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子供の失敗に「謝ること」を求めてばかりの親って?
テストの点数が悪くても親に謝るのはおかしいと思います。 「せっかく応援してくれてるのに期待に添えなくてごめんね」といニュアンスでは無く、 「点数が悪い=謝りなさい」という感じがおかしいとは思いませんか? 怠けていたとしても「頑張らなくってごめんね」・・・・というのも、 おかしいです。 将来、「自分のしたくない仕事で充実しない毎日で、給料も安くて生活が苦しく、息抜きしたくても生き抜き出来るような余裕が金銭的にも無いうえに、 好きな人ができても金銭的に自立できていないから結婚はできないとか、 (相手が看護婦などで高給なら、それをアテにして結婚できますが)相手の親からの反対がある」とか・・・ 苦労するのは全部自分で親ではないですし。 親が子供にするべきは叱ることや謝らせることではなく、勉強の必要性をどのようにして伝えるかということだと思います。 それが分かった上で怠けるなら、その将来は本人が選んだ苦労です。 塾に行きたいと願っていかせてもらっているのに、怠けていたなら それは親に謝るべきですが・・・。 子供以上に親が心配して必死になるから、「成績の良し悪し」が 子供の克服するべき問題ではなく、親の問題になっていうように思います。 だから、「お母さんが勉強しろっていうから、やる気なくなった。 もう今日はしないからね!」と、 自傷行為に近い?不思議なことを思ってしまうのではないでしょうか? おもちゃ箱をひっくり返してしまったときに叱るのも筋違いですよね。 本人が、片付けるのが大変なだけなのに・・・。 なぜ親が怒るのでしょうか? ちなみに親が手伝ってくれたら「ありがとう」ですよね。 出かけ間際で急いでいるときなら、「時間とらせてごめんね」でしょうか。 ひっくり返しただけで「ごめんね」ではおかしいですよね。
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お礼
>昭和末期まで、日本は「先生の体罰によって子供が死亡した場合、行き過ぎではないのだろうか」ということが本気で真面目に議論されるような国だったんです。 怖いですね(@_@) でも昭和の時代に育った人が、今親になっているので 自分の親の影響を受けたりし、なごりがあっても不思議ではありませんね・・・。 でも案外、昔の育児書を読むと今と変わりませんでした。(たまたまかな?) 昔は、良く言えば「感情で体当たり教育」で、今は子供に対する影響を考えて気持ちを抑えることもあり、 試行錯誤、育児を勉強しながらという感じのような理性的、理論的な育児をしているような気がしますね。 (昔の育児を好む方はそれを機械的に感じる人、甘すぎるという人もいそうですが)疑問がとけました!!ありがとうございました^^