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ボランティアという言葉。

私はボランティアという言葉が嫌いです。なんとなく見下している様な気がしてイヤです。それと、障害者の人は、いろんな施設などが安くなったり、無料だったり・・・。そういうのって自分がそういう風にされたらイヤです。普通に対等に同じくじゃ、だめなんでしょうか?みなさんの意見聞きたいです。

みんなの回答

  • fuchikoma
  • ベストアンサー率17% (82/466)
回答No.5

 英和辞書を引いてもらえればわかりますが、「ボランティア」とは「志願者、志願兵」という意味があります。つまり、志願して、「やりたいからやる」のが本来の「ボランティア」なわけです。  現在は、ボランティアそのものが目的となっていますが、本来は手段でしかありません。日本語で言えば、「手弁当」です。「手弁当」で活動している人を「ボランティア」と呼ぶと、また異なった印象があるのではないでしょうか。  また、いわゆる障害者割引ですが、確かに無意味に思えるかもしれません。しかし一方で、障害者は給与水準が低く、平均所得も生涯所得も、健常者に比べて少ない現状があります。  そして社会参加を促進する目的もあります。  ですから、社会の不備を少しでも是正することを目的としている側面もあります。cyuripikaさんが、かえってイヤダと思われるのなら、他の方法を考えて実行すれば良いように思います。  ただ、理想と現実は同じではない、ということです。

回答No.4

ひとむかし前は「奉仕」なんて言ってましたが、今では「たてまつりつかえる」なんておかしい、という意見が多くなっています。ボランティアという言葉も、だんだんいやらしくひびくような人も多くなってきているようです。 スタッフとか、協力者とか、いろいろ呼び方を変えている団体もあります。 最初は「ボランティアさん」とまとめて呼ばれるかもしれませんが、関係ができれば、「cyuripikaさん」と呼ばれるようになるでしょう。もちろん、cyuripikaさんも相手を名前で呼ぶようになるでしょう。 そうしたときに、「普通に対等に同じく」、つまりノーマライゼーションが実現するのだと思います。 あまりこだわらないことが、あなたのいう「普通に対等に同じく」ということなのだと思います。

noname#1660
noname#1660
回答No.3

ボランティアの意味を取り違えていらっしゃるのでは? 本当の意味は「自ら進んでする」という意味ですから、 言葉的にはいい言葉なんですよ。 日本国内では、「人の嫌がることをする」みたいに捉えられていますが・・・

  • syunpei
  • ベストアンサー率27% (194/717)
回答No.2

別にボランティアは無償とか、見返りを求めないということだけでなく、有料ボランティアといったものも在ります。 それと、障害のある方にボランティアをするといった考え方でなく、障害のある方から健常者が受けるボランティアもありますよ。 自分は、障害者・健常者といった言い方は嫌いなので、使いたくないので、これ以下の内容では使いません、体の一部が不自由だからといって、本当にそれが障害であるかは疑問があります。 ボランティアって、結局意識しないで、自分以外の人にすればいいのでは、ないでしょうか。 たとえば、毎日道路や公園のゴミを少しづつひらって歩くとか、毎日自宅の周囲も少しずつでも掃除するとか、近所の子供たちに、絵本を読んであげるのもボランティアです。 また、車いすの方でも、パソコンの操作がなれている人は、一般の方にパソコンを教えるとか、子供たちに本を読んであげるとか。 近所の公園の管理をしている、ボランティアの老人倶楽部の皆さんに、地域通貨をさしあげて、報酬をさしあげるとか、地域通貨は、円では実現できない地域の流通とコミュニケーションが実現できるといったメリットがあります。 まあ、ボランティアって意識しないことが一番重要ではないかと思います。 けして強制されてしなきゃいけないものではありませんし、ご自分がボランティアが好きじゃないと思われたら、それはそれでいいと思いますよ。気にしないほうがいいです。

  • 19san
  • ベストアンサー率19% (42/215)
回答No.1

あなたの周りに障害を持った方はいますか? 障害の度合いは人によって様々ですが、全く人の助けを借りずに生活できている人はほんのわずかだと思います。 足が不自由な人は健常者よりも交通機関を利用するし、他の障害だって何かとお金の負担が大きいです。 私には結構重い障害をもった叔母がいるのですが、やはり障害者の様々な控除のおかげで色々と助かっていると父母が言ってました。 健常者と同等にというのは確かに理想かもしれないし、そういう気持ちを持つことは大切だけれども、何もかも健常者と同じにしてしまうと障害者自身、障害者を抱える家族にとっては苦しいことになると思います。 自分自身あるいは家族の誰かが障害を持ってしまったら・・・ということを考えてみてください。