- ベストアンサー
人を愛する権利はあるけど愛される権利はない?
- 人を愛する権利はあると思うが、愛される権利はないのか?
- 相手の本当の気持ちはわからないため、愛されているかどうか不安になることがある
- 愛される権利はなく、相手が愛してくれるかはその人次第だと思う
- みんなの回答 (17)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
たくさん回答が来ていますが、わたしからも、ひとことアドバイスを。 >相手が本当はどう思っているのかは、私を含めて、相手以外、誰もわかりません。いくら、態度や行動で示されても、愛されているという錯覚のように思えてなりません。 私も同じように思ったことがあるんです。 そのとき思ったのは、 「どんなに語り合おうと、抱き合おうと、 相手の気持ちは永遠にわからないかもしれないけど、 自分の気持ちならわかる。 今、彼を心から愛してる、自分の気持ちを信じよう。」 って、ことでしたよ。 でもね、愛し、愛されたいと、人はみんな、願うものじゃないかしら。 それはとても自然なことで、 そしてそのためには、お互いに努力も、もちろん必要だと思います。 確認してもいいじゃないですか。 少しづつ、2人の間に、堅く結ばれた絆ができるまで。 人は誰だって、愛されてよい存在だと、信じられるまで。 きっといつか、変化しながらも、思い合い続けられるような、 愛が自分と誰かの間に、つくられていくこと、 信じてもいいじゃないですか。 的外れだったら、すみません。がんばって下さいね。
その他の回答 (16)
- taake38
- ベストアンサー率0% (0/1)
愛って、風と同じだよ。風は、目に見えないけど、肌に感じたり、木々が、揺らいでいることで、風を知る・・愛も同じです!耳をすまして、余計な事を考えず感じとって下さい貴方が思うより、いっぱいあるよ!
- ganseki
- ベストアンサー率20% (20/100)
あなたにとっては間違っていないと思います。 もしかして、あなたは人に愛されたとか満たされたとかいう記憶または経験があまりなく(身近な大人たち)現在に至り。 愛という形や形態を求めていて、それが見えない(?)と愛と理解できない又は、不安でいっぱいになる。 だから、本当なの?という気持ちになるのではないでしょうか? 個人的には、空気みたいなものかなと考えてます。不安、恐怖、悲しみ、憂鬱に自分を追い込まない、無害なもの。 例えば、親に愛されたいと接しても、親からは攻撃しかかえってこない者もいます。 あまり相手に愛を言いすぎるのも冷められてしまう可能性があると思います。
- serotonin
- ベストアンサー率14% (26/182)
親に、一緒に死のうと言われたことは、ありますか? 家族に、殺してやると暴力をふるわれたことは、ありますか? 親の名前も顔も知らない人は、誰に愛されれば良いのでしょうか? 今一度、皆さん、考えてみて下さい。 子供は、愛される権利が無いのでしょうか?
- silver_lion
- ベストアンサー率25% (4/16)
相手に答える義務はない。 私もそう考える人間です。 でも・・・ では、相手からの答えがなければ あなたは愛する事をやめてしまいますか? 自分の権利を放棄してしまうのですか? 気持ちって、権利や義務だけでは動かないですよね。。。 他人の気持ちも、自分の気持ちも。 少し外れてしまいますが,お相手の気持ちを そこまで思いやる事が出来るあなたは 立派に愛される資格のある方だと,私は思います。 (あ、偉そうですか?^^; ごめんなさい) dancedanceさんが,ご自分の想いに自信を持ってくださることを切に願います。
- usap
- ベストアンサー率33% (525/1577)
愛って、見返りを求めないものだとよく言われます。 「無償の愛」というものは、難しいものだと思います。 相手に尽くすことの喜び、それだけで満足できるのならいいんだけど、どうも「~してあげたのに」という気持ちがよぎりがちです。 難しいからこそ、「愛」というのは素晴らしいと言われるところじゃないかなと思います。 愛が永遠に続くもの、というのも、それくらい「愛」は簡単に生まれる感情ではないものだからじゃないかな。人は誰でも自分がかわいいから、何か行動をする時に、相手のためにと思いながらも、自分の満足も探そうとしてしまうと思います。 愛した人から愛されたいと願う時、その自分の「愛されたい」という希望というか目的から、相手にやさしくしたり、尽くしたりすることがあります。それを受け入れるほうもまた、愛でしょうね。与えるほう、受けるほう、それぞれに愛が必要なんだろうと思います。「勝手だ」と言うほうには愛がないだろうし、「勝手だ」と言われて反論するほうもまた、愛がないように感じます。自分の気持ちよりも、相手の気持ちや相手の満足を望むことが「愛」かなあと思います。 愛は、権利や義務ではないと思います。「愛しているから」「愛されているから」という双方の自覚、それが愛で、人の気持ちと同様、変わりやすいものかもしれないと思います。とは言え、愛し方が変わることはあっても、なくならないものなんじゃないのかな。恋愛の場合は、「愛」というより、「好意的な感情」なんじゃないかな。長く続けて、なくならなかった「好意的な感情」が「愛」かなと私は思います。そういうわけで、「愛」って、そう簡単に生まれる感情ではないと思います。人類愛、母性愛、そういう愛って、自分にとっての利益や欲求などを何も考えずに、無心で本能的というか自然に生まれる気持ちですよね。相手の喜びが自分の喜びだと感じられるというか。特定の誰かにそういう気持ちを持てるって、すごいことだと思います。やさしさと同様、勘違いしやすく、勘違いさせやすい気持ちだと思います、愛は。相手を油断させやすいし、利用されやすい気持ちじゃないかな。本物はなかなか難しいと思います。愛はとっても謙虚な気持ちだろうと思います。信頼関係と同じように、育てて行くものだろうと思います。相手があってのものじゃなく、自分の心との戦い(葛藤)じゃないのかな。「愛されたい」だけじゃなく、「愛したい」って気持ちも。 参考までに。
- uhee_morihiko
- ベストアンサー率13% (13/100)
貴方がそう思うなら、貴方にとってソレは間違いでは無いです。 他の人の事は関係ありませんし、知りません。
- kaiketuz2
- ベストアンサー率3% (4/104)
あのねぇ。『愛される権利じゃなくて』『愛される自信』なんだ。また『愛されるテクニック』でもある。追いかければ逃げる。逃げれば追いかける。だからどうやって追いかけさせるか考える。
スイマセン。。的外れな回答なのですが。。。m(__)m 『愛される権利』とか『義務』とかって何でしょう?? そんなものあるのですか?誰かに許可とらなければいけないのですか? >それで、愛されているかどうか確認したくなります。 その気持ちは解ります。何かの拍子に不安になると尚更でしょう。 でもね、不安になっても相手を信じてあげるのも愛では無いでしょうか。。 僕は「愛する」事は人が呼吸したり、食事したりするレベルのことだと思っています。 ごく自然で、当たり前の事。。『人生の根本』だと思います。『愛する』って・・ もう一つ。。『愛してる』って事をどうやって表現してもらいたいですか? これは表現する方と、受け止める側で完璧に通じ合える事は難しいでしょう。。 「愛してる」の表現が、微笑みであったり、言葉であったり、SEXであったり、プレゼントであったり、態度であったり・・・・・ 人によって様々な愛し方があるはずです。 ひょっとしたらdancedanceさんがそのサインを見逃しているだけで、相手は一生懸命 アピールしているのかもしれません。。そんなあなたに「気づいてくれてるかな」と思ってるかもしれませんよ。 >人を愛する権利はあるけれど、相手はそれに答える義務はないと考える そうお考えになるのは結構だと思いますよ。 でもね。・。・。 それでは気持ちは通じ合えないでしょう? 「相手を信じる」・・・・裏切られることも確かにありますが、これが根底に無いと『愛する』事は辛くなるばかりです。 あなたの愛した人を信じて愛すれば、きっと答えてくれるはずです。 もう一度・・・『権利』とか『形式』とか。。そんなモノじゃ無いと思いますよ。 余談: これには例外もありますよ。。例えば相手が不誠実な人間であるとか・・・ 何も二人の間に障害が無ければ愛することは素敵なことです。
- gyaosu5
- ベストアンサー率0% (0/6)
こんにちは。 質問内容を読ませて頂いて、今のあなたは「ちょっと自信がなくなっている時期なのかな?」と思いました。 人の気持ちは確かに「その人」しかわからないものですよね。 でも自分自身の気持ちも、時としてわからない事があるのですから… 「錯覚」でもいいじゃないですか?そうやって皆、色々と学んでいっているのだと思います。 愛される権利は誰にでもあると思いますよ。
お礼
愛されている自信はありますが、確認したいという、自分の気持ちがなんとなく嫌なもののように感じられて、それで、考えてしまいました。愛されたい欲望は醜くありませんか?愛されたいという欲求は自然なものでしょうか?より高い次元にいる人はどう考えて関係を保っているのでしょうか。いろいろ考えてしまいます。アドバイスありがとうございます。
こんにちは。 実は僕はdancedanceさんとほぼ同じ考えです。 でも少し違うかな。 ちょっと例を出すと、岡本太郎っていましたよね。スーパーTAROなんてマスコミに言われていた人。 実はぼくはあの人の芸術に対するかんがえが大好きです。 彼は”太陽”を目指したそうです。(太陽の塔なんかつくってたね) 太陽は地球上のあらゆるものに光を与えますが、ぼくたちに何かくれとはいいません。 さらに太陽をみてるとdancedanceがいつも思っているようなことなど考えず、いつもにこにこしているようにみえます。 だからほとんどの人たちは”おひさま”がだいすきでしょ! いちいち”義務”だとかかんがえてないもの。 長嶋さんがよく”太陽”と言われるのもそんな理由だからだとおもいます。 (よく長嶋さんは野球人としてはすごくないみたいなこという人いるけど、どこみてんだ!長嶋茂雄としてみたらプロ野球なんて枝の部分だよ!!) ちょっと話がそれましたが・・・ だから”おひさま”のような人になれば好きな人といわず、だれからも愛される人になれるのではないでしょうか。 いわゆるワールドクラスのラバーですか?ハイ。
お礼
回答ありがとうございます。私もみんなから愛されたいと思うときがありますが、これは、分不相応だと諦めています。すこし的外れなお礼ですみません。回答ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
そうですね。相手を信じることって大切なことですね。相手を愛したり、信じたりする、能動的な行いは、正しいというか、善いことをしているという感じがします。それに対して、相手から、愛を要求したりして信じられるかどうか確認する、受動的なことをするのは善くないことのような気がします。権利と書いたのは、相手方があることなので、そう書きました。たとえば、片思いの場合でも、相手が嫌がっても、愛する権利があるという風に。でも、片思いの場合、相手はそれに答える義務はないという風に。こんな感じで「権利」とか「義務」を使いました。「愛は永遠」だとは私には思えなくて。努力しなければ、終わりが来るものだと思います。そういう意味でも愛される権利はないと書きました。しかし、信じることは大事だと思います。アドバイスありがとうございました。