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自分の意志を押し殺し、親の意志や願望を受け入れてしまった経験のある方へ
- 自分の意志を押し殺し、親の意志や願望を受け入れてしまい、自分が分からなくなってしまった経験のある方へ。自分がやりたいことを見つける方法や自分の願望を知るためにはどうすれば良いのか悩んでいる人へのアドバイスをお教えください。
- 子育てには子供の意志を尊重する子育てと、親の意志や願望に従わせようとする子育ての2種類がありますが、親の意志が自分の意志に深くインストールされている経験のある方へ。自分が本当にやりたいことや自分の願望を知るにはどうしたら良いのか不安を抱えている人へのアドバイスをお願いします。
- 子育てには子供の意志を尊重するタイプと、自分の意志や願望を子供に押し付けるタイプがありますが、自分の意志を押し殺し親の意志に従ってしまった経験のある方へのアドバイスを求めています。自分がやりたいことを見つける方法や自分の願望を知るためにはどうすればいいのかお教えください。
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質問者が選んだベストアンサー
子供は自分のコピーではなく、自分で無いもう一人の人間と思ってます。だから本人がやりたいことを、させてあげたいし親として応援してあげたいと思います。無論最低限のしつけはしてますが。 子供の教育と宗教が結びつくのは私としてはとても不思議に感じます。子供はちゃんと親の背中を見ていますそして自分で学び成長するものと思います。 質問者さんは大変つらい過去をお持ちで、大変な子供時代をなさったと察します。 その辛さをお子さんに、させたく無いなら自分の強い意志で割り切りお子さんと接してあげて下さい。 宗教に頼らず、お子さんの意思を尊重して下さい。
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私の大変親しかった人で、親の意思のままに自分を見失い、命を絶った方がいます。若く、非力なまま、育ちが良いだけに、どうすることもできない状況に追い込まれていました。 自分の望みを知るということは、一生かかる難問で、迷路であると思います。タマネギのように、剥き続けても確かなものはないだろうと思います。 親の人生ではなく、ponchamanさんの人生です。目の前には無限のチャレンジがあるはずです。 ponchamanさんの家族というのは、あなたが配偶者をもち、子供をそだてる家族のことです。ponchamanさんのご両親は、もうすでに自分たちの家族を作って楽しみました。あとは死ぬだけでいい命なんです。でもponchamanさんは、まだそこに居続けるつもりでしょうか? 一旦、遠い土地に行って生活してみることをお勧めします。 できれば外国に。自由と責任が完全に自分のものになりますから。 そうして、食べる、生活する、家族を持つことの一部に、仕事が自然に入りこんでくるでしょう。仕事が使命をおびたものであるというような幻想を一度捨ててみてはいかがでしょうか。 なぜなら、時間をかけて、自分のまわりの社会や家族と調和した生活を支える仕事がつくられ、使命もそのなかにゆっくりと生まれてくると思うからです。
お礼
amaguappaさま 大変貴重なご意見をありがとうございます。 ぜひ参考にさせて頂きます。
- Ayumi777
- ベストアンサー率19% (104/529)
日本基督教団出版局の浅見定雄さんの『なぜカルト宗教は生まれるのか』という本があります。通常のプロテスタントであるにせよ、いちどお読みになってみるとよいかと思います。 キリスト教とは、かんたんにいえば『神は人を愛している』という教えだとか。不安や恐怖を感じるのであれば、いちど宗教から距離を置いてもよいのでは? 日本には『信教の自由』があります。 それよりも、自分の環境を親のせいにするのはやめましょう。気持ちはわかりますが、何にもなりません。 その教えを受け入れてしまったのも自分なのです。 スピリチュアルだとか、生まれてきた目的だとか、絵空事にうつつを抜かしているから、不安になるのです。 人間も動物の一種なのだということを忘れずに。 食べていくために働く。 ひととのつきあいを楽しむ。 地に足をついた生活がなによりも大切です。
お礼
Ayumi777さま ご回答ありがとうございました。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
今現在の自分の意思は、単独的なものではありません。自分の真の意思の周囲に社会的、環境的な意思が何重にもかぶさって、自分の意思を作り上げているのです。 貴方が、ご両親の希望や意思が自分の意思を、自分の意思とは違う方向に作用させていると考える事でさえ、それは例えば宗教を否定する意思や親の願望の押し付けはいけないという社会的意思の影響なのです。 親は子のもつ先天的意思や願望を見極めたうえで、ある程度の経験上の判断から意志を表明し、子は自分の中で作られてきた意思や希望を自分の意志として表明し、すり合わせをしていく事が理想です。 当然親はその範囲で子の意志を尊重しなければならないでしょう。しかし、子の意志が必ずしも良い結果を得られるとは限りませんから、自分の経験から良くないと判断すれば、強制的に軌道修正を求める必要もあります。これが「叱る」という行為です。 また、子は自分の意志が全く自由だと言う事はありません。その結果、社会的にも個人的にも良くない結果を招いてしまう可能性は充分あるし、経験的にも親との差は明らかに大きいのですから、自分の意思を強引の通す事は「わがまま」でしかありません。 しかし、これは理想であって、必ずしも親の経験や意思が正しいとは限らず、子の意思や願望が間違っているとは限りません、だから良く話し合う必要があるのです。ともあれ、最終的に責任をおうのは子ども自身です。親はほんの一時しか子の責任を負う事は出来ません。まずは親がこのことを自覚するのが第一でしょう。
お礼
michael-mさま ご回答ありがとうございました。
- 1katyan
- ベストアンサー率18% (147/800)
まず今の気持ちをキリストに背負ってもらいましょう 「私の荷は軽い」といっていますから 後もういちど心を切り替え聖書を読みましょう。 「愛しなさい」「賛美しなさい」「祈りなさい」 そしてあまり考えない 神様には神様の計画があります。あなたのことは神様が一番ご存知です。 だから委ねましょう。イエスに 意思を殺すことがクリスチャンでしょうか? いいえ、イエスでさえ、教会でものを打っている商人に何をしたのでしようか? 律法学者に対して何を言ったのでしょうか? 自分の意思を殺す事ではなく生かすこと、それがクリスチャンですよ。 もう親から離れましょう。 「主が私に*****しなさい」と言われたと 本来のクリスチャンは親ではなく主に目を向けるのが本来のクリスチャンです。そして親は子供のタラントを見つけてあげるのが本来のクリスチャンです。 もう独立してもいいでしょう。親からハナレ・・・ もう養育係は必要ない、主の近くに行き、祈り、聞きましょう
お礼
1katyanさま ご回答ありがとうございました。
- m-koharu
- ベストアンサー率33% (1/3)
はじめまして。 さて。 早速、この質問に対して、何らかの答えをさせていただければ、 と思います。 あなた自身が苦しんでいるのは、まず第1にいわゆる 本当のあなた自身が呼びかけ、目覚め始めているからに ほかならないでしょう。 だからこそ、あなたにとっての霊感のある本を手に取ったのでしょうし、このような質問をなさっているわけですので。 この質問文には、既に答えが提出されていることに気づきませんか? 叡智と愛に満ちているのを、私は感じます。 もしかしたら、あなたはそんな風には思わないかもしれませんが。 もし宜しければ、もう一度ゆっくりと読み返してみて下さい。 本当に、もう答えは質問のなかに出されているのです。 あなたである神よ。 ですので、私は、それほど言えることはないわけです。 しかし、少し付け加えさせていただけるなら。 本当のあなた、というのは、既にあなたであるものです。 ご存知のとおり。 けれども、それはあなたが自分で「私は、どこそこで 生まれ、この両親のもとに生まれ、何年に生まれ、 こういう名前を持ち、性別はこういう性別で、こういう体を持ち、 こういうキャリアを送ってきた」というものでありません。 それは、あなたではないのです。本当に。 あなたが自分で自分をこうだ、と決め付ける自分は 本当のあなたではないのです。 本当にあなたは、体でもなければ、ええ。 人間だけでもありません。 ええ。あなたは既に目覚め始めています。 ですので、したいことが何かわからず、本当の自分を捜し求め 始めているのです。それは、私にとっては、本当に嬉しい事です。 もし、あなたがすべてを投げ出してでも、「それ」を 思い出したいのなら、あなた自身があらゆるものを セットアップするでしょう。何というか、それこそ 、あなたにかかってきます。 あなたを大事にし始めてください。 世話をしてあげてください。親、ビジネス、宗教。 あらゆるものがあなたに挑戦し、奪い、戦いを求めるかも しれません。それでも、あなたを大事に愛し始めてください。 それがいの一番にすることであり、始まりであり、 終わりなのですから。どんな時も、あなたを離さず、 自分を放り出して、他人のために犠牲にならずに、 自分のために、選択し、創造し始めてください。 そうすることで、あなたが言われている「本当にしたいこと」 がわかり始めて来るでしょう。 このように、既にある回答に若干、付け足させていただきました。 あなたは一人ではありませんし、あなたのように感じ始める 人は、これからもっともっと増えてくるに違いありません。 ですので、何というかあなたの存在と働きとこのような 質問に答えさせていただいた事に、感謝させていただきます。 ありがとう。
お礼
m-koharuさま ご回答ありがとうございました。
ponchaman様、補足ありがとうございます。 私も、図書館で、『神との対話』を予約してみました。 まだ、手元に無いし、分厚そうな本なので、今回の回答の為に読みきる事は、無理そうですが・・。 あと、もう一つ、補足要求させていただきたいのですが、 現在も、「神は四六時中私の行動から心の中身までをずっと見ている」 という感覚が大きな悩みの一つとしてあるのでしょうか? ただ、せっかく、補足していただいても、良いアドバイスが出来るか、少し自信が無い気もします。 ponchaman様に、良いアドバイスをするには、やはり、自分も、『神との対話』を読んでスピリチュアルな世界に詳しくなってからではないと無理なのかもしれない、という気がしています。 例えば、私には、ponchaman様が#2の方のお礼欄に書かれた >私が親を選んで生まれて来た の意味が分からないのです。 私には、自分が親を選んで生まれてきたという感覚がありません。 スピリチュアルな世界を理解してからでないと、駄目なのかもしれません。ネットにも、スピリチュアルな世界を理解する為のサイトがあるようですが、ponchaman様は、どんなサイトを参考にされていらっしゃるのでしょうか? よろしければ、また補足をお願いいたします。<(_ _)>
補足
aero17さま ご回答ありがとうございます。 以下に参考サイトを掲載しますので、ぜひ読んで見て下さい。 神の対話よりもオススメです。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/
ponchaman様、補足有難うございます。<(_ _)> 私は残念ながら、『神との対話』を読んでいないので、この点については、良く分かりません。(本の題名は聞いた事がある気がします。アマゾンのレビューを読んで、中々、興味深そうな本だと思いました。) ところで、 >スピリチュアルな世界に非常に興味を持ち始めました。 今は、『私はなぜ自分が受け入れることの出来ない過去を経験したのか。それにどんな意味があるのか。』また、『霊性を高める重要性』が私の生きるテーマになっています。 という事で、ponchaman様は、スピリチュアルな世界に興味を持った事で、もう悩みの解決方法の方向性は、スピリチュアルな世界の探求という方向で、決まってしまったのでしょうか? もし、そうだとしたら、私も、『神との対話』を読んで、ponchaman様と共に、スピリチュアルな世界を探求しなければ、何かをアドバイスする資格は無い、という事になるでしょうか?
補足
aero17さま 誤解を招く表現で申し訳ありません。 白いご飯を食べ続けている我々日本人が、急に毎日パンばかり食べる訳にはいかないように、やはり長年の習慣があると思うんです。 私の場合は、幼少の頃からあの世を意識せざるを得ない教育を受けてきましたので、どうしても精神世界系統に答えを見い出そうとしてしまうんです。 しかし、私の考え方に不備があるために、現状の悩み・苦しみを解決できない訳ですから、aero17さんに違う側面からのアドバイスを頂ければこの上なく有難いです。 今の私を例えるならば、親から心に大きな『知恵の輪』をかけられており、それをどうしても自分の力で外せなくて苦しんでいる感じです。暗示、悪い言葉を使うと『親からの洗脳』なのかもしれません。
そうですね、僕の親は浄土真宗でその影響は受けました。でも、親は非常に規律的でありながら、同時に非常にいいかげんな人で、そのダブルバインドに苦しみましたね。 親の影響は大きいです。親や世間の価値観に縛られ苦しんできた年数は、ほぼ三十うん年の内のほとんどでしょう。親の影響は残りますが(いい意味でも悪い意味でも)、今は精神的に楽に生きています。精神を病んでまで苦しんだ甲斐はあったと今は思っています。 親の影響はあれど、その人の生まれつきの素地というものがありますよね。それに対するこだわりみたいなものに執着することが大事なのかなと思います。 なぜか、こういうことに惹かれて止まないとか、なぜか、こんなことに充実感を感じてしまう、あるいは、のめりこんでしまうみたいなものってあるじゃないですか。そういうのってその人の生まれつきの体質というかね、あるものなんですよ。 精神性みたいなものもあるでしょう。なんというか、こういう生き方をしなければならない(といか、したい)、人とは相容れないけどこんなのにこだわりたいみたいな。それは、社会全体の空気みたいなものも関わってくるけど、やっぱり、その人の生まれつきのものもありますよね。 そういうのにこだわり、葛藤していくことは大事だと思うんですよ。いつかは,つながって自分の身体になっていく日が来るんですよね。不思議なことですが。 親を怖がるのはなぜですか?そんなに強く暴力的な親なのですか?暴力が常態化した家庭だと、諦念状態になるんですよね。自身の人生にも。必要以上に恐れる必要はないのですが、気持ちが弱っているという感じなのでしょうか。でも、いつかは、親と対決しなければいけない日が来ると思いますよ。独立する力が持てない状態なら(僕もそうですが)、なおのこと、対決しながらも自身の存在を家庭の中で確固なものにしていくことも必要なのではないかと思います(独立出来ても、親である以上避けては通れないのです)。それは、引き込めるスペースを確保するのではなく、自分の居場所を家庭の中で築いていくというものですが。 ただ、親が宗教にはまっている、特に本質的には拝金主義な新興宗教だと、いわゆるマインドコントロールされている状態だと、前述の話は通用しないでしょう。こうなると、頼りになる親戚にでも退避したほうがいいかもしれないですが。 しかし、あなたの宗教的な資質(インストールされたものでも)は決して悪いものではありませんよ。それほど強固なら、逆にそちらにこだわってしまうのも道だと思います。 僕も長年の体質的なもので宗教を毛嫌いしていますが、宗教は人間社会とは切り離せないものだと思います。 僕の例で言えば、たとえば神道には僕も興味がありますし、ある尊敬する人の薦める本「大地の母」という本を今読んでいますが、それは出口王仁三郎の自伝的小説です。大本教(だったと思う)という、確か明治時代の新興宗教の人ですが、多くの人に影響を与えたようです(これだけでは表現しつくされていませんが)。禅も薬にもなるし毒にもなるようですし。 それだけ、宗教とは人には欠かすことの出来ないものなのです(僕も、この点は論理で了解、気持ちではまだまだですが)。現在の社会は宗教にアレルギーを持っていますが、しかし、宗教的な流れは日とある以上止まらないでしょう。 自分なりに宗教を学んでみて、落としどころを探すような作業も,また,いいのではないかと思います。あの世のことは自分で考えるだけでなく科学的に考えてみたり(科学は万能どころか非力なものなので、その点は注意が必要かも)、宗教的に考えてみたりしてみれば、自分なりの落としどころも見つかるのではないかと思います。 苦しい生活でしょうが、光明を見つけ出すにはあなたが一歩を踏み出さなければならないでしょう。失敗もし、挫折をしても、苦しいでしょうがあきらめなければ、それなりになっていくと思います。自分をいたわりながら一歩ずついきましょうよ。
お礼
kumosuke32さま ご回答ありがとうございます。 お忙しい中お時間を頂きまして心より御礼を申し上げます。 今後参考にさせて頂きます。
- soleil02
- ベストアンサー率22% (37/163)
多かれ少なかれ子供は親を無意識にコピーしていますから、ある程度というのは必ずあるんです。 ご自分でも無意識レベルで過度な洗礼を受けているんだろうな、ということに自分で気づかれたのですよね。 子供時代に自分を否定されたり、親からへの抑圧が強かったり、のびのびと出来ないと感じて育つと自分のやりたいことがわからない、願望がわからない傾向になる人は意外に多いです。 しかし誰でもそうですが、選んでいるのは自分です。 ですのでこれからは、自分で決めたんだ、自分が選んだんだという自覚を持つことです。 親のせいで・・・と思っているとその自覚が出来ません。その自覚が真の意味での自立となります。 自分を知るのはやはり自分です。 自分が心からやりたいことは まっさらな状態で机上の上で考えてある日、思いつくなんてものでもありません。もちろん夢を描く時はそうしてもいいのですが、それすらもわからない場合、まず自分の決断で動くことです。 動くとき、何かを捨てるといいでしょう。 というのは何かを捨てないと本当の意味で得ることはできないからです。 自分自身を知るために毎日毎日やりたいことを10個書き出している人もいます。自分を知ると言うのは大変な作業なんです。とても難しいのですが、これを知ると知らないでは大きな違いです。 他人から言われた肯定的な言葉を集めてみるもよいです。そこから共通した何かがわかることもあります。 あと、自分が絶対に捨てられないこと、というのも自分自身の大きなキーワードです。 まず親への感情を肯定的なものに変えてからの方がいいですね。がんばってください。
お礼
soleil02さま ご回答ありがとうございます。 『自分の決断で動く』というセンテンスが非常に心に響きました。 私は心の声がささやく時、何かをアクションに移したい時にどうしても乗り越えることが出来ない事があります。それは『他人の批判』です。所謂『人の噂話』です。 自分も十分人の批判をしたり、けなしたりするので、人から批判されても当然の事だと思います。 そこで、気付いた事が、『人を批判することは、結局自分が自分自身を批判している』と云うことです。 最後にスピリチュアルな視点で言えば、私が親を選んで生まれて来た訳ですから、肯定的な感情に変えるためには、『今の親元に生まれて来た目的』を知る必要があるように思えます。まだまだ遠い話だと思いますが…。
私は、普通の教育ママしか持った事が無いので、 回答者として、ふさわしくないかもしれませんが・・・ >いつもあの世のことばかり考えてしまいます。 具体的に言うとどんな感じでしょうか? 宜しかったら教えて下さい。
補足
aero17さま ご回答ありがとうございます。 私の母はプロテスタントなんですが、私も半強制的に小学校低学年より教会学校に連れて行かれました。 プロテスタントにも色々な流派があるんですけれども、私はどちらかというと厳格な流派に属していたと思います。 そこでまず罪の意識と、死後の最後の審判についての不安を植えつけられました。 そして、母より神は四六時中私の行動から心の中身までをずっと見ていると云う教育を受けました。 それが、その後の対人恐怖やいつも自分が見張られているといった脅迫観念に発展してしまいます。 そんな過去からいつも私は死後の世界を常に意識し、今生きているのも死後の世界のためだと云う考えを抱くようになりました。 具体的に言うと、 『お金や地位、名誉等はあの世に持っていけない。従って意味がない。全てこの世の物は人間が作ったもの。キリストの教えを守り、聖書に従って生きて行くことだけが重要。』 その結果、 『学歴や資格は必要ない。金を稼ぐ必要もない。なぜなら神が全てを与えるという教育を受けたから。友達も必要ない。神にだけ自分の気持ちを打ち明ける。』 といった非常に偏った考えをする人間になってしまいました。 しかし、精神を重度に患ってしまい、それを必死で克服するためには宗教を捨てる覚悟をしなければなりませんでした。 『神との対話』を読んで、初めて新しい考え方に触れ、その内容が「正しい」、「正しくない」は別として、本当に生きるのが楽になったのを今でも覚えています。 この本との出合いがきっかけで、スピリチュアルな世界に非常に興味を持ち始めました。 今は、『私はなぜ自分が受け入れることの出来ない過去を経験したのか。それにどんな意味があるのか。』また、『霊性を高める重要性』が私の生きるテーマになっています。 そんな中、私は本当の自分を知りたいという気持ちが芽生え、現在必死で色々なサイトに目を通しながら、その方法を模索してます。
お礼
tuu_chan ご回答ありがとうございます。 私もあなたのような母親に育てられたかった… 今の私は、自分自身の心の問題に整理がついていないために、まだ子供を授かる事はできないと考えています。 『自分の愛する子供には私と同じような想いをさせたくない…。』 tuu_chanさんの言葉で本当に心が軽くなりました。 心より感謝と御礼を申し上げます。