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多感な時期だからね~とは?
よく、思春期に自分の容姿について悩んでいる人に対して大人が「多感な時期だからね~」と憂いを含んだ表現をしますが、多感な時期だから何なんでしょうか?。 多感な時期を過ぎても整形をしなけりゃ顔容姿は変わらないし、美の基準や性格も多感な時期だからそう思っているんでしょうか?。 その後もその悩みは続くかもしれませんよね。
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その時に真剣に悩んでいることに関して、何か自分の性格や一時的なもの、と片付けられると腹が立つと思います。「多感な時期」にいる、というのは、青臭い、未熟と言われているのと同じに感じますしね。 一概に片付かないにしても、多少は原因があります。やはり、思春期の頃は、どうしても他者の目が気になる時期です。特に異性からどう思われてしまうだろうか、同性でも、あんな風な容姿になりたい。こういう強い願望が、自分自身へのコンプレックスになることが多いのです。これは身体自体(内外)が成長しているために、心にも影響が出るからなんです。 他人からは実際は、太ってると思われることは少ないのに、「絶対太ってる!分かりっこない!」と固執して考えるようになってしまいます。何故、固執してしまうのか?周りの友人も同じ時期にいるから、賛同者が多いのです。同じ悩みを抱えて生きています(でも、ある意味、同じ悩みを共有できるって素敵ですよね?)。 大人になれば、と言うよりは、年月によって自分の考えが変わってくることもあるので、「自分のありのままの姿」にOKを出せるようになることもあります。変えようとシャカリキになるよりは、他のことに興味が移ってしまうこともあります。 もちろん、外見を変えなければ、自分の悩みは消えないこともあります。 自分の悩みは将来も変わらない。 本当に、こればかりは時が経ってみないと分かりません。
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心が健康ならつまらないことで悩まなくなります。 第二次成長期とは葛藤の時期でもありますが、これを過ぎて大人になり社会に出ると、人と人のかかわりは調和によって成り立っているものと肯定的に捉えることが出来ます。 そうすると心の中の悪意などマイナス感情は出る幕が無く葛藤を持ち出した根源を意識の奥底に封じ込めることが出来ます。 この葛藤の過程は無意識が現実と自分自身を肯定して責任ある大人へと成長するためのもので、意識とは現実そのものですから葛藤や悩みそのものが意識とは無関係です。
人からの影響を受けやすい時、自分の容姿にコンプレックスがあった場合 不安定な気持ちになりやすく、逆に褒められると嬉しくて浮かれる気分になるなど そのような多感、の意味ではないでしょうか。 多感というのは思春期だけに限らず、感受性の強い人は多感な方が多いです。
「多感な時期」はどうしても外見が気になるのですが、それを過ぎると自分の中でそれなりに消化できるようになるんですね。 「どんなに悩んだって自分の顔は基本は変わらないんだからつきあっていくしかない」と。 また大人になれば当然周りも大人になる訳で、そうすると例えば恋愛も高校時代は「かっこいい」「かわいい」人がモテていても、大人になると「性格がいい」人の方がモテたりする訳です。 なので、だんだん外見より内面をみがこうと思うんですね。また内面はいくらでも後からみがけますから。 もちろん、中にはその「多感な時期」にトラウマ体験をして大人になってからも悩み続けている人もいます。 なので、そこをうまく切り抜けて素敵な大人になって欲しいですね。
- sani2006
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人を見るときや自分自身で気にするときに重点を置くのが、 容姿外見か中身かの違いを言っているのでしょう。 そりゃいくら年をとっても容姿外見を全く気にしなくなることはありませんが、 思春期や若い頃に比べるとやはり見た目より中身で人を見たり、自分自身を顧みたりすることが多くなるんじゃないでしょうかね。