勉強が好きで勉強している人、その人は大学の教授とか学者になれば
いいと思います。そういった人はたしかにいるし、ある分野では私も
そう思うこともあります。
でもそうでない人は、自分のやりたいことを実現するための手段とし
て勉強があるのだと思います。
医者になりたいのなら、人の命を預かるわけですから、人の身体の
こと、薬のこと、やっていいこと悪いこと、そういったものがなけ
れば医者としての仕事もできないし、自分が診察される側であれば
そういった知識がない人にみてもらうのは・・ありえないですね。
だから、それに必要な知識を身につける。それが勉強かと思います。
また、大学で語学を学びたい、と思うのであれば、世の中にどんな
ことばがあって、どんな構造になっているのか。その言葉を通して
どんなコミュニケーションが行われているのか。その言葉を使う
国々の背景はどんなものか(地理・歴史)、日本の言葉とどんな
違いがあるのか。そう考えると、結構な部分は関連がでてくると
思います。
もちろんすべてが強くつながっているわけではないですが、ふり
かえると、そういった部分は大きいと感じています。
まずはなにか目標をもつこと。
見つからなければ、例えば東大に合格すること、それでも一つの
目標です。
勉強したことは、必ず無駄にはなりません。長い人生、いつか
どこかで関わる部分がでできます。
単純作業と感じるのであれば、何か一つ、突き詰めて勉強してみて
はいかがでしょうか。
お礼
そうですね。もうこの教科をしていて何になるとかそういう次元じゃないですよね。ある目的の前に立ちはだかる敵みたいな感じでしょうか!?この教科を何点取る、偏差値ナンボにする、という試練みたいなもんなんですよね。自分の大切な目的のタメに、理由なき試練・意味なき試練も乗り越えていかなければならない。そんな感じですかね。 なんかわかってきたような気がします。甘えていたような気がします。ありがとうございます。