長くなりますが、補足しておきます。
何事も程度問題で、「天皇が戦争を早くやめようとしていたのに、その意思を軍部などが無視して、沖縄戦や原爆に至った」と言ったらおそらく言い過ぎで、一方、「天皇が、沖縄戦、原爆を招いた」(ニュアンスとしては、「主な責任がある」)と言ってしまったら、これも言い過ぎで、真実はその間のどこかにあると思います。
ポツダム宣言受諾時に天皇の果たした役割は大きいのは事実ですが、それを強調すればするほど、「戦争を早期終結させる」力が天皇にはあった(しかし、それを中々行使しなかった)という事になってしまうので、戦争責任論を惹起します。(ポツダム宣言受諾のみならず、2.26事件などを見ても、天皇は非常に高い権威を持っていたと考えるべきだと、私は思っていますが…)
「平和指向」の天皇というイメージの方がより強く広まったのには、戦争責任論は回避しつつ、天皇の権威を利用して占領統治を行なったGHQの影響がかなりあると思います。
その後、色々な資料が見つかってくると、話はそんなに単純ではなかった、って事になったのですが…。
>その事についてのお悔やみ(?)のような言葉もなかった・・・。
う~ん、これも程度問題ですよね。新憲法下では政治的な発言が出来ないので、自らの戦争責任を認める様な事は決していえず、どうしても曖昧な言い方になってしまうのですが、戦没者全体に対する「哀悼の意」みたいなものは、わりとよく言ってます。
>昭和天皇が三国志の劉禅と一緒に思えてきました。
敗戦直後には「自分が退位する事で、臣下が東京裁判で裁かれる事を止められないか」と側近に語ったり、マッカーサー回想録によれば「自分が全責任を負うので、自分の処遇は任せる」と言った事になっているので、劉禅に比べれば責任の意識はあると思いますが、控えめにいっても、「自らの権威をフルに使って、戦争の早期終結に努力した」のではない事は、確実だと思います。
いずれにせよ、昭和天皇は、敗戦前後で全く違う立場にあった訳で、前回の回答にも書いたように、天皇の発言や行動は、その前後の状況とあわせて考えられるべきものと思います。
尚、昭和天皇崩御後に、高松宮が「昭和天皇は、戦争を止めようとすれば止められはずだ」といった発言を、評論家の加瀬英明にしていた、という話を聞いた記憶があるのですが、確認できないので、ご興味があれば調べてみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 天皇が戦争早期終結を願っていたというのが間違いだった事は分かりました。 言えば天皇が無謀な沖縄防衛戦、原爆を招いたと言っても過言ではないという事ですよね。 しかもその事についてのお悔やみ(?)のような言葉 もなかった・・・。 昭和天皇が三国志の劉禅と一緒に思えてきました(最後まで粘ったのは正反対ですが) 僕の今までの考えとかなり変わってきました。