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田中康夫氏の業績について

田中氏の在任中は実際に長野県は借金を減らしていたと聞きますが 一番の要因は何でしょうか? また、あれだけ人気があった氏がどうして落選してしまったのかぜひお教え下さいませ。

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  • yui_o
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回答No.1

一番の要因は、無駄なことをきっていったからです。 また、県議会の議員は良くも悪くも田舎議員で自分を支持してくれる基盤と自分の利益優先で行動していました。 (これは前知事の時代が腐敗しすぎていたのが最大の問題でしたが) それを、県外から来たそれらの関係がまったく意味を成さない田中氏が来たのでさぁ大変でした。 今までの腐った関係を全て無視してさまざまな仕事を少なくしました。 (ダム建設の中止もそれの一つ) それにより、議会内部と知事でかなりの対立が発生して 独裁とまで揶揄されるような状態でした。 そして、選挙直前におきた大雨による災害が一つの敗因です。 現知事は、ある意味災害関係の偉い人でした (防災担当大臣を歴任してたので) それにより防災対策に期待され現知事が当選してしまったのです。 (現知事は暴走し始めてますが) これからの県政がどのように改悪されるのかある意味楽しみですよ。

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  • moto21
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回答No.5

彼は、今までがん細胞が増殖する中で抗癌剤の役目でした。 しかしがんが進んでいた状況では効き目の強い抗癌剤使う必要があったので副作用も多かったのです。 例えば議員の調査費の件や職員の給与など中々手をつけられないところまでやっています。しかし後半コモンズなどという考えやそれに伴う組織変更は私にもわかりません。特に高齢者も多い県ですので詳しい説明もなく横文字では理念のみの先行で浮いている感じす。 やはり吐き気や脱毛などの副作用と効果を考えもう少しマイルドなのを選んだのだと思います。 ただ村井知事もオリンピックの使途不明金のことを当時の最良の判断だからもう良いのではと言っているようなので後戻りが心配ですが・・・

  • nacam
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回答No.4

長野県人です。 田中前知事は、完全に外部から来た人でしたので、それまでの議員と知事の談合による政治には全く考慮せず、県政運営を行いました。 それが、自民党や民主党の県議たちの集票システムを破壊する事になるため、県議会と徹底的な対立を生み、さらに市町村長との対立も生む事になり、県議会や市町村長のいやがらせとしか言いようの無い反対のため、まともな県政運営ができなくなってしまいました。 公共事業などの大幅な削減は、議員や市町村長の集票システムをマヒさせ、工事費の大幅な削減にも寄与しましたが、さの一方建設業界での倒産が増えたり、だれも請けてのいない工事がでたりしてしまうようになってしまいました。 田中知事を反対した人の最大の理由は、彼の思いつき人事でした。 だれが考えても疑問がつくような人を側近にそえたり、考え方の違う人を簡単に解任したり、田中知事の思いつきに振り回されて心身ともに擦り切れて退任したり、議会や市町村との狭間で苦労したりして、有望な側近が辞めたり解任されたりで、いなくなってしまった事を繰り返したため、県民の期待にこたえられなくなってしまいました。 知事選では、自民・公明党・連合公認で、民主党推薦(実質的に)の村井氏に対し、田中氏支持は、無党派層中心での選挙戦でした。 (共産党は、消極的支持・社民党は中立) それでスコアは、6:4で村井氏の勝利となりました。 私自身は、田中氏に投票しましたが、田中氏の人材登用・活用には、はっきり言いまして不満でした。 田中氏の周辺にブレーンがおらず、田中氏がその必要性を感じなかった事が最大の原因です。 泰阜村への住所移転問題や、新党日本の党首となったり、出張旅費の問題も、田中氏の足を引っ張った事もたしかですが、最大の原因は、田中氏の人事と議員・市町村長の徹底した抵抗です。 さらに、地域の高校統合計画(各学年2クラス程度の高校を統合しようとしてその地域から反発を買った)も、最後の最後で足を引っ張りました。 今度の村井氏は、公共事業の積極的拡大、財政の積極的支出、高校統合の一部廃止などを進めています。

回答No.3

田中氏は長野県が持っていた貯金を借金の返済に充てただけです。例えれば、子供の学資預金を父ちゃんの借金の穴埋めに使ったようなものです。裏話をすると。前副知事の池田ふみたか氏が長野冬季オリンピックに絡んで、当時の長野県の出納口座の筆頭である八十二銀行から多大な資金を支出されたため、この人が知事になったら大変ということで、当初は千葉県知事になった堂本女史に頼んだんだけど時間切れで康さんにしたみたい。結果は素人ながら様々な改革をしたんだけど、まぐれ当たりもあったけど大半は失敗で、だんだんブレーンが去ってしまった。職員も、最後は3%しか支持しなくなり、落選しました。利権政治はダメといいながら、自分の友人を特別採用したり、意見が違うと交通の不便な村に配転したり、職員間にチクリのホットラインを作って、自分の政策に批判的な職員をリアルタイムで遠隔地に飛ばし?ました。そのため、ここ何年かは職員録が当てにならない状態でした。この間の騒ぎは、県職員幹部とメインバンクの権力闘争でした。特に、公共事業には強い不信感を持っていたため、土木関連の国庫補助事業(県で計画した事業の1/2~2/3が国から補助される)ことを極端に嫌ったために、多くの建設会社が倒産し労力でしか生活費を得られない労働者が現在も路頭に迷っています。確かに、一部のゼネコンには、そのようなところもありますが、会社が使う事業費や交際費、賃金などの経費と、それらのかたがたが支払う税金が滞納になつたり払えなかったり、結果として、今長野県での授業料が払えない高校生の激増や退学、小中学校での給食費の払えない児童・生徒の増加などが出ていますし、この子たちの将来の職場が無くなってしまいました。ブレーンも何度か注意をしたようですが聞く耳を持たずに、落選となったわけです。ただ、話題には事欠かなかった方なので、パフォーマンスで惑わされている方もおります。あるブレーンの方の残した言葉が印象的だったので紹介しておきます。田中氏は富士山に似ている。遠くで見るとすばらしいが、近くなるほど、ゴミが目立つ。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.2

新党日本(郵政造反組みが立ち上げた政党)の党首になったのが致命的だったと思います。公共事業をきっておきながら、利権議員の親玉に座っては、何がしたいんだかわかりません。