三度失礼します。
>健全という言葉には「偏りがない、安心できる」という異味があり、
>多産であることこそ偏りがないという意見は自由意志を尊重する
>こととは矛盾します
確かに辞書的意味合いからすればおかしいかもしれません。
でも、普段皆さんはどういうときに、どういう意味を込めて「健全」という
言葉を使いますか?
例えば、自分であれば、晴れた日に公園を走り回る子どもをみて
「健全だなぁ・・・」と思います。
でも、それは屋内で勉強や、芸術的趣味に頑張る子どもや、怪我や
病気で走り回れない子どもを揶揄する気持ちは全くありません。
ちなみにこの場合対する「不健全」として想像する状況は、カーテンを
閉め切って薄暗い部屋で、TVやゲームなどに興じている状況、と
いうのが頭の片隅にありますが・・・「それのどこが不健全なんだ!」と
お怒りになる方も当然いるでしょう。
また、「こどもが走り回ってるとうるさいし邪魔なんだよね」と思う
人にとっては、決してそれを「健全」な状態とは思わないでしょう。
(件の発言の場合の「不健全」を想像すると、自分としては、健康も、
お金も、時間も、精神的ストレスも制約要素がないのに「産まない」
選択をする人、ということなのですが・・・No36の方のご意見のとおり、
今の日本に暮らす限り、そんなことは考えられませんし、そんな人には
親になって欲しくないです)
つまり、自分の価値観として、そういう状態が「理想的だと思う」と
いう状況を「健全」だと思うということです。
辞書的意味とは異なりますが、一般的な使い方だと思うのですが、
いかがでしょう?
ここで同意がとれないと話が進まないので、この考え方に同意いただけると
仮定して、柳沢大臣の発言を考えると、確かに大臣という立場にある人が、
公式の場で、ご自身の価値観をもって「健全」という発言をしたのは、
軽率だったのだと思います。
でも、「産む・産まないは個人の自由なのが理想的」と考える人と、
「子どもは2人産むことが理想的」と考える人と、どちらが少子化対策を
推進するに適しているかというと、明らかに後者だと思います。
あとはどうやって「理想的」な社会に近づけるための施策をとるか、
ということですが、「産まない自由を認めない社会」と「産まない
選択をしないで済む社会」はやっぱり意味合いが違うと思うんですよ。
自分は一連の発言から「産まない自由を認めない社会」を目指しているとは
受け取れなかったもので・・・
やっぱり好意的すぎる解釈なんですかね?
お礼
回答ありがとうございます。 うーん、回答者さんの回答を理解できているかちょっと不安ですが・・・ 一応確認しますと、 「産まない自由を認めない」→× ここは大丈夫です、私も同意です。 「産まない選択をしなくて良い」=「産みたい人は産める」=「自由意志の尊重」 と拡大(と言うほどでもない?)しても大丈夫でしょうか。大丈夫ですよね、きっと。 後者であるならばもちろん問題ないと思います。今回の主眼は「本当に彼の考えが後者であるのか」 ももちろんなんですが、「彼の発言自体が前者と取れるかどうか(揚げ足取りでなく)」でもあると思うんですよね。 とれるのであれば一部の(少なからぬ)国民に不信感を与えるわけですし、それは後々の政策を国民が「好意的に見るか」どうかにも大きく関わってきますからね。 しかしここまで煮詰まってくると価値観の問題でもあるようですから、私のこの質問は「この発言って悪い意味だと思う?」程度の意味しか持たないのかも知れません。 「人それぞれ感じ方は違う」としか言い様がないのかも。 それじゃあ辞任云々の決着がつかない気もしますが、 好意的解釈をする人が多ければそれはそれで国民の支持という事ですから辞任しなくて良いということにもなります。今回は総じて「問題ない」「問題だが辞める必要は無い」という意見が多かった印象を持ちました。 長くなりましたがそろそろ締め切ろうと思います。皆さんありがとうございました。