• ベストアンサー

努力した経験談をお待ちしてます。よろしくお願いします

私は現在、絶対に努力しなければならない状況にあります。 しかし、元来、怠惰な性格ゆえに、すぐにラクしてしまいます。 ラクできる瞬間があろうものなら、一瞬でらくしてしまいます そこで、私もストイックに生きようと思いました。 ある本に 「ラクなところに幸せはない。苦しいところにこそ幸せはある」ってありました。 どなたさまかの努力体験談を読ませてもらい、私もそれで励みになればいいなって思います。試験合格、ダイエットなど。 すいませんが、努力した経験をお聞かせ願いたいです

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#150436
noname#150436
回答No.4

努力と言うのとは少し違いますが 私もどちらかというと努力や忍耐が大嫌いでした。 しかし、ある時、腰痛を患ってしまった。 腰痛と言うのは非常にたちが悪く急激な動きなどをすると瞬間的に襲ってきて一発でぎっくり腰状態になる そこで医者にもすすめられていた腹筋をする事になったんですが 正直、毎日やるのは本当に疲れる 以前の自分なら3日坊主 ではなぜ続いたと言うと実際に効果があったから というよりやらないとまた動けなくなるっていう恐怖心が勝っちゃって 怠け心がすっかりなくなっていた それで腹筋を続けるうちにやがて腰痛にもなりぬくくなり お腹も仮面ライダー状態になってしまった 最近はやってないけど特に問題はないですね それに朝起きるのも嫌だったですね でも社会人になると遅刻もそうそうしてられなくなる そこでたいして寝てなくても起きて出勤してると 当然、夜早くに眠くなる そのうち時間がある程度落ち着いてきて起きるのが苦じゃなくなっていった これもまあ正直、恐怖というか責任感からでしょうか なので私の場合は元々は温和でだるがりな性格だったのですが 今では「自信がなくて出来るかなあ」なんて不安はなくなりました。 例え夜更かししたり、悩みがあって眠れない日でも寝ずにでも出勤できるほどになりました。 ですので私の場合は責任感ですかね 腰痛も結局自分の自己管理しかない誰のせいにも出来ないと思ってやってましたから

noname#22517
質問者

お礼

ありがとうございます 責任感ですね 私も自分の使命みたいなものをもって毎日を生活していきたいです

その他の回答 (3)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

>ラクなところに幸せはない。苦しいところにこそ幸せはある っていうのは、 「苦しんだから幸せになれる」という意味ではけしてなくて、 「苦しい思いをしてきたから、本当の「幸福」の意味を知ることが出来た」という意味です。 「楽して得取る」ことは出来ても「楽して「徳」はとれない」もんです。 その「根本的な意味」を良く理解してかからないと、人生の「遠回り」をすることになりますから注意。 でも、私は「楽に、のびのび生きててもいいんじゃない?」と思います。 人にはそれぞれ「相分」と言うものがありますからね。 ただし「楽に生きていたい」ばあいでも、目前の「課題」から逃げつづけて生きると、ろくな結果になりません。 自然相手の暮らしを考えるとわかりやすいのですが、畑を作って自給自足をしてくらそう、と考えたところで、畑に生えた「雑草」をほったらかしにしてたらば収穫量は減ってしまいます。 毎日畑に出ていないと、サルやらいのししやらに収穫を取られてしまいます。自分の食い扶持さえ、確保できなくなってしまうでしょう。 「楽」とは 「自分の心が楽になるために」使う言葉であり、手段です。 そうで無いのは「怠け」っていいます。わかるよね?。 自分が「楽しい」暮らしをするために懸命になって生きることが「楽な暮らし」というものです。そこを勘違いしている人が多すぎる。 「怠け」は、「楽」にはつながらない。 「ストイック」に無理になっても仕方が無い。 本当の「楽」とは「苦労も伴うもの」であり、それが「幸福」への近道である、と言うことです。

noname#22517
質問者

お礼

>自分が「楽しい」暮らしをするために懸命になって生きることが「楽な暮らし」 ・・・肝に銘じときます 畑の例がとてもわかりました ありがとうございます 目の前の課題から逃げてばかりいた自分を変えて生きたいです

noname#108709
noname#108709
回答No.2

私が読んだ本には、 努力・根性などと幸せは無関係。その点は人生は理不尽。 というようなことが書かれていました。

  • rinring
  • ベストアンサー率18% (822/4396)
回答No.1

私がまだ小学生の低学年の頃、かなり給食を食べるのが遅い子どもでした。 昼休みの終わりの予鈴がなるころにやっと一人で、給食室に食器を返しに行く事もしばしば。 調度高度成長期にあたり、児童数が増えて学校自体が半分に分かれて新設の学校に移動しました。 クラスメートや先生も変わり、それをきっかけに一大決心のようなものを幼いながら思ったのでしょうか、相変わらず嫌いな食べ物は多かったのですが、嫌いな物は先にかまずに飲み込んでしまえば良いと考えるようになって、食器を一人で片付けに行くような事もなくなりました。 それまでは給食が楽しみだという事もなかったのですが(むしろ苦痛だったと思います)、早く食べられるようになって、好きなものはちゃんと味わえるようになりました。

noname#22517
質問者

お礼

ありがとうございます 小学生ながらすごい成長ぶりです

関連するQ&A