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浮世絵は、掛け軸の形で鑑賞されたのでしょうか?
富岳三十六景などでしたら納得ですが、歌舞伎役者さんの浮世絵などは、わび、さびの床の間には合わない感じが致します。庶民の皆さんは、ブロマイドのように、ふすまに張ったりしていたのでしょうか。どなたか御存知であれば、お教えください。気長にお待ちしております。
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まず、浮世絵には肉筆画と版画があります 肉筆浮世絵は絵師が紙や絹に描いた直筆画です 同じものは二つとない高価な品で、裕福な家の床の間などで鑑賞されました 浮世絵版画は、大量生産できた、庶民にも求めやすい木版画です 肉筆画に比べて圧倒的に数が多く、一般に浮世絵といえば版画をいいますね 役者絵は確かにブロマイド感覚で、芝居見物のみやげ物並です 破れた襖には貼っていたでしょうね たいていはほったらかしていたでしょうね ヨーロッパへの焼き物の包み紙にしていましたし (当時の日本人にとっては、観賞用ではあったが、芸術作品ではなかった) 版画は、版元にとっても、売れればいい、ただの商品でした ところで、「わび、さび」は茶道の世界のことで、 床の間とは直接関係はありません 江戸庶民には床の間のある家にはまず、住めませんでした (長屋の住人が殆どですから) (床の間は書院造りから始まり、数奇屋へと発展しました)
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- reki4649
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ヨーロッパに広まったのは茶碗などの陶器が割れないようくるんだ包み紙からだそうですから、掛け軸なんてとんでもないでしょうね。 今のポスターやブロマイドのように壁に貼り付けたり見て楽しむだけだったのではないでしょうか。
お礼
おお!早速のご回答、有り難うございます! 二枚目役者さんのブロマイド版画が庶民のお嬢さんたちに人気だった様子が想像できますね。高価な陶器が欧州に輸入された際に梱包材として使用されていた浮世絵に目を留めたのが印象派でしたね、そういえば。
お礼
ご丁寧な解説を本当に有り難うございます! 長屋には床の間がなかったのですね! 床の間はアッパークラスの贅沢インテリアだったという事実に初めて気づきました。破れた襖に貼られた役者絵は想像できますね。