• ベストアンサー

都教委敗訴の賛否

おはようございます。 タイトルどおりなんですが、中村教育長の、「個人の思想・信条の自由があるとはいえ、学校現場で学習指導要領に反する姿勢を生徒に見せることが教育なのか」がすべてを語ってると私は思います。 教師は、自分の権利を前面に押し出す前に、職務を考え、自らの行動が生徒にどのような影響を与えるかを考えるべきだと思います。これは、明らかに個人の為なら“公”を軽んじてもよいと言う考え方であり、ひいては社会が解体されてもかまわないとの考え方に通ずると思います。 国家・国旗に反する信条は持ってもかまいませんが、せめて起立しなければ、式典の進行自体に支障をきたします。それを見た生徒も、少なからずショックを受けることでしょう。このような、子供じみた行動しか取れない教師側が勝訴するとは到底納得できません。私にも子供がいますが、このような偏った考え方を持った教師がいると思うと、非常に不安です。 皆さんのご意見をお聞かせくださいませんか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nao51
  • ベストアンサー率31% (33/106)
回答No.1

 高校の教員をしているものです。  全く同感です。私は教員の信条如何の前に、それによる生徒児童に対する影響力を考えて行動すべきだと思います。儀式という、形式を重んじ、そのスタイルを生徒児童に指導すべき立場のものが、何を考えているんだと思って止みません。  しかし、問題は根深いものがあります。といいますのも「間違っていることを容認して、『職務命令は右にならえ』という姿勢は見せてはいけない」というのが、一部の教員にあるためです。こういう教員に聞きたいのですが・・・生徒児童が「自分の信条だから」といって好き放題教室内で暴れていたとき、どう説得するのでしょうね。  儀式の際に、形式よりも信条を優先して反発する教員。授業中、自分の我を優先し、好き放題暴れる生徒児童。どちらも倫理観に欠けますが、教員は「人を正しい方向に導く」という立場にある以上、教員は許されるべきことでは無いように思います。

term-ott
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。現場の方からのご意見を伺えて勉強になります。 >「間違っていることを容認して、『職務命令は右にならえ』という姿勢は見せてはいけない」というのが、一部の教員にある 一見、正しいように思えますが、“間違っていること”とは、彼ら一部の教師の内面では、間違ったことなんでしょうが、通達は一種の法である以上、悪法でも法であるとの考え方で、表面上は従うべきです。悪法だと思いさえすれば、従わなくともよいと言う悪いお手本を示すべきではないと思います。ご回答者様のおっしゃることはごもっともです。 その上で後日、クラスの話し合いの場で教師が意見表明をし、皆で議論をするのは何らかまわないとは思います。そういう手順が理性のある者がとる手続きではないでしょうか。 ご意見ありがとうございました。

その他の回答 (15)

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.6

「悪法も法なり」 今回の判決では都教委の通達自体が違法である。 とされた訳ですから、それなりの解釈が必要となってくるのでしょうね。 つまり法令が全て正しい訳ではありません。 今回訴えを起こした人たちがいなければ、教委通達に問題があることを公に明らかにする事は出来なかった訳です 法令が全て正しい訳ではありません。 人にはそれぞれ尊重されるべき主義主張があります その中で如何に柔軟に対応し、無用な混乱を招くことなく 正しい教育を行うべきかをいま一度斟酌せよ。 今回の判決はそのような事を言っているように思えます。

term-ott
質問者

お礼

早速ご回答いただき感謝いたします。 おっしゃるとおり、今回、違憲であると司法が判断しましたので、教師は生徒さんに説明した上で、国歌斉唱などを拒否することができると思います。 問題は今迄の事です。司法判断以前は、自らの判断基準で通達違反をしていたわけですから、その時点では彼ら教師が違法ではないかと思うのです。命の危険があれば別ですが、自分の主義・主張で法を犯す教師の姿を、生徒たちはどのように見ているのか、それが不安でした。同じように、生徒たちも、自分たちの主義主張に合わない法律であれば、守らなくともよいという手本となりはしないか、それが心配でした。 ご回答者様がおっしゃる、様々な主義・主張に柔軟に対応する正しい教育を、彼ら、一部の教師がしているようには私には見えませんでした。 考えさせられるご意見、ありがとうございました。

  • nosurizm
  • ベストアンサー率8% (5/61)
回答No.5

私は欧米諸国がそうであるように、国歌や国旗を愛する心は教師が学校で教えるべきものではないと思っています。 特定の宗教や政治思想というものは学校からは遠ざけるべきものだと思います。 その観点から言わせてもらえば、教師は学校内で発生した国歌や国旗についての問題については何ら職務上の責任を負う必要はないと思いますし、それらについての問題で処分されるのも不当だと思います。 判決は真っ当なものだと考えます。 また、処分の理由として「式典の流れを阻害するから」という理由をがよくあげられますが、それは儀式という隠れ蓑を利用した論理のすり替えでしかなく、本来の理由は「国歌や国旗を尊重しない態度が子どもに悪影響を与えるから」というものであるはずです。 そして、「国歌や国旗を尊重しない態度が子どもに悪影響を与えるから」という理由で教師に処分を下すことは、国歌や国旗を愛するような空気を学校内に「強制的に」作ろうとしていることになるわけで、やはり違憲になるのだろう、と思います。 こう言うと、「国歌や国旗を愛するのは国民として当たり前だ、それを強制して何が悪い」という意見が出るかもしれませんが、もし本当にそれが当たり前なら、わざわざ学校に国歌や国旗を持ち込んで、それらを愛する心を「育てる」必要などないわけで、そうでない現状をみるに、やはり、愛国心というものを過去の汚点として封印してきた20世紀後半を歴史に持つ日本では、まだまだ国歌や国旗は「愛されて当たり前のもの」ではなく、「政治的イデオロギーの象徴」「戦後の卑屈な時代のコンプレックスからの開放の象徴」としての意味合い・役割のほうがまだまだ強いのだと思います。 そして、そういった意味合いが強いうちはやはり、国歌や国旗を学校に「強制的に」持ち込むべきではないと、私は思います。

term-ott
質問者

お礼

また、違う観点からのご意見、ありがとうございます。 おっしゃるとおりに、実体に愛着がないのに、その象徴に愛着を持つなんてできません。日本が、ある一部の国から言われているような醜い国ではないとの証明をして見せれば、これほど教職員の間で拒否反応が出ることもないのかも知れません。私は、自分なりに各種の書籍、資料を調べて、日本が突出して劣る国だとは少しも思いません。どこの政府であっても過去を遡れば、封印しておきたいことも多々あるのではないかと思います。 ただ、子供を、自らの生まれ育った国を誇りに思えるように教育してあげるのは、親の役目であると同時に、教師の役割でもあると思います。 「国歌や国旗を尊重しない態度が子どもに悪影響を与えるから」という理由・・・は、私は考えていませんでした。私が考えていたのは、現に通達(≒法)として出されているものを、個人の判断で守らなくともよいと言う教師の論理が、生徒さんに悪影響を与えやしないかと言うことでした。 つまり、自分が気に入らなければ脱法行為も許されると言う考えに傾きはしないかということです。違憲で確定するまでは、いやでも従わなければならないと私は思っています。 この問題の本質の、強制的な国歌・国旗の学校への持込に関しては、私もどちらかと言うと、ご回答者様のお考えに近いです。 勉強になりました。ありがとうございました。

回答No.4

私は件の裁判について深く考えたことはあまりないので、非常に単純な(というか浅い)意見で申し訳ないんですが…。 私は、式典の際の国歌・国旗等に何の問題があるのかわかりません。 そもそも、生徒らがそんなに重苦しいものだと思ってないと思うのです。 私は国家斉唱自体を疑問に思ったことがないので…別段、強要されているという意識はありませんでした。 (落ち着きのない生徒に「ちゃんと歌え!」といっても「強要した」とは違いますよね?ただの指導だし。) 個人的には今のままで不自由はないと思います。 …というか、なくなってしまったら場がしまらないよな~といった単純な考えでした。 今後、式途中でも好き勝手する生徒に →「ちゃんと歌いなさい」と注意 →「強要だ!違憲だ!」と馬鹿騒ぎをするバカ者 …が、各地で現れることのないよう願っております。

term-ott
質問者

お礼

早速のご意見、ありがとうございます。 おっしゃるとおり、過敏に反応しておられる方もいらっしゃるかもしれないですね。私が学生のときも国歌斉唱はあったと記憶していますが、思想信条を害されたとは思いませんでした。(私の意識が低かっただけかもしれませんが。) そういう過敏な反応に触発される生徒さんがいなければと、私も思います。 ご意見ありがとうございました。

  • walkingdic
  • ベストアンサー率47% (4589/9644)
回答No.3

現状は大きく偏っているのです。これは一方だけの話ではなく双方が偏っています。 つまり、入学式等に於いて何故国旗掲揚、国歌斉唱(しかも父兄合わせて全員による)が必須であるとする根拠というものが実は乏しいのです。その背景には戦前にそれが行われ、国家忠誠の道具、教育として使われたという歴史があることが非常に大きなマイナス面として存在している為です。 つまり一方はその戦前と同じような教育を目指し(推進派は戦前とは違うと主張)、他方は日本人は元々多様性を大事にする民族であり、また現代において戦前の国家忠誠の思想を取り入れるべきではない(戦後の反省)から、同じやり方はすべきではないとしています。 それが現在の混乱の原因です。だからご質問にある一方だけの非難は適当ではないでしょう。 反対の意見があることを承知であえて強行しようとする側にも重大な問題があります。 ただ現場が混乱していることが必ずしも子供の教育にマイナスであるとは思いません。多用な考え方があり、それらも尊重されるべきであり、そして大人の間でも互いに主張しあうという姿を見せることは特段に悪いことだとは思いません。日本では協調性第一の文化があるのでそのように感じるかもしれませんが、欧米では多用な意見を主張するのはそれが当然のこととされます。 問題は欧米では国歌斉唱、国旗掲揚は皆が積極的に行い良い意味の愛国心形成に役立っているのに対して、日本ではそれが過去に忌まわしい歴史の一因になっていたというのが根本的な問題です。 それでも欧米では学校、つまり教育の中で国歌斉唱、国旗掲揚を行うことは実はほとんどありません。またそれを強制する試みは欧米でも行われましたが、思想の自由に反するとして裁判にて負けています。 要するに日本の国歌斉唱、国旗掲揚は欧米を見ても奇異なのです。でも欧米では日本よりずっと国旗と国家は愛されています。教育の現場に持ち込む必要性がどこにあるのかという根本的な問題がここにあります。 ちなみに日本と同じ立場のドイツでは、国歌と国旗は戦前から存在しますが、戦前も戦後も教育現場には持ち込まれていませんでした。そのため日本のような教育現場における問題は生じていません。

term-ott
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございます。 おっしゃるとおり、元をただせば、取ってひっつけたように強制するところに原因があるのかもしれませんね。 都で300人以上もの処分を受ける教師がいる現状を考えると、国歌斉唱、国旗掲揚を式典に持ち込まないほうが、教育的観点からは好ましいのかもしれません。 この先事態はどう変るかはわかりませんが、現状ではそれは通達であり、法です。法の善悪は置いといて、それに粛々と従うのが教育者のとるべき態度だと思います。そういう意味合いで、今回の判決は私にとっては疑問が残ります。例えは悪いかもしれませんが、税金が一部政治家の懐に入るからと言って脱税する人の論理と、だぶって私には見えます。 悪法であろうがなかろうが、まずは従ったうえで、その後議論することが必要ではないかと思います。 この件に関する国際比較は勉強になりました。ありがとうございました。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.2

>>「個人の思想・信条の自由があるとはいえ、学校現場で学習指導要領に反する姿勢を生徒に見せることが教育なのか」 では、教育現場から乖離した学習指導要領に盲目的に従う事が教育なのでしょうか? 納得のいかない押し付けに対しては説明を求める姿勢が必要だと思いますし、理不尽な要請にはノーと言っても良いはずです。 それを体感させる事も教育であるように思います (まあ、教育を受ける側の資質もあるからなぁ、お上にはとりあえず逆らおうってひねくれ者を生みかねないけど) 国旗・国歌に関しては、それにまつわる歴史背景を含めてきちんと教えることが必要だと思います もっとも反発している人たちは国旗掲揚・国歌斉唱を「強要」される事に否を唱えているみたいですね。 問題は国旗・国歌を用いることではなく、それを強制しようとするお役所の手法にあるのではないかと思います 強制するのは憲法違反だよ、だから強制ではなくて、皆が進んで行うようなやり方、教育を考えなさい。というのが本音の判決だったように思います。 (ちょっと斜めに読みすぎかな?) ちなみに私は国歌斉唱・国旗掲揚に賛成です。

term-ott
質問者

お礼

早速ご回答を頂き、ありがとうございます。 >教育現場から乖離した学習指導要領に盲目的に従う事が教育なのでしょうか? NO.1様に書いたお礼にも関係しますが、法(=都教委の通達)に反する行動を、率先して教師が行うということに対して私は疑問を持っています。 もしも、それらの教師が事前に生徒たちに充分な説明責任を果たしていたとしたら、生徒たちへの悪影響も幾分弱いかも知れません。しかし、教師が起立しないのは他のクラスの者も見ているわけで、全校生徒に自らの立場を説明するのは不可能ではないでしょうか。 教師が取るべき態度は、場を乱すことではなく、その式典を厳粛に終わらせ後日、生徒に対して「私は、あなた方への影響も考えあの場は法に従い起立もし、国家も歌ったが、内心ではこう思っている。あなた方はどう思うか。」とでも話し合えばよいことだと思うのです。 社会に出れば、自分の意志を押し通すことができるのは、ほんの一握りの幸運な人でしかありません。不条理であっても、脱法行為でなければその指示に従わざるを得ないことも多々あります。生徒が社会に出た後のことも考えれば、不条理にどう従うかを教えることも、無駄ではないと思います。 少なくとも学校にいる間だけは教育的観念から、教師は全てものを見てほしいと思っています。 余談ですが、私は国歌斉唱・国旗掲揚に対して何の感情も持ってはいません。国歌・国旗に敬意も払いませんし、敵意も持ってはいません。日本という国、国民は好きですが、政府に対しては必要悪だから認めざるを得ないと言う立場です。 ありがとうございました。

関連するQ&A