- 締切済み
命の値段
もしあなたが日本政府の偉い人で、ある政策を実行するかしないか、決断する立場たっだとします。 その政策は、日本国民の命を一人救います。わかりにくければ、病気の治療法を開発したり、警察を増やして事件を減らすようなイメージで捉えてください。 この国民はごく普通の一般国民で、偉くないしホームレスでもなく、善人でも悪人でもありません。 さて、その政策に掛かる費用がいくらまでだったら、その政策を実行しますか? ちなみに自分なら一千万円くらいです。 根拠はあっても無くても構いません。 どんなもんでしょうか。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- EmethG
- ベストアンサー率22% (23/104)
> もしよろしければ、政策決定の評価軸の本質とはなんでしょう > か。教えていただけたら幸いです。 今の文脈に即して答えると、No.4 に書いた「それを推し進めることで、自分の評価はどうなるか、自分への支持はどうなるか、自分の目指すものへ一歩近づけるか」という観点になります。 むろん、抽象的なべき論で言えば、日本国に益するかどうかが評価軸になります。が、「日本国の益ってなんですか?」という点からして意見が分かれますし、それが一致するグループ内部でも、国の益と個々人の益がマッチしないことも現実にはかなりあります。ですから、多くのケースでは「自分の益」の方が優先されているのでしょうね。 更にべき論を言えば、国の益と自分の益がマッチしないとき、いかにマッチさせるかを考えるのが政治家というかマネージャの仕事ですが、かなり難しい仕事です。カエサルくらい見事に遂行した人は、歴史上にもそうそういないでしょう。
- EmethG
- ベストアンサー率22% (23/104)
> ここでは立法府の立場ではなく、行政府を統括する内閣の立場 > で聞いていました。 あなたの定義がそうであるということは了解しました。であれば、官僚や行政の発想をしても、別におかしくはありませんね。 ただ、「それがどこまで正しいか別にして」とあなたが自分でも言っていますが、コストは政策決定基準の本質としては正しくないのですよ。コスト評価は、政策の実施が決定された後での手段選択の基準として出てくる話です。 > すべてをお金に換算して、比較したらどうなるか、という発想の > 一つがあることは間違ってはいません。 「発想がある」という点について言えば、実際あなたはそう発想しているわけですし、別に否定しませんよ。私が言っているのは、それが政策決定の評価軸として本質的な部分かどうかという点です。
お礼
度々の回答、ありがとうございます。 もしよろしければ、政策決定の評価軸の本質とはなんでしょうか。教えていただけたら幸いです。 どの政策が、国民の利益を最大にするのか、ということでしょうか。
- EmethG
- ベストアンサー率22% (23/104)
> 問題設定を単純にしたかったので、あえてこのような質問をしました。 > 一人救うのにN円が適正 端的に言えば、その単純化は、極めて不自然です。 冗談を言うならともかく、単純化という操作は、本質だけに絞り込むという形で行なわなければ、意味を失います。そして、命と金額の二軸での評価などは、行なわれません。つまり、これは本質ではないということです。 別に私は道徳を説いているわけではなくて、現実問題として言っています。 何かをするのにコストがかかる、という話は政治に限らず当たり前の前提です。だから、「やりたいこと、すべきことがあって、そのために費用を捻出する」というプロセスが政治における通常の形態なのです。 予算がいくらで、申請が予算枠内だから遂行する、というプロセスは、行政や官僚の発想であって、政治の発想ではありません。 それを推し進めることで、自分の評価はどうなるか、自分への支持はどうなるか、自分の目指すものへ一歩近づけるか、そういうことが政策を実行するかしないかの判断にかかわる本質です。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。それがあなたの政治家観なのですね。 一つ誤解があるようですが、日本政府は広辞苑によると、 「日本では、内閣及び行政機構を指す」 とあります。 したがって、日本政府の偉い人、と言った場合、行政府を統括する内閣及び、事務次官をはじめとする官僚を表現しています。 国会議員などの政治家一般の発想を聞いているのではありません。内閣はほとんどが国会議員ですが、ここでは立法府の立場ではなく、行政府を統括する内閣の立場で聞いていました。 次に、命と金額の二軸での評価が行われない、に関して、確かに行政コストは予算だけではありません。 しかし、人的コストなどの他のコストを金額に置き換えて計算する手法は、現に存在します。それがどこまで正しいか別にして。 なんにしろ、政策判断には合理的な根拠があるに越したことはないので、仮にすべてをお金に換算して、比較したらどうなるか、という発想の一つがあることは間違ってはいません。 あなたのような意見があることは、勉強にはなりました。再度お礼を申し上げます。
- walkingdic
- ベストアンサー率47% (4589/9644)
該当する人たちの平均的な収入と年齢からその人たちがこれから所得税、住民税などの税金、及び社会保険料を納める金額などの総合計(これから生涯)、つまりその人たちが助かることでどれだけ社会に貢献してくれるのかという金額を見積もり、その金額より少ない金額で可能な政策であれば社会にとって有益な政策なので実施します。 私はそれが政治的判断と思いますね。ちなみにその点で不満が大きいのは少子化対策では得られる利益と比較してあまりにも投入している資金が少ないと思います。
お礼
ありがとうございます。 まるで本当の政策担当者のように、現実的な回答ですね。 社会にとって有益かどうか、というシンプルな判断基準ですので、このようにコストとベネフィットを比較する方法は、人命に限らずあらゆる政策判断に適用できそうです。 少子化は子供自身が有権者ではないことと、将来に渡る利益であるため、近視眼的には利益が見えずらい、という面があります。 その理由もあり、投入される資金が少ないのでしょうね。
- rinousagi2
- ベストアンサー率14% (241/1609)
自分が動かせる金の範囲で必要なだけ使う。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。 人命救助に必要なら、できるだけのお金を費やす、という意味でしょうか。 人命が無条件に大事だ、というのも極めて常識的な回答だと思います。 国民感覚を表す回答ですね。
- EmethG
- ベストアンサー率22% (23/104)
問題設定が矛盾していますよ。 一人救うと言っていますが、病気の治療なら今後同じ病気の人が何人も出てくるでしょうし、警察だったらそれによってやはり今後何人もの受益者が出てくるでしょう。 継続性が全く無いその場限りのイベントでの1人なのか、以後何らかの継続的効果が期待できる仕組み作りでの最初の1人なのか、どっちですか? また、後者の場合、どのくらいの期間で何人くらいの受益者が得られるというシナリオを想定していますか?
お礼
問題設定を単純にしたかったので、あえてこのような質問をしました。一人救うのにN円が適正なら、M人救うには、NM円が適正であると計算できますので、複数人の人命が救われる場合では、一人当たり何円、というのを聞きたかったのです。 確かに、病気で一人救う状況には、無理がありましたね。 一人だけ救うのに何円と回答してくださるか、M人救うのに何円だから一人当たり何円と回答してくださるか、どちらでも構いません。
お礼
ありがとうございます。 あなたのような微妙に偏った意見を聞くのも、よい経験になりました。