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なんてくだらない仕事なんだ!
僕は社会人8年目くらいですが、仕事を楽しいと思ったことがただの1日もありません。 自分の仕事を なんてくだらない仕事なんだ! と思いながらも生活のためにやるしかない。 という感覚ってみなさんはありますか? あってもなくてもどうでもいいような商品やサービスを垂れ流している感覚とかありますか? 自分が客だったら 絶対買わねーよ と思いながら仕事してますか? どうも僕以外の人は、仕事に辛い時はあっても、それなりにやりがいや楽しい時もあるみたいなんですね。仕事は辛いと言いながらも僕と同じくらい仕事をくだらないとは思っていないようです。 みんなは、仕事は辛い といいながらも、辛い時もあるから達成した時の喜びもある、という種類の辛さみたいなのです。 そういうのは、マラソンを走るのが好きな人が、走るのは辛いけど完走した時に喜びがある、という種類の辛さで、結局の所、総合的には楽しいのだと思います。 そうじゃなくて、僕は仕事がただただくだらないと思っているのですが、そういう感覚、みなさんはありませんか? 私の気持ちが分かる人、こんな人間でも、うまく社会と折り合って生きていく知恵みたいな方法を知っている人がいたら教えて欲しいです。
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No.5です。かつての自分と重なる部分があるので、蛇足ながら書いて見ました。 > 中島義道という哲学の教授 この方は、一般的には困った人ですが、雑誌の連載など、微笑ましいような気持ちで読んでおります。 > もしも仕事をしなくていいなら、沢山の本を読みたいと思っています。 > 家に帰っても寝るだけです。 > 土日に本を読めるだけでは全然満足できないのですが、生活するためには仕方がないかなと思っています。 もし本当にそう思うなら、時間をかけて、本を読むことが可能な仕事に徐々に移行することです(転職も含む)。私は、お金儲けが苦手なほうで、最初から半官半民の非営利団体の仕事を探して就職しました。しかし仕事内容に疑問が出てきたため転職し、失業も2回くらいあったりして、紆余曲折の後、学生さんのお世話をする仕事にたどり着きました。この間、約10年かかっています。 今は、給料はほどほど(多くはないです)。人間関係は、まぁまぁ良好。仕事内容は、非常に地味な仕事なのですが、残業は自分しだいで減らせるし、時には本を読むのが好きな学生さんたちと、一緒に読書会的なこともやったりしております。 本を読む時間は作り出すもので、「土日だって洗濯や部屋の掃除をしなければいけないので、本を読む時間は全然なくて不満です」というのは、甘いといえば甘すぎます。本当にそう思うなら、場合によっては、何かを犠牲にすべきでしょう。 でも、私も何とかなりました。だから、諦めなければ何とかなると思います。 私の場合は、自分が好きなものは何なのか、何故すきなのかを常々考え続けてきたことと、好きなことをずっと止めなかったことが、なんとかなった理由のように思っています。もちろん偶然のチャンスも大きいわけですが、それを活かす準備をしておくことも大事です。 3年後、5年後、10年後くらいのステップで、自分がどのようになっていたいか、考えるのも良いと思います。 それと多く読むのも大切ですが、精読も大切です。 ご健闘(?)をお祈りします。
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- goo06351
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オジサンです。 日本人の多くは仕事=商売と考えている。警官や看護師は公共の目的のために働いている、とお思いならば、公務員とか教員とかそれこそ警察官、看護師(男性でもなれます)になられてはいかがですか。 警官、公務員は30才くらいまで、教員は40才くらいまで(私立は制限ナシ)、看護師も制限ナシですから。 それから、前の方もお書きでしたが、仕事は 1、仕事そのものが社会的に意義があるか 2、給料(収入)がいいか 3、職場の人間関係 の総合評価で決まります。 ただ、どんな仕事でも(裏の社会のシゴトは別として)なんらかの社会的な意味を持ってると考えられますが、単純作業、誰でもできる仕事で、給料も安いというのなら転職されたほうがいいと思います。ただ、8年間もそういう仕事をされてきたのなら、次の仕事を見つけるときに相当不利と思われます。キャリア、実績にならないわけですから。 資格(もっとも食える資格は限られますが)を取るのも一つの方法でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は月曜の朝などとても会社に行きたくないのですが、それでは生活ができません。だから月曜の朝は思考停止することに勤めます。思考のスイッチを切るように自分に言い聞かせています。考え始めると会社にいけなくなるからです。 僕は生活費は欲しいのですがそれ以上のものをそんなに求めないタイプのようです。ただでもらえるなら欲しいですけども。私利私欲とか会社の営利とかいった観点であまりものを考えれないタイプのようです。ついついもっと超越的な観点から考えてしまうのです。だから会社の会議であまりまともなことが言えないのです。
- please201
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仕事というものはロボットのように単純作業を繰り返すものから人を動かしたり大きなお金を扱うなど色々ありますが、結局は本人がどう思うかという問題ですね。 自分自身がそれ以上のやりがいのあるものに挑戦していくかどうか、今現在のつまらない仕事というものによって成り立っているものを放棄するだけの覚悟があるかどうかというあたりを考えていけば少しは答えも見えてくるのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 僕はやればいいことをやるだけの単純な仕事は割と好きです。
- mangou-kutta
- ベストアンサー率33% (42/124)
仕事に対する悦び、充実感については (1)労働対価(賃金)の満足 (2)任務(ノルマ)の達成感 (3)労働に対する社内評価 (4)労働に対する社会的評価 (5)仕事そのものへの誇り、仕事のそのものの楽しさ があると思いますが、質問者様の場合は (5)が見出せないということだろうと思います。 人によっては(1)があれば(2)~(5)があまり気にならない人もいます。 私の場合は、(4)(5)は満足(1)にやや不満がありますが、充実しています。 例えば詐欺的商品の詐欺的営業ならば(1)~(3)は満たされても(5)は全く無いわけですので虚しいことだと思います。 質問者様の場合は、仕事を変えるのもアリと思いますが、その際十分点検をしてほしいと思います。 社内で「あまりくだらないと思っていない人」は仕事そのものへの意義を見つけているのではないか、そのことをよく聞いてみてからでも遅くは無いと思うのです。 逆に、 >警察官や看護婦などの本当に意味や目的のある仕事 というふうに他のある仕事を全肯定されているようにも見えますが、私の知り合いの警察官には、役所的な環境と試験ずくめの昇進制度の中で、自分の正義感との矛盾に苦しんでいる人もいます。 全否定や全肯定ではなくよく観察して、どうしても仕事そのものが「くだらない」のならばなんとか経済をやりくりできることを前提に、仕事を変える方が良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は(1)労働対価はあるていど満足しています。 そうですね。僕の場合は > 例えば詐欺的商品の詐欺的営業ならば(1)~(3)は満たされても(5)は全く無いわけですので虚しいことだと思います。 これに近いと思います。ただ僕の場合は普通の人より過剰にこう思ってしまう人間なのです。普通の人には他愛ない罪のない嗜好品であろうものでも、僕にはあってもなくてもどうでもいいもののように感じるのです。大袈裟な言い方かもしれませんが、あってもなくてもどうでもいいもので日本をゴミで埋めているように思えます。別に日本のことを思って言っているのではなく、自分の周囲にゴミが溢れているような感覚がして嫌なのです。そんな感覚ありませんんか?
- eeldog_2005
- ベストアンサー率29% (16/54)
くだらなさが耐えられなく、しかも何の意義も見出せないなら、仕事を変えたらどうでしょうか? 人生はそう長くないので、時間がもったいないですよ。石の上にも3年といいますが、8年間やった結果がそうなのであれば、向いていない仕事だったのでないでしょうか。 ただし、問題なのは、くだらないと思ってすごしてきた8年間の仕事は、その意味によって、あなたの実質的なキャリアにはなっていないということです。例えば、他の会社の面接に行ったとして、その8年間が空虚であったとしたら、なかなか難しいと思います。 私の場合、こう考えます。「仕事の内容・意義」「人間関係」「お金」という3点による三角形を想定して、この中で1つくらい満足できるものがあれば、けっこう仕事はできるということです。 給料が安く、ろくな仲間がいなくても、仕事の内容自体に満足していたら、けっこうその仕事は続くものです。同じように、くだらなくて、まわりがいやな奴ばかりだとしても給料がよければ我慢できるのではないでしょうか(このケースは未体験ですが)。また、いい仲間に恵まれれば、けっこうがんばれると思います。 いかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに毎日時間がもったいないと思っています。 しかしこれは性格に起因することなので、仕事を変えても、どんな仕事をやったとしてもその新しい仕事で同じ様な気持ちになる気がしています。そんなことを言い始めたらそもそも何の為に生きているのか分からない、というところまでいってしまうのですが、とりあえずそのことは置いておくとして、僕は僕と同じような気持ちが分かる、年配の、なんとか人生をそれなにり乗り切って、多少は楽しいこともあったなぁ、という人がいたら、どうな風にしてきたか教えて欲しいのです。 中島義道という哲学の教授は 働くのが嫌な人のためのなんとか という本で、そもそもこの本に書いてあることの意味(気持ち)が分かる人は非常に少数です、と書いているのですが、僕はそれが分かるタイプの人間です。 また、私の嫌いな10のなんとか という本の中で、店員や社員がただ生活費のためだけに働いている会社を作りたい、といっているのですが、僕もその気持ちが分かります。 しかし僕は中島義道のように哲学の教授になれるほど哲学的な能力はないのです。ウィトゲンシュタインの 論理哲学論考 も読んでみましたが全く意味が分かりませんでした。 そもそも僕は生きるということを肯定的に捉えていない部分はありますが、もしも仕事をしなくていいなら、沢山の本を読みたいと思っています。時間をかけて読めば 論理哲学論考 も意味が分かるかもしれないし。しかし面白くないながらも仕事をしていると帰りはやはり遅くなりますので家に帰っても寝るだけです。ちゃんと寝ないと次の朝、起きれません。土日に本を読めるだけでは全然満足できないのですが、生活するためには仕方がないかなと思っています。土日だって洗濯や部屋の掃除をしなければいけないので、本を読む時間は全然なくて不満です。
お礼を読んで気になったのですが、 >警察官や看護婦などの本当に意味や目的のある仕事ではなく、営利を目的とした仕事という意味です。 警察官や看護師がやりがいのある仕事ってこともないですよ。 警官やってる友達の旦那なんて、酔っ払いが倒れてる、ケンカしてる、くらいのことで夜中に呼び出されてますからね。 警官の仕事だって社会奉仕じゃない。 年末になればわざわざ待ち伏せしてまで交通違反者を取り締まって罰金をとる。それが本当に事故を防ぐためなのか?大いに疑問ですよね。 看護師だって医師だって、病院を経営していく以上は商売ですから。できるだけ多くの保険点数は必要。 害にならなければ必要かどうかもわからない検査を当然のようにさせる。 大きな病院ほど経理担当が別になっているので、経費を節減しろ、点数を稼げとそりゃあ大変らしいですよ。 ということで、どんな仕事にも裏事情が存在します。 私が思うに、あなたにないのは、「何のために働くのか」という目的ではないでしょうか・・・ お金のために働くのであれば、実績を伸ばして収入が増えればそれで満足。 お客さんのために働くのであれば、自分が本当に良いと思うものを売らなければいけない。 仕事そのもにやりがいが欲しいのなら、仕事そのものを選ぶしかない。 目的が違えば満足することが違うのですから。 本当に警察官がいいと思うのなら、警察学校に入れば今からでもなれますけど・・・ 何だかんだと言いながら8年も続いてるなんてすごいなあと思います。 あなたにとってのやりがいが早く見つけられるといいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに良く考えれば警察官や看護婦もくだらない部分はありますね。 僕は警察官や看護婦になりたいわけでもないのです。実際問題としては警察官としても看護婦としても役に立たないと思います。 僕はルーチンワークのような仕事は割りと好きです。 清貧の思想というものがあったとしたら、僕はそういうものに憧れるタイプの人間です。できるなら田舎の方でひっそりと暮らしたいと思います。 しかし僕は本当に田舎の方に引っ越して自給自足の生活を始めるほど根性のある人間ではないのです。 僕は過剰にものを売ろうとしたりすることに嫌悪感を感じるタイプの人間のようです。 例えば何か必要なものを買いに来たお客さんにその商品を売る。これは意味が分かります。けれど現代の会社では売り上げを伸ばすために必要ない商品を開発して必要であるかのように見せかけて売りますよね。この部分が僕はくだらないと思うのです。 こんなに商品が溢れかえっている必要がありますか? 僕は会議で何か改善案とかを話し合っている時、改善する必要なんてないと心の底から思っているため、意見を求められても何もないのです。けどそう言う発言はできないので、みんながいいそうな事を適当に言ってみるのですが、やはりピンとはずれです。
- satesate9
- ベストアンサー率27% (139/507)
私の場合は志があって今の仕事をしていますが、くだらない事が多いです。 いかにくだらない事を適当にこなして、くだらなくない仕事を少しでも入れこんで行くかに腐心しています。 ということでくだらなさは全てにおいてあると思います。ただそのくだらなさも誰かが要求しているわけで、ニーズがあるわけです。営利ならなおのことそうですよね。誰かにとっては価値のあることなんですね、自分の趣味とは相容れないけど。 でもやっぱり100%自分がくだらないと思う仕事は嫌ですね。2%でもいいからくだらなくない仕事が欲しい。 だからあなたが今の仕事を100%くだらないと思うなら、2%でもくだらなくないことのある仕事に転職する、あるいは仕事は生きるためにしょうがないと割り切り、愛する扶養家族を作る、またはボランティア活動に目覚める、はたまた趣味を極める、等で「自分と」折り合いをつけてみてはどうですか?
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。自分の趣味と相容れないだけで、他の人には価値のあることなんですね。まさにそこが問題だと思います。 僕は商売に全く興味のない人間のようです。 僕は普通の人より異常にただ単に生活のために仕事しているだけのようです。 僕は長年、みんなも仕事は辛いと言っているので、みんなもそんなもんだと思っていたのですが、よく話を聞いてみるとそうでもないのですね。それは質問欄に書いた通りです。
「今の仕事が」ってことですよね…? 私もモノ作りの仕事してたとき、そう思ってました。 もちろん皆必死に取り組んでいるんです、でも、 「デキる会社に頼めばもっといいモノが出来るのに、勿体無い…」 「こんなのでいいの?この程度なら淘汰されるべきじゃないの…?」 と叫ぶ心を消せませんでした。 で、前線に転職してみました。 今の仕事は直接 ユーザーとお話して問題解決してあげる仕事です。 ちっぽけな仕事かもしれません、 正しく答えて当たり前の世界で、ちょい手間取ると叱られます、 でもたまーに「ありがとう」と言ってもらえると ま、役に立ったな、と思えて。 私が手助けして直した歯車が さらに大きな歯車を動かしていくな、と思えて。 満足です。 仕事って、誇りを持てなければ つらいと思います。 ではどうしたらそれを得られるか、というところですよね。 転職はかなり飛躍した例ですが、 …打破できるといいですね。
- ochasuki
- ベストアンサー率23% (55/231)
私も、6年くらい、「くだらない」「やってもしかたない」「誰か買う人なんでいるわけない」という気持ちで仕事をしていました。 そして、その気持ちは、かくしていても、外から見えていました。 その後、とても厳しい上司にあたり、厳しい指導の結果「いかに自分が仕事をしていなかったか」気づかされました。ここまでやるか?というところまで、細かいフォローや、手配、気配りが必要なことを教わりました。 すると、次から次へと、面白い仕事がやってくるようになりました。 つまり、今、あなたは、その中で、何か経験したり、苦しんだりしなくてはいけない人生の時期なんですね。でも、この時期は永遠に続くことはないのです。 何かのきっかけで(新しい上司とか、プロジェクトの参加とか)変わっていくと思いますよ。 今、何かできるとしたら、嫌だと思っている仕事のやり方や上司の言動について、書き出して、反面教師にして積極的に動いてみるということでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 僕の場合は仕事のやり方がくだらないと思っているのではなく、仕事の存在自体をくだらないと思っているようです。 仕事というか、商売と言った方がいいかもしれませんが、日本の大多数の人は 仕事=商売 だと思います。つまり警察官や看護婦などの本当に意味や目的のある仕事ではなく、営利を目的とした仕事という意味です。 例えば僕がテレビ局の社員だったとして、放送している番組の98%はくだらないと自分でも思っているけど、商売として始めちゃった以上、くだらないものも垂れ流すしかない。本当に伝える価値のある情報なんて2%くらいしかない、でもそれだけでは生活できない。だからくだらない番組も作る。というような感覚です。 テレビがくだらないからといって他の業界に転職したとしてもそういう感覚はどこへいってもあるだろうという感覚です。 出版社やメーカーなどどこへ行ってもその感覚はあるだろうということです。
お礼
回答ありがとうございます。 中島義道は羨ましいです。世俗の人間関係から完全に解き放たれて、本音を全てぶちまけることができるのなんて哲学の教授になるしかないと思います。教授になれるほど哲学の能力があって本当に羨ましいです。 財団法人など非営利団体は縁故とかコネがないと就職するのが難しいと聞きました。どのようなところで探せばいいのでしょうか。確かに就職口があれば転職したいと思っています。 確かに甘いといえば甘いですね。でも、一応どれくらい読んだかを言うと、例えば長いので言えば 戦争と平和 カラマーゾフの兄弟 レ・ミゼラブル くらいは読みました。だけど 失われた時を求めて とか ユリシーズ とかも読みたい。百年の孤独 も読んでない。百年の孤独 くらいは読みたい。けど、なかなか難しいです。普通の会社に勤めていると 百年の孤独 を読みたいなんて話できる人いません。 確かに精読も大切ですね。ウィトゲンシュタインは カラマーゾフの兄弟 を少なく見積もっても3回は精読したらしいです。村上春樹は 戦争と平和 を正確には忘れましたが数回精読したそうです。 関係ないけど少し前 国家の品格 を立ち読みしたら、この著者は 戦争と平和 をまだ読んでいないと告白していました。戦争と平和 も読んでいない人間に国家の品格を語る資格があるんだろうか。恥の文化がなくなったことを嘆く前に、お前こそ恥を知れ!と思ったけど、まあいいかと思った。日本のことなんかもうどうでもいいというか。