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鬱病と言われ2ヶ月経った今
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2520031.html 自分の前の記事です。(参考になるかな?) 病院に行ったら、やっぱり鬱病と言われ、今も薬を飲んでいます。 初めて病院に行ったときは、言葉を発することができないが、首を振ったり意思表示はできました。 前の記事の彼女のことですが、今もまだ愛情も憎しみもあります。(だいぶ薄れましたが) 薬を飲み始めて、心はだいぶ軽くなりました。 焦らなくてもいい、今は自分のしたいことだけしていればいい、と。 だから自分の生活は、ご飯食べて、薬飲んで、ネットゲームをして、寝るだけの生活です。 1ヶ月して、全くやる気が出ないと言うことを医師に伝えたら、元気が出る薬を出してもらいました。 それから2週間くらいして、夜中にですけど外出が増えました。 いい傾向なのかな?っと思っていたのに、また死にたいと思えるようになりました。 薄れていた彼女への愛情と憎しみが増加し。 それを乗り越えたいと思うが、自分の心が「俺は何もできない」と言い。 失望して、死にたくなって。 けど親を悲しませるようなことはもうしたくなくて、だから何かしたいけど、絶対に何もできなくて、失望して死にたくなって、死ねないで、泣いて。 また喋ることができなくなりました。 これを誰かに伝えればいいのだと思いますが、知ってる人にこんな自分を知られたくないんです・・・。 なにか、こんな自分にかけてくれる言葉、アドバイスなどないでしょうか? よろしくお願いします。
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- sonrisa003
- ベストアンサー率39% (64/162)
こんにちは。 酷なことを書きますが、貴方の今の苦しみは、彼女への「愛」ではなく「依存」や「執着」(自己愛)によるものです。 けれど、人は皆最初から「本物の愛」を体得できるわけではないんです。 (一生、本物の愛を知らずに人生を終える人は沢山います。) でも、何度も何度もどん底を味わい、裏切りを受け、相手への憎しみが諸刃の剣となって自分を切り傷つけ、血の滲むような葛藤を繰り返している貴方だからこそ、必ず本物を見出せる。 私はそう思います。 今は、貴方の様々な感情が、一滴一滴濾過されているんです。 目には見えなくても、ごく僅かでも、ちゃんと濾過され続けているのです。 とは言っても、濾過(不純物を取り除くため)には、身体の悪い腫瘍を麻酔なしで取り除くのと同じことで、それはそれは苦しいし強烈な痛みを伴うことでしょう。 全てが濾過されるまで、どのくらいの時間がかかるかは誰にも分からないけれど、濾過は必ず終わります。 貴方は十分過ぎるくらい若いから、そんなに時間はかからないと思いますよ。 焦らないで、濾過作業は心に任せておきましょう。 濾過の後に、貴方の心に残るものは不純物の殆ど混じっていない純度の高い「愛」であり、濾過に伴う死ぬほどの苦しみや痛みは無駄ではないどころか、貴方の中にある愛と優しさを人の何倍も輝かせ、貴方の人生を本当の意味でより豊かに幸福にするために必要なことだったと必ず思える時が来ます。(断言!) 2007年が、少しでも心穏やかに過ごせる日の多いことを願ってやみません。 何よりも、身体だけは大切にしていて下さいね。
- Nyolo
- ベストアンサー率25% (1/4)
うつ病の患者同士が交流できるサイトがいくつかありますが、参加してみるのもいいかも知れません。同じ症状で苦しんでいる人同士ならば、語り合うこともできるでしょう。 とにかく病院に通いお薬をもらいつづけることです。あと、うつ病を克服したひとの著作やブログも検索すればたくさんあると思いますよ。 とにかく、死なないことが大事だと思いますよ。生きていれば、いずれなんとかなりますから。
補足
死ぬことはしませんよ。 って思い続けてますが、いつか家族を殺して自殺・・・なんてことをするんじゃないかって怖いですね・・・。 交流サイトに参加は、多分できません。 したいって思わないので・・・。 ですが鬱病経験者の方の話を聞いてると、心が軽くなることがあるので、サイト自体は探すかもしれません。 ありがとうございました。
- wsws
- ベストアンサー率9% (256/2568)
ただ自分の心体にのみ聞くべきです。 今の時期ならマラソンで走ってみてはどうでしょうか。 お金も無くてもいいし町から町へ走るのです。 疲れたら歩いて小銭で食堂に入って。 若しくは免許でもとって走り回ればいいでしょう。 原付でヘルメットを掛ければ人の目も気になりませんよ。
補足
ごめんなさい。 なにもしたくないのです。 だからそんなことはできないのです。
お礼
>酷なことを書きますが、貴方の今の苦しみは、彼女への「愛」ではなく「依存」や「執着」(自己愛)によるものです。 そうだと思います。 自分は誰かに依存できなくなって鬱になったので・・・。 もしかしたら先日母が「お小遣いもお年玉もこれが最後」という言葉で家族にも依存ができないと思ってしまって、また死にたくなってるのかもしれません。 >今は、貴方の様々な感情が、一滴一滴濾過されているんです。 そう考えてみたら、少し楽になりました。 鬱病患者に限らず、誰だって何の痛みもなく生きていませんよね。 今の自分に甘えすぎていました。 >2007年が、少しでも心穏やかに過ごせる日の多いことを願ってやみません。 ありがとうございます。 文をまとめるのが下手で、こんなお礼の仕方になってしまいましたが、あなたの言葉は自分の心を軽くしました。 ありがとうございました。