まず、日本の歴史上最初に囲碁の名人として認められたのが本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ。むかしは、ほんにんぼうさんしゃと呼ばれていた)と言う人で、もともとは日海(にっかい)というお坊さんだった。その日海が住んでいたのが本因坊という寺の建物だったので、彼のことを本因坊と呼ぶようになった。
その後、囲碁将棋が徳川幕府によって保護され、御城碁(御城将棋)が始まった。徳川幕府では、碁打ちと将棋指しは士農工商のいずれかにも属していなかった(僧侶も同じ。俗から離れているという位置づけだった)。そして碁打ちと将棋指しが江戸城に入るときには剃髪が義務付けられていた。(僧籍には属さないが、江戸城というところに入るので、それなりの格好で来るというのが当たり前だったらしい。それより、碁の名人は僧侶というのがあったので剃髪するように命じたのかもしれない)
当然、現在の世まで語り継がれる有名な碁聖・本因坊秀策も御城碁を打つ前までは普通に髪を伸ばしていた。
唯一、太田雄蔵という人だけは剃髪を拒否した人物として有名で、当然御城碁に呼ばれる人物なので、碁の腕前は凄かった。
お礼
すいません、締め切った後だったものでメールみてませんでした。わざわざお返事いただきましてありがとうございました