盛り上がるような人も多いです。生活上の憂さを晴らすのにも機能したりしますので、自慰行為を見かけても見てないふりをしてあげるぐらいのほうが精神衛生上はいいといえると思います。 性を扱うのは大変微妙で難しいですが、男の性、少年の性というものに少しでも理解が深まれば対処もしやすくなるのではないかと思い、追記してみました。大層悩まれていると察しますが、ちょっとしたボタンの掛け違いだと思いますので、あんまり深刻に考えず、適切に対処すれば大きな問題に発展することはないと思われます。 また、少年も自身の性に悩むことがあると思いますが、それも試練であり、年配の男性からいずれ指導が行くことと思います。ゆっくりと見守ってあげても大丈夫だと思います。では。
お礼
再度助言を頂き、ありがとうございます。 とても参考になる内容で、本当に助かります。 >過保護というのは子どもにとって管理であり、拘束でもあります 過保護と言うのが虐待のカテゴリーに入ることは知っていますが、現実はなかなかバランス良く振舞えません。 多分、足りない母性を過保護・過干渉で補っているつもりなのだと思います。 まだ10歳の息子とはいえ、身体を触られたりすると、つい拒絶反応が出てしまいます。 もちろん態度では激しい拒絶などしませんが、こういう思いって多分伝わっていますよね。 本当は甘えを求めているのだと思うし、性に対して罪悪感なども持って欲しくないのに、私の本能がそういう反応をしてしまうのです。 でも、本当に困っていましたが、kumosuke32さんのおかげで少し気が楽になったような気がします。 助言を元にもう少し調べて見て、具体的に生かしていこうと思っています。 本当にありがとうございました。
お礼
一番最初に、男性から誠意ある助言を頂けて、本当に嬉しいです。 >母性が足りないと母親は子どもにとって母が抜けて女性となってしまう これにはすごく納得できました。母性でくるんであげれば、母は母にしかならないですよね。 まず、単語としてしか知らなかったエディプスコンプレックスについて調べて見ます。 本当にありがとうございました。