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あなたのどん底努力体験!

ものすごく努力をして成し遂げたことってありますか?それも並大抵ではなくてはちゃめちゃなやつです。 例えば、野口英雄ばりに死ぬ気で勉強しまくって3ヶ月で司法試験に合格した!(さすがにそれは無理か・・・)とか、 ゼロからサッカーを始めて血の滲む練習の末に半年でレギュラーになったとか(スポーツはある程度才能が関係しますが・・・)、 英語も分からず単身アメリカに渡ってどん底生活を経験しながらついにブロードウェイの舞台に立った!とか、 一ヶ月で本を500冊読んだとか、 日本を竹馬で一周したとか、とかとか・・・ とにかく自分の殻をぶち破り、努力の末にここまでやり遂げた!という経験をお持ちの方(または知り合いでも可)お話お聞かせください。また、その志や覚悟、辛かったことや犠牲にしたもの、そこまで努力する秘訣など、一念発起あの努力があったから今の私がある!人間やればここまでできるんだ!そんな体験談を教えてください。

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回答No.3

現在25歳の女性です。長文ですが、よかったら私の経験を聞いてください。 私が小学校高学年の時、父の長年による借金癖&ギャンブル癖、およびそれに耐えられなくなった母(母は家庭を立て直そうと必死で働き3年で1000万円の借金を完済したのに、父は次々と新しい借金を作る。これの繰り返しでした)に恋人が出来、両親は離婚。 苗字が変わると学校でいじめられる。それだけは嫌だ…と当時は思っていたので、父の苗字のまま、母と新しい(母の)旦那さんと一緒に暮らすことに。※父は自分の田舎へ帰ってしまったのです。私と姉はこれまでも転校が多かったので、これ以上転校したくないと思い、関東に残ることにしました。 父からの養育費も送られてこず、母から私たち姉妹への風当たりは強くなるばかり。母は再婚した自分の旦那さんに申し訳なく思っているようでした。元夫の苗字のままの自分の子供を二人も一緒に住まわせてくれている、ということでしょうね。今は少し理解できるようになりましたが…当時はきつく当たられ、味方もいなくてとても辛かったです。(姉は当時第2思春期で私とはあまり話しもしてくれなかったので、味方がいないと感じたのかもしれません) 姉が希望の高校へ進学。数年後私もいよいよ高校受験というとき「お金かけられないから、県立に行って。通学定期代も負担だから地元の高校にして」と母から言われました。志望校に合格できる学力は十分あると担任の先生も太鼓判を押してくれていましたが、お金のことを持ち出されては太刀打ちできないので、地元の悪名高き不良高校に進学。高校一年生の一学期を、それでも一生懸命楽しもうとしていた私に、母は「もう高校へは通わせてあげられない」と言いました。姉はそのまま高校に通っていられたのが今でも謎ですね…。私は何かと母から目の仇にされていたように思います。特に父に顔が似ていたわけでもなかったのに、不思議です。 全日制の高校へは入学から一学期間だけ通い、その後定時制に編入、同時に就職&就職先の寮に入って新しい生活がスタート。10代にして一家離散ですね。就職先では先輩からのイビりあり、偏見あり、トイレ風呂共同。そういえばお風呂のガス器具の調子が悪くてお湯が出ず、歯を食いしばりながら水のシャワーを浴びた日もありました。正直言って厳しい日々でした。でも親がああだからやっぱり子供も駄目なんだな、という周囲の偏見を跳ね返したい一心で、それこそ石にかじりついてでも絶対高校を卒業するぞ、と強く思っていました。朝5時から働いて、夕方から夜まで学校。必死で勤めた就職先も3年が経とうかというとき、職場側からの理不尽な通達により辞めざるを得なくなり、独り暮らしを始めました。学校に通わなくてはならないので、仕事にも制限があります。バイトを掛け持ちして食いつないだことも。ただ生きて食べていくことに必死でした。中学の頃の同級生や、まわりの同世代の子達がお洒落して生活の心配をせずに毎日を送っている事実が、ただただ羨ましかったです。 学校の授業が終わった後、希望者だけに教えると先生が申し出てくれた簿記の勉強をし、2級まで取得することができました。そんなこんなで頑張りとおした3年半。無事高校は卒業しました。卒業式の日に感じた達成感はこれまでに無いものでした。 現在は、当時取得した簿記の資格を生かし都内で派遣社員として働いています。また、今年の3月から会社がおわったあと専門学校に通い、さらに高度な資格を取得しようと邁進中です。 人生はまだまだ長くて、これからも色んなことがあるだろうけど、あの経験があるから頑張れそうな気がします。恨みがましい発言を文章中でしてしまいましたが、今となってはその経験が支えになっています。どこに行っても生きていけると思えるようになったからです。 ところで、質問者さん。これから何か成し遂げようとしているところなのですか?だとしたら、何があっても決して諦めずやり通してくださいね。応援しています。私もまだまだこれからです。お互いがんばりましょう。

kaienn
質問者

お礼

返信大変おそくなり申し訳ありませんでした。私もあまり幸せな家庭生活をすごしてきたとは思っていなかったのですが、engawa-engawaさんの話を聞いていると自分の不幸がたいしたことでもないのに騒いでいたように思えてきました(こんな不幸比べをして申し訳ありません)。まさにengawa-engawaさんの体験は「生きる」そのものだと思います。けれど向学心を忘れることなく勉強する姿に感動しました。私は、engawa-engawaさんが卒業式が感じたような達成感を感じたことはあるだろうか・・・と考えたとき、悲しくなってきます。回答ありがとうございました。

kaienn
質問者

補足

みなさんの努力体験ありがとうございます。 >ところで、質問者さん。これから何か成し遂げようとしているところなのですか? そうですね、何をしていいのか具体的な目標はないですが、いずれは大きな何かを成し遂げたいと思っています。 そしてただ単純に人の努力話を聞くのが好き、というのもあります。とても自分に真似できないような努力を人がしているのを見たり、聞いたりすると自分の至らなさを痛感すると同時に、人間の能力の素晴しさ、努力することの美しさを感じます。だから努力のテーマを大きめにしました。 このような質問をまたアンケートカテゴリーでしたいと思います。皆さんの話、もっともっと聞きたいので。回答者のみなさま、ホント素晴しい話をありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • kogechibi
  • ベストアンサー率52% (1899/3587)
回答No.2

20年位前、高所のエアコン取りつけ工事中に足場が崩れて5メートル下のコンクリート床まで落下。背骨を骨折し、死亡寸前でした。 1年間寝たきり状態、歩くようになれるまでまた1年かかりました。これ以後、高所恐怖症になり、また背中を曲げることが出来なくなったので仕事を何度か変わる経験をしました。 運悪く、再就職した後足の膝を粉砕骨折して、また無職になりました。これも歩けるようになるまで半年かかりました。 就職活動でまた一年間苦労して、ようやく以前と同じ職種に就職しましたが、当初の約束と違い、現場作業で、重量物運搬、アンテナ工事、エアコン設置ばかりです。 本来さけなくてはならない仕事ばかりですが、就職難から毎日、恐怖感と戦いながら必死に仕事をしています。「できません。」とは言えないからです。 筋肉をつけて、つぶれた骨の回りをカバーさせるトレーニングをしています。 やった、と思えたのは、5メートルを超える屋根の上に、何度もチャレンジしてようやく上れた時です。昔は平気で歩き回っていた高さが恐怖になってしまって、情けない状態でした。この時は「オレは帰ってきたんだ。」と実感しました。

kaienn
質問者

お礼

返信おそくなりすません。私なら、事故に遭ったら全く違う職種に就くでしょう・・・。不屈の精神ですね。「恐怖と戦いながら」という部分にその闘志がみなぎってます。「できません」とは言えない・・・それぐらい社会は厳しいものですよね。一度自分にそれほど覚悟があるのか考えてみます。

noname#17197
noname#17197
回答No.1

高校生のとき学校の勉強についていけず挫折。 テストは毎回ほとんど赤点ぎりぎりで、評定は最悪。教師からも周囲からも 「バカ」の烙印を押され、そのうち学校をサボり、繁華街のゲーセンに通う毎日。 悪いことはほとんどやってきました。母は泣いてました。 でもあるとき、さすがにコレじゃ俺の人生終わってしまうと一念発起。 腰掛で大学に行ったら環境に流されやすい自分は遊んでしまうと思い 公務員の専門学校に。 今までほとんど勉強したことのない男が、警察・消防・自衛隊を目指す熱い 友人たちと「一日12時間×365日×3年間」、それこそ倒れるくらい勉強して、 官僚コースの上級公務員試験に合格しました。 学生時代の挫折なんて、通過点にしか過ぎないもんです!

kaienn
質問者

お礼

専門学校卒で上級に受かるなんて・・・(大卒でもなかなか受かりませんよね)すごいですね。ほんと倒れるくらいに勉強した経験がない私からすると、驚きです。もしかしたら今の私はkk717さんの高校生の頃に近いかもしれない(あぁ親が泣いている)。頑張ります。ありがとうございました。