ヤジ
私が幼い頃(70年代後半)野球場には「ヤジ」というのがありました。
ヤジというのは「罵倒」と混同する人もいると思いますが、そういうのではありません。
1975年の広島の「コウジコール」が応援歌の始まりだそうですが、実際、1973年の、阪急対巨人の山田久志対王の映像なんかをyoutubeで見ると投球が終わるまで「シーン」と静まり返っています。ゴルフのティーショットと全く同じ。打ったら初めて歓声が鳴ります。
1978年のピンクレディの「サウスポー」でも「シンと静まったスタジアム」という歌詞を阿久悠が書いています。
ていうかメジャーでは、いまでもそうです。
まあ、メジャーには「ヤジ」はないかと思いますが、ともかく、応援歌のせいで、ヤジは無くなったのではないかと思います。
さて、ヤジは甲子園でももちろんありますが、大阪球場や、西宮球場の方が、イメージに合います。
やはり、ガラガラだと声が通るからですね。おっさんの1人の声が、球場全体に響くんです。
選手に聞こえてる事が確実なところが笑えるわけです。
さて、質問は、そんな時代の「ヤジ」で覚えてる面白いのがあれば教えてください。
僕は、あまり、記憶が出てこなくて、例えば、替え時の投手に対して「ひっこめ」と言うのではなく「おい、なにがし、そろそろ風呂沸いとるぞ」というやつです。
あとで聞いたら、降板投手は、球場の風呂に入るらしく、球場に風呂があることすら知らなかった私は「へー」と感心しました。そういう野球回りの事をよーく知っているおっさんが多々いたというわけです。
応援歌は概して、マジで応援してて、つまらないわけです。なんとなく、ヤジは好きな人に意地悪いうような感じで人間味があるわけです。普通に「ここまで飛ばせよホームラン」て歌われてもさあ。恥ずかしいなと思うわけです。
普通の応援と罵倒は裏表です。勝ったら喜ぶ負けたら悲しむの一喜一憂は、にわか感、または、応援するのが生きがい感がすごい。
ヤジのおっさんは勝敗はもちろんこだわるのですが、そもそも野球は勝ったり負けたらなので負けても「またやりおったでー」くらいの反応です。
そんな反応援歌派のわたしですが、
ただ、10数年前に、突然、応援歌に、昔のヤジに近いユーモアセンスを見いだした瞬間が、ありました。
それは、坪井の「PL、青学、東芝、坪井」と、片岡の「実家はヒノキ風呂」です。他にもユーモアを狙ったのはあるようですが、この2つ以外は、悪ノリで、ダメですね。まあ、ヒノキも悪ノリにほとんど片足突っ込んでますが、坪井のは、考えた人は抜群に野球センスあって、野球周りを知る、昔のヤジの匂いがします。当時の、青学と東芝を野球経歴的に「アリ」と見なす「キレ」が素晴らしい。
というわけで、ヤジ、待ってます。
お礼
あまりにも出ている巻数が違うので気になっていたんですが、大丈夫みたいですね。 読まれた方の言う事ならとても参考に出来ます 回答ありがとうございます。