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男性にとって「第一」に尊重するのは親?奥さん?
自分の親と同居している男性は、自分の親と妻のどちらを、生活する上で「第一」と考えているのでしょう? 模範的回答で「奥さん」と言うのではなく、日常生活の中でフッと(無意識に)どちらを優先させているのでしょう? 私は主人の両親と完全同居しています。家を建て、主人の両親を呼び寄せ同居が始まりました。大人しい人達なのですが、他人との接触を嫌います。私の父の葬儀(他人がいっぱい集まる)も「足が痛いから」と二人して欠席。それを「いいよいいよ」と許す主人にビックリしました。 それから意識してみると、いつも我慢・一歩譲らされるのは私の方です。「悪いけど払っといてあげて」とか「悪いけど代わりにやっといてあげて」とか。 一緒に生活していても親達が、払うべきものは払うべきだし、やるべきことはやるべきだと思うのですが。 舅姑には全く罪悪感はないようです。だって自分の息子が「許してくれている事」なのですから。「それじゃあ、○○さん(私)に悪い」とは思ってくれる事はないのです。 例えばっかりで分かりづらい文面でスミマセン。 でも、主人は私をなんだと思っているのでしょう。彼は私を第一に考えてくれているようには思えません。これは主人だけのことでしょうか? それとも男性にとって、意識の底では「奥さんより親」なのでしょうか?
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お礼
ご回答有難うございます! >どっちも大事なんですよ。 >でも、「愛情の質」が違う。それだけのことじゃないですか? はい、私もそう思います。他の方々へのお礼にも書かせて頂きましたが確かに愛情の質は違うと思います。無償の愛と有償の愛。親子愛と夫婦愛。同じ土俵で考えてはいけないものですよね。 ただ、夫に分かっていてほしいのは「親子の愛」は、なにもせずとも無くなりはしないけど「夫婦の愛」は相手を労わりや理解していく努力を怠ると消えてしまうこともあるよ、という現実です。 本当に私の事を考えてくれているのならば、父の葬儀に行きたくないと言う両親を諭す 常識を持っていて欲しかったです。何でもかんでも赦してしまうのが「愛」ではないはずです…