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F1の歴史教えてください
今年になってF1を毎回見るようになって興味が湧いてきました。 そこで、日本のF1、鈴木阿久里、片山右京、佐藤琢磨、アイルトンセナがどれ程凄かったのか語っていただけませんか?
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45歳のおやじです、こんばんは。 中島悟が1987年にF1レギュラードライバーになってからずっと見ています。質問にその中島悟の名前がないのがショックですが、気を取り直して、好きなことを語らせていただこうかな。 日本人のF1レギュラードライバーは他に高木虎之介、井上タカチホ(漢字をわすれました)がいます。日本人最速は?と聞かれたら躊躇なく佐藤琢磨と答えますが、日本人最多ポイントは中島悟なんです。中島悟は当時日本では敵なしで私もF1でも活躍できると思っていましたし、本人もそう思ったらしです。しかし最初のチームメイトがなんとセナだったのです。中島自身の言葉では、「セナと僕では1秒の長さが違う」と語っているようにその速さに愕然としたそうです。そこで彼は日本のような戦い方ではなく、リタイヤしない走り方を心がけて完走してポイントを稼いだのです。当時F1の実況をしていた古館伊知郎氏がその走り方を納豆走法と称したことがあります。 鈴木亜久里というドライバーは強運の持ち主で、決して速いドライバーではなかったのです。その証拠にラルースというチームにいたときチームメイトだったエリックベルナールに予選ではことごとく負けていました。しかしレースでは彼の前を走っていることが何度となくあったのです。本番に強いともいえますね。そして1990年日本グランプリで3位表彰台。あの時亜久里の前を走っていた選手のうち4人がリタイヤしたのです。つまりレース序盤は入賞圏外を走っていたのです。 片山右京は94年大活躍しました。94年はセナの亡くなった年です。彼の死によりシーズン中にも関わらずレギュレーションがめまぐるしく変わった年です。夏のドイツグランプリでは一時3位を走っていたのです。2人目の表彰台かと手に汗握ってみていましたが、結局リタイヤ。後に彼の著書で知ったのですが、その年彼は癌の宣告を受けていたらしいです。しかしこれが誤診。きっとその年の彼は死んでもいいつもりで走っていたのでしょうかね。 セナは天才でした。セナに関してはいろいろな本が出ているので調べてください。セナは94年の5月1日にサンマリノで帰らぬ人となってしまいました。その日1日中泣いていたのを思い出します。