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いい子は問題児?
小学生の時の私は成績がよく友達も多く、学級委員もすれば委員会を運営したり、ケンカの仲裁役だったりと、勉強も人間関係もとても良好でした。 クラスが多い学校でしたが先生方からも覚えがよく、知らない先生から名前つきでよく挨拶されたり、引っ越すことになった時には担任でも何でもない主任の先生にわざわざ呼び止められ「手紙書いてくださいね」と言ってもらえたりしていました。 このような内容を、「私にも優等生だった時代があったんですよ~(「でも今はその面影もなし/笑」という話でした)」と、普段から慕っていてよく喋る仲の先生に話していました。 すると先生には「それって何かしら問題があった生徒だったってことじゃないかな?普通、優秀な生徒だったら上手くやっていくだろうって思えるからわざわざ手紙なんて求めないよ。心配な生徒には連絡してほしいと思うけどね」と言われてしまいました。 私は何も問題を起こした覚えはないと言い、どこに問題があると思うのかと聞いたら「いい子なところとか」と言われました。 私は「いい子はいじめに遭いやすい」などの意味で問題と言ったのだろうと勝手に解釈しました。 でも、慕っている先生から昔のこととはいえ自分を問題児扱いされてしまったのはちょっと悲しいなと思いました。 でもその一方で、先生の考え方は今まで私が考えたことのないものだったので、そういうものなのかなー?とちょっと疑問でもあったりします。 そこで、皆さんならはどのように考えるのか、意見を聞かせてください。 (ちなみに、私が優等生かそうじゃないかという疑問ではなく、問題児かそうじゃないか、というニュアンスです。よろしくお願いします)
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お礼
もちろん私も、「これは相手のせいだ」と考えた時もありましたが、そのような意見を言うと必ず誰かから釘をさされていたからか、気づいた時には原因をはじめから自分にもっていくような子になっていました。 特に高校生の時は、勉強と部活、趣味を除けば「どうしたら嫌われない自分になれるのか」ということばかりを考え、自己啓発本なんかも読むようになっていました。 親・教師・社会の規範に対する反発も特にありませんでした。 totovcさんがおっしゃるように、「よいことだと信じて疑わない」という感じだったと思います。 しかし中には、自分の嗜好が偶然規範に合った(制服の着かたなど)という理由や、自分の夢が偶然勉強して内申を上げるのが前提だったという理由で、自分と規範がぴったり合ったというのもあります。 また、あまり大声では言えませんが、規範を破る時はバレないようにやっていたというのもあります(^^; なので、特に反発する必要がなかったというのは大きいかと思います。 でも、社会の規範とは違いますが、「大人の(合理的な)考え」には疑問を持っています。 その合理的な考えを用いると、今まで私が培ってきた道徳や倫理がまったく無意味なものになることもあるからです。 しかし、賢い社会人、上手く世の中を渡り歩ける人間になるにあたって、合理性は必須だと思うんです。 ところが、その合理性の上で行われていることの中には、私にはちょっとついていけないこともあります。 素直なままじゃ、今の自分の思考じゃやっていけないような不安がないわけではないというのが現状です。 もしかしたらそこが私の問題なのかもしれません。 でも、私の「心配なところ」はまた違うところにもあるのかもしれないので、機会があれば先生とまたお話したいと思いました。 普段あまり真摯に考えていないところを指摘していただけた気がしました。 長文になってしまってすみません。 どうもありがとうございました!
補足
こんなに具体的に回答してくださってどうもありがとうございました! お返事が長くなってしまったので、こちらから書かせていただきますね。 お恥ずかしながら私は今22歳の大学生です。 こんな幼い内容の質問なので中高生くらいに思われましたか?(^^; たしかに、私は周りの期待をうっとうしいと思ったことはなかったです。 ただ、高校受験の切羽詰っていた時に、自分が何で必死に勉強しているのかに疑問を持ち、生まれて初めて「私は親のために頑張っているのかもしれない」という考えに至ったことはありました。 でもそれで親をうっとうしく思うのはお門違いだし、当時は叶えたい夢もあったので、一番は自分の期待に応えられない自分を責めていた気がします。 人間関係でも、私は異なるそれぞれの環境で1度くらいいじめや人から嫌われるということを経験しましたが、相手を恨むというよりかは「どうしてあの子はいじめるのだろう、嫌うのだろう」という思考が始まり、だんだんと「どうしてその対象が自分なのだろう、どうして自分はそんな子になってしまったんだろう」と焦点を自分に当てる傾向がありました。