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人の心の問題
正直言って 人と人とが 共に生活していく上で 結果を導かないとイケない時がありますね そんな時 この世の中で 最も納得の行く 価値判断とは どんなものなのでしょう 大概は 一定の線で 折り合いを付けてしまうじゃないですか 究極の結論って この世の中に 存在するんでしょうか 知恵のある人に 教えを乞う次第です
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- yu-taro
- ベストアンサー率39% (3209/8203)
こんばんは。 漠然としている内容なので答えが出しにくいというのがあります。 共同生活は話し合いという方法がありますが、納得の行く価値判断は多数決だと思います。 多数決の原理というのがありますが、同じことの結論を出すにしても、生活環境や価値観が異なれば、多数決も変ってくるのは当然です。 究極の結論というのはないと思います。それなので、物事、その都度十分に話し合い、お互いが納得したことが結論となります。 話し合っても意見がまとまらないときには、双方ともに歩み寄り、つまり妥協案を出し、それ以上話し合いをしても平行線の無駄な状態に決着ょを付けるために行うというものです。 こういうことがいやであれば、すべて自分でやることです。ただ、世の中自分ひとりでは生きて行くことはできません。 一人で働いて、一人で生活しても、住んでいる場所や食事などは対価を誰かに支払って手に入れているからです。 それも嫌であれば、山奥で自給自足の生活をするしかありませんが、インターネットもおしゃれも何もなく、熊やヘビなどの脅威とも自分の力で防衛していかなければならないし、病気になっても誰も助けてくれません。 つまり、妥協しながら、その住んでいる環境に自分を適合させて生きて行くというのが実態だと思います。 あとは、環境を良い方に変えるスキルを実に付け、自己を高めて人の上に立てるような人物になるように努力することです。
- meerwelt
- ベストアンサー率0% (0/3)
人間を含め生物は最終的には”存在”(=生きていること)にもっとも価値を置いています。 したがって、人もその”存在”に価値を置いて判断すればよいわけですけれども、”存在”についても各個人がそれぞれ「私はこのように”存在”したい(生きたい)」と考えるので、誰もが納得する”究極の判断”にはなりません。 要は、各個人が様々な価値を持って生きているわけで、このように各個人が自分の中で判断しているという世界の構造から考えると”究極の判断”または”究極の結論”というのは考えられず、その”折り合い”をつけて判断する(つまりある用件に関わっている人たちの”存在”を最も満たす判断をする)のが”良い判断”であるという具合にしかなりません。
- kibikiu
- ベストアンサー率25% (2/8)
こんにちは。 難しい質問ですね。私は智恵ある人間ではありませんが 私が最近経験した選択で思うには、人と人の間に結論は無いと思いますし、結論はでないです。 結論があるとすれば個人個人の心の中で出した答えが結果、結論になったというだけの事だと思います。 もし、結論を突き詰めていけばお互い傷つけあう事になってしまうとおもいますが? 私は、まず意見は言いますが自分が傷つく前に見切りをつけます。 価値観が違いすぎる人を相手にしたくないとも思います。 皆さんはどうなのかな~。
お礼
非常に 親切なご指導に 感謝いたします」今後とも何卒 良いお導きを 御願いします