そりの合わない相手に合わせますか?
「君子危うきに近寄らず」という言葉があります。
かたや「汝の隣人を愛せ」という言葉もあります。
これだけ多くの人間がいればどうしたって「そりの合う人、合わない人」というのがあると思います。
自分にとって「そりの合わない人」であっても、別の人にとっては「合う人」であったりすることは何ら不思議なことではないと思います。そりの合う人同士は友好的だから。
・・とすると、「そりが合わない」ということ自体、自分自身の心持ちが大きく影響しているということになりせんか?例えば「この人好かないな」とか「この人とは理解し合えそうにない」とか、ネガティブな感情が自分から相手を「そりが合わない」と決め付けている。
自分が「嫌い」と思っている相手も大概は自分のことを「嫌い」と思っているというように、自分の相手に対する気持ちというのはキーポイントであるような気がします。
私は今までの人生で、「そりが合わん」と感じた人が何人かいました。自分で友好的にするように努めたこともありましたが、私の粘りが足りなかったせいでしょうか、相手には伝わらず結局そりが合わないままでした。
しかしそりが合わない相手は相手自身も私のことを何らかの理由で嫌っていることがありました。例えば、相手に意図的に何かしたというわけではなく、私の個性が相手に受け入れがたいというケースがありました。(ただがんばる姿が腹立たしいとか、人間には複雑な怒りの感情というものがあると思います)
現在の会社でもそりの合わない女性がいて密かに悩んでいます。自分から今より何倍も友好的にすればよいのでしょうが、したくない自分がいて困惑しています。
そこでみなさんに質問ですが、社会でそりの合わない相手がいたとき、そりが合わないことを自然なことと受け入れますか?それともあえて努力して友好的に自分を振舞いますか?
回答宜しくお願いします。
お礼
あぁ、そうなんですね! 納得しました。ありがとうございます!