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いい子は問題児?

小学生の時の私は成績がよく友達も多く、学級委員もすれば委員会を運営したり、ケンカの仲裁役だったりと、勉強も人間関係もとても良好でした。 クラスが多い学校でしたが先生方からも覚えがよく、知らない先生から名前つきでよく挨拶されたり、引っ越すことになった時には担任でも何でもない主任の先生にわざわざ呼び止められ「手紙書いてくださいね」と言ってもらえたりしていました。 このような内容を、「私にも優等生だった時代があったんですよ~(「でも今はその面影もなし/笑」という話でした)」と、普段から慕っていてよく喋る仲の先生に話していました。 すると先生には「それって何かしら問題があった生徒だったってことじゃないかな?普通、優秀な生徒だったら上手くやっていくだろうって思えるからわざわざ手紙なんて求めないよ。心配な生徒には連絡してほしいと思うけどね」と言われてしまいました。 私は何も問題を起こした覚えはないと言い、どこに問題があると思うのかと聞いたら「いい子なところとか」と言われました。 私は「いい子はいじめに遭いやすい」などの意味で問題と言ったのだろうと勝手に解釈しました。 でも、慕っている先生から昔のこととはいえ自分を問題児扱いされてしまったのはちょっと悲しいなと思いました。 でもその一方で、先生の考え方は今まで私が考えたことのないものだったので、そういうものなのかなー?とちょっと疑問でもあったりします。 そこで、皆さんならはどのように考えるのか、意見を聞かせてください。 (ちなみに、私が優等生かそうじゃないかという疑問ではなく、問題児かそうじゃないか、というニュアンスです。よろしくお願いします)

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  • totovc
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回答No.4

「手紙書いてくださいね」の意味は、単に「あなたには注目して好感を持っていましたよ」という気持ちを伝えるための社交辞令かもしれないし、あるいは単純に「この子の将来に興味がある」という気持ちだったのではと思います。 もし先生方にとって「何年に一人の逸材」と感じられるようないい子だったのなら、将来どんな風に育っていくのか、どんな学校に進学してどんな社会人になるのか興味があったのではと思います。「ああ、やはりこんなに立派な人物になったか。小学校の時から優秀だったものな」となるか、あるいは案外、凡人になるか?いずれにせよ、「どんな立派な人物になるか、今後を知りたい」という好意だったのではと思います。 あなただって、クラスにすごく文章のうまい子がいたら「この子すごいな。将来小説家にでもなるかな?」とかすごく理科の出来る子がいたら「この子、このまま理科に興味を持ち続けて大学教授にでもなるかな?」と思ったりしませんでした? あるいは単にそうではなく「心配な生徒には連絡してほしい」という意味での言葉だったのだとすれば、あなたが無理をしているのでは?という大人としての心配だったのかもしれません。 優等生というのはまわりにそう見なされ期待されることで、時にはワガママも言いたいしさぼりもしたいのに本当の自分が出せずそのギャップに苦しむことが往々にしてあります。周りはどうしても「この子は勉強もきちんとして人間関係もこの年にしては珍しく様々な配慮が出来てカンペキで」なんて思ってこの子に関してはそれが当然だと思いがちなため、子どもはその周りからの期待に応えようとその周りの期待通りの自分を演じようと無理してしまう。小学校ぐらいだと「評価されてうれしい♪期待されてうれしい♪」で何の苦痛も感じずに済むのだけど思春期になっていろいろと自分でものを考え出すようになると、そういう「周りに期待される自分」と「本当の自分」との間で悩み出す場合が多い。 だからその先生もあなたのあまりの優等生ぶりに、今後の成長過程でそういう悩みを抱えることもあるかもしれないと考え、もしそういう時期が来れば助言し何かの力になってあげたいと思って声を掛けたのかもしれない。そういう可能性も考えられます。 でもあなたは幸い、今まではそういう悩みにぶつかることなく素直に順調に来られたみたいですね(笑)。 >最初は「社交辞令だったのに…」と思われたかもしれません(^^;) いえいえ、「担任でも無いしどうせくれないだろうな」と半分思いながら言われたのだとしたら、あなたが本当に手紙をさしあげたことで「やはりあの子は真面目で素直でやさしいいい子だ」と先生はとても喜ばれたと思いますよ。 人は何かと自分の考えや経験を基準に他人のことも考えるものです。 「何かしら問題があった生徒だったってことじゃないかな?」と言われた先生は、ご自身が、「優秀な生徒だったら上手くやっていくだろうって思えるからわざわざ手紙なんて求めない。心配な生徒には連絡してほしいと思う」というタイプだから、別の先生が「わざわざ呼び止めて手紙書いてくださいねと言った」ことに関しても「わざわざ手紙をくれと言ったということは、この子に問題があると心配していたということなのか?」と単純に考えられただけかもしれません。 今のあなたから過去のあなたに特別に問題があったことを推測したわけでなく、単に「先生が手紙をくれといった」ことから、「自分なら問題のある生徒にしか手紙を求めない」ゆえに「じゃあ、その先生もその時、この子に問題があると思っていたのかな?」と考えられただけという可能性もあります。 ただ、「でも君にどんな問題があると思ったのだろうねえ?不思議だねえ?」ではなく、 >どこに問題があると思うのかと聞いたら「いい子なところとか」 と答えられたところを見ると、その先生自身、今のあなたにある種の問題を見ていらっしゃるのかもしれません。 それは「いい子はいじめに遭いやすい」というようなこととはまったく違う、もっと内面的なことではと思います。と言ってもあなたにはまったく「???」かもしれませんが。 と言うとあなたは「私は一生懸命にやっているのに、私のどこに問題が?何だか悪い子扱い、欠陥扱いされたみたいでショック、悲しい」という受け止め方をされるかもしれませんが、そういう意味じゃなく・・・。 あなたは今、いくつぐらいなのかな? 特に思春期になると人は親や教師や社会の規範を受け入れ難く思い、意味を見出せず反発したりし、その過程で悩んだりいろいろものを考えたりするものですが、優等生の場合は大人の求める価値観で行動すれば褒められ受け入れられるし、それがよいことだと信じて疑わないし、そういう意味で「いろいろ悩んだり反発したり考えたりする機会」が少なくなりやすいものなのです。大人の言うことには一理あり、たいてい正しいしそれを受け入れていれば間違いない、最終的にはそれでよいのですから、途中でそれに反発したり否定したりすることなく、最短距離でその結論に至って別に何も悪いことはないようなものですが、その「大人の考えを受け入れるまでにいろいろと悩み葛藤し反発する」のも時に人の成長過程では大切なわけで。だから今の先生がもしあなたに何か問題、というか心配を感じられているとすればその点かもしれません。 「問題」というのは「心配な点」「課題」というような意味で、必ずしも「悪い」という意味ではないのですよ。 「問題がある」ということは時には非常に値打ちのあることなのです。ものごとは何でも常にいろいろ複雑な要素を持ち合わせており、問題を認識しその克服の努力をすることで人間や社会はよりよくなって行くのですから。 もし「問題がある」と思われたのならそれは悲しむべきことではなく、今まで自分が気付かなかった課題に気付いて自分がより大きく成長していくきっかけとなる喜ばしいことかもしれません。そもそも人間、完璧なわけないじゃないですか。人間、本来、問題だらけのはず。「問題がある」とわかるということは、「これまでは認識できていなかっただけで元々存在していた問題」の存在に気付けたという、喜ぶべきことかも。 しかしあなたはどちらかと言うと「問題があること」を悪いことと捉え、自分に問題があると見なされたのなら悲しいという受け止め方をしている。そういう考え方自体があまりに素直すぎて心配という見方も出来るのです 今のあなたにはこう言ってもよくわからない、ピンと来ない話かもしれませんね。「問題が何か」ということについても、「いい子はいじめに遭いやすい」とか「問題児と思われていたならショック」だとかそういう次元でのみ受け止めてしまう。 ここの回答でいろいろな意見を聞いてさらにあなたの考え方の幅が広がり、より有意義な日々を送られることを祈ってます。 せっかくまっすぐに育って来られたのに、要らんことを言ってしまったかなとちょっと心配でもありますが・・・。(笑)

blue-moon-blue
質問者

お礼

もちろん私も、「これは相手のせいだ」と考えた時もありましたが、そのような意見を言うと必ず誰かから釘をさされていたからか、気づいた時には原因をはじめから自分にもっていくような子になっていました。 特に高校生の時は、勉強と部活、趣味を除けば「どうしたら嫌われない自分になれるのか」ということばかりを考え、自己啓発本なんかも読むようになっていました。 親・教師・社会の規範に対する反発も特にありませんでした。 totovcさんがおっしゃるように、「よいことだと信じて疑わない」という感じだったと思います。 しかし中には、自分の嗜好が偶然規範に合った(制服の着かたなど)という理由や、自分の夢が偶然勉強して内申を上げるのが前提だったという理由で、自分と規範がぴったり合ったというのもあります。 また、あまり大声では言えませんが、規範を破る時はバレないようにやっていたというのもあります(^^; なので、特に反発する必要がなかったというのは大きいかと思います。 でも、社会の規範とは違いますが、「大人の(合理的な)考え」には疑問を持っています。 その合理的な考えを用いると、今まで私が培ってきた道徳や倫理がまったく無意味なものになることもあるからです。 しかし、賢い社会人、上手く世の中を渡り歩ける人間になるにあたって、合理性は必須だと思うんです。 ところが、その合理性の上で行われていることの中には、私にはちょっとついていけないこともあります。 素直なままじゃ、今の自分の思考じゃやっていけないような不安がないわけではないというのが現状です。 もしかしたらそこが私の問題なのかもしれません。 でも、私の「心配なところ」はまた違うところにもあるのかもしれないので、機会があれば先生とまたお話したいと思いました。 普段あまり真摯に考えていないところを指摘していただけた気がしました。 長文になってしまってすみません。 どうもありがとうございました!

blue-moon-blue
質問者

補足

こんなに具体的に回答してくださってどうもありがとうございました! お返事が長くなってしまったので、こちらから書かせていただきますね。 お恥ずかしながら私は今22歳の大学生です。 こんな幼い内容の質問なので中高生くらいに思われましたか?(^^; たしかに、私は周りの期待をうっとうしいと思ったことはなかったです。 ただ、高校受験の切羽詰っていた時に、自分が何で必死に勉強しているのかに疑問を持ち、生まれて初めて「私は親のために頑張っているのかもしれない」という考えに至ったことはありました。 でもそれで親をうっとうしく思うのはお門違いだし、当時は叶えたい夢もあったので、一番は自分の期待に応えられない自分を責めていた気がします。 人間関係でも、私は異なるそれぞれの環境で1度くらいいじめや人から嫌われるということを経験しましたが、相手を恨むというよりかは「どうしてあの子はいじめるのだろう、嫌うのだろう」という思考が始まり、だんだんと「どうしてその対象が自分なのだろう、どうして自分はそんな子になってしまったんだろう」と焦点を自分に当てる傾向がありました。

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その他の回答 (3)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

いわゆる「アネゴ肌」の生徒さんだったんでしょうかね?。 想像ですが「決定をせかすような」要素はありませんでしたか?。 もしそういうことならば 「手紙(つまり内密に)を使って、直接指導をして、そういう方向性を是正する必要がある」 と感じていたんじゃないでしょうか?。 生徒の前で指導することは、あなたの「立場」を危うくするし、プライドを傷つける可能性があるから出来なかったのでは?。 青少年は傷つきやすいですものねー。 今はそれが「世間で磨かれて」きたから心配には及ばない、と。 ただ「理解してくれてない」ところがあるから「釘をさしてみたかった」のかもしれませんね。 想像ですけど「立派な先生」だと思います。はい。

blue-moon-blue
質問者

お礼

>いわゆる「アネゴ肌」の生徒さんだったんでしょうかね?。 いえ、いわゆる「妹キャラ」の生徒でした(今もそうですが)。 >想像ですが「決定をせかすような」要素はありませんでしたか?。 ちょっと覚えていないのですが、どっちかといえば周囲が一辺倒な考えだけで決定をせかしているのを止める立場だったと思います。 >想像ですけど「立派な先生」だと思います。はい。 それならよかったです(^^) 私の友達に話したら、「歪んだ考えの先生だね」と言われ、慕っていた先生だったのでそれはそれでショックでした。 でも歪んでいるわけではなくて私の忠告のためだったんですね。 とても参考になりました。どうもありがとうございました!

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noname#61064
noname#61064
回答No.2

うーん。自分が先生だった時もありますが(学校の先生ではないです)、「手紙書いてくださいね」は社交辞令ではないですか?優秀な生徒を慕ってとか、心配だからとかそんなに深く考えて言わないと思います。 この先生の言われる「いい子だから心配」というのは少し分かります。 自然な生徒の姿として「いい子すぎる完璧な子」はいないわけで、そんな子がいるとすれば本当の自分を抑えてどこかで無理をしている子が多いように思います。いい子はいじめにあいやすい、妬まれやすいというのもそうですが、それはいい子すぎる子が不自然に見えて付き合いにくいからだと思います。 「優秀な子」は「いい子」と違って、○○は出来るけど××が抜けているとか、完璧な人間ではありません。 多分この会話の中では、先生はあなたが問題児だったと疑っているわけではなく、「無理していい子にしていたんだろう」と思っているのではないでしょうか。「優秀だった」といいたいあなたと、それを「いい子だった」ととらえた先生の勘違いだと思います。

blue-moon-blue
質問者

お礼

お返事どうもありがとうございました! >「手紙書いてくださいね」は社交辞令ではないですか? たしかにそうですね(笑) 私と一緒の時期に転校することになった子が複数いて会議室に集められたことがあったのですが、その後私だけ残されて会話をしていた最後に言われた言葉だったので、「じゃあ書かなきゃ!」と思って書いてしまいました(笑) その先生とは今でも年賀状のやりとりをしているのですが、最初は「社交辞令だったのに…」と思われたかもしれません(^^;) それから、私を完璧な子だと思っていただけたみたいですが、私は体育はできないし転んだらすぐ涙ぐむし、ケンカの仲裁をしていましたがケンカもしてたので、お世辞にも完璧とはいえませんでした(^^; そう思うと別に優秀な子でもないですね(笑) 今の勉強にかなり苦戦しているので、過去が輝いて見えたんだと思います(^^;) 「一般的な」優等生で話す先生と、あくまで「今の自分と比較した上での」優等生で話す私で話がズレたんだなと思いました。 かなりいろんな勘違いが見つかったので、相談できてよかったです! どうもありがとうございました!

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  • tanster
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.1

いい子が問題児であるはずないと思います。 「友達が多い」というのなら、質問者さまは性格が良かったのでしょう。主任の先生が手紙を欲しがったのは、素直に頭が良く性格が良いので、質問者さまを好ましく思ったからだと思います。 遠くへ行った生徒のことまで、「問題がある」とフォローするほどヒマな先生がいるのでしょうか。 それより、「いい子は問題児?」などという逆説的な質問をみると、「釣り記事かな?」と思ってしまうんですけど、違いますよね?

blue-moon-blue
質問者

お礼

お礼遅れましたが、どうもありがとうございました! そう言っていただけると安心します(^^) でも、No.2さん、No.3さんのお話を伺っていろんな考え方があるんだなと思い、一概に言える話でもないんだということがわかりました。 でもひとついえるのは、全部私のために言ってくれた言葉なんだということなので、好意は受け取って、気をつけるところは気をつけていきたいと思います。

blue-moon-blue
質問者

補足

補足させていただきます。 紛らわしいタイトルにしてしまって申し訳ありません。 この質問は釣りではないです! ただ、本文にも書きましたが、先生から言われた話が私の考え方とあまりにも異なっていたので、自分の常識みたいなものに変に自信がなくなってしまって書きました。

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