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貴方は、自分に異性を愛する「能力」があると思いますか?

貴方は、自分が異性を愛することができると思いますか? 言い換えれば、自分に異性を愛する「能力」があると思いますか? 次に、貴方は、 世の中の人間は誰でもチャンスさえあれば異性を愛することが出来ると思いますか? それとも、世の中には、決して異性を愛することが出来ない、つまりチャンスの問題ではなく、異性を愛するという「能力」そのものを欠いている男女が多くいると思いますか?

みんなの回答

回答No.6

死んだ後に、神様から、 「あなたは、人を愛することを学びましたか?」 と聞かれて、 「はい」 と答えられるような人間になりたいなぁと思っています。 あ、異性に対して、でしたね。 愛情は、異性に対する愛だけではもちろんありませんが、異性に対する「愛」も、あなたがおっしゃるように、 決して自然発生的なものではなくて、「人生の中で、学ぶもの」だと思います。 そういった意味で、私には、「生まれ付いた能力」はありませんが、それなりに、「愛すること」を学んできたと思っています。 だから、今私が学んできた範囲でなら「愛する」ことができます。 「生まれつきの、愛する能力」は誰も持っていないと思います。 でも逆に、人間誰でも、「愛することを学ぶ能力」はあると思います。

bagnacauda
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 >でも逆に、人間誰でも、「愛することを学ぶ能力」はあると思います。 僕はこういう人間に対する楽観的というか肯定的な考え方が好きです。 一歩一歩ですね♪

noname#30155
noname#30155
回答No.5

難しいですね。 >異性を愛するという「能力」そのものを欠いている女 私のことかもしれません。独占欲が強くて、付き合っている人が他の女性と話しているを見るだけで、ものすごく嫉妬したことも多々あります。この前付き合ってた人とは、その所為で破局しました。 異性を愛することについてもっと考えてみたいです。

bagnacauda
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 愛情と執着・依存には似た部分があるのかもしれません。 愛しているつもりが、依存・執着しているだけだったと自らを振り返る経験は誰にでもあると思います。 そのあたりから僕もかって考えました。

  • tiap
  • ベストアンサー率16% (48/298)
回答No.4

異性を愛する裏付けは性欲と思います。性欲があれば、華麗に異性に近づき目的を達し、末永く付き合うことが異性を愛することだと思います。これをするには稼げなくては、愛せませんね。動物もプレゼントは餌です。 性欲がなくなったあとは、異性も異性ではなくなります。 周りにはすべて人間がいることになります。 ご参考までに。

bagnacauda
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • 4951snk
  • ベストアンサー率28% (155/547)
回答No.3

 こんにちは、私は20代半ばの男です。 >自分に異性を愛する「能力」があると思いますか?  私の場合は女性を「女性」(恋愛の対象)として愛する能力でしょうか?それならば、ありません。 >世の中の人間は誰でもチャンスさえあれば異性を愛することが出来ると思いますか?  誰でも、と言ったら無理だと思います。精神的な障害のある人には無理な相談だと思います。  最も、生まれつきの性格でそういう感情自体がない人もいると思いますが……。私もそうかもしれませんね。

bagnacauda
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.2

能力云々でなく、愛とは生まれてから親にまず与えられます。 愛を与えて貰えなかったとしたら、与える事が難しく、渇いた心はそれを満たす水を欲するように与えられる事だけ望んでしまいます。 要するに、持っていない物は与えられないと言う事です。 でも、誰かから人に分け与える事ができる愛を貰う事だってあると思います。 愛するとは与える事、それは友達や親兄弟、子供にだって、異性に限らず、愛を持つ事はできるんだと思います。 恋=愛する、ではないですよ。

bagnacauda
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 二人の我が子を育てている僕にも、親としての愛情があります。 しかし、僕はこの愛情が「自然発生的なもの」とは思えないのです。 僕は、自分の親から愛情を与えられただけではなく、知らず知らずのうちに、人を愛する「トレーニング」を日常生活の中でして、自分を磨いてきたように思います。 男女の愛情に限るともっとわかりやすいです。 恋をするには、チャンスがあればほぼ十分でしょう。 恋には出会いが有ればOK。 しかし、異性を愛することは「誰にでもできること」ではないと思います。 この世には、女を愛せない男も、男を愛せない女も多いのだと思う。 自分にピッタリの相手がいないのではなく、そもそも異性を愛する「能力」と「技術」を磨いてこなかった。 20年を越える結婚生活で気がついたのは、 恋をするには出会いの奇跡があれば充分。 しかし、人を愛するには能力と技術が必要。 晩婚・非婚は、社会的な問題も多いにせよ、こういった能力と技術を日常の中で磨く機会が減少したための、平均的に「人を愛する能力と技術」が低下し始めているのではないか? そんなことを感じています。

  • sterdust
  • ベストアンサー率13% (12/87)
回答No.1

20代後半女ですが、 人間を愛する能力そのものが無いです。 「好きな人に何かしてあげたい」というのが理解不能です。 好きな人から何かしてもらうのが好きです。 異性を愛することは、現実をしっかり捉えて、相手を間違わずに 確実に相手の気に入ることをすれば可能です。 先天的にこれをできる能力を欠いた人というのはいますが、 (ものごとの本質が見えてしまう人=愛とは、ネコがエサをくれる人になつくことと同じでるということが分ってしまう) 後天的にテクニックとして習得できれば、人を愛することは可能です。 「愛したい」と思うかどうかが分かれ目ですが。

bagnacauda
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 実は、僕は「少なくとも男女間の愛」は、誰にでも手に入れることが出来る者ではないと考えています。 この世には、誰も愛せない人間が多いと思います。 それは環境もあるのかもしれませんが、人を愛する能力と技術を身につける努力を怠ってきたのだと考えています。 愛というのは地球上でもとても価値の高いもの..。 価値あるものを手に入れるには、継続的努力が不可欠です。

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