これもまた、個人的経験からとなります。
> 納得した生き方をできれば。今ではそれだけを望んでいます。
> ただ納得するまでやるまでどうしても妥協してしまう自分があるのです。
頭というのはとても疲れ易いそうです。何かを納得するまでやりたいと思って集中しつづけていると、疲れを癒そうと働き、とたんに好奇心が薄れていくようです。
私はそのことを知り、急いで結果を求めず、今日はここまでと妥協しながら、のんびりと納得するまで続けるようにしています。
> それから何もかも上手く行ってなく今日に至っています。
> なんで、もっと早く自分が馬鹿だと気づかなかったのだろうと激しく
> 後悔しています。ましてや気づかせてくれなかった両親を恨みさえし
> たりしてしまいます。
参考になるかどうかわかりませんが、私も同じように中学時代を懐かしみ、高校で悔しい思いをしたことがあります。その後一気に挽回しようと芸能界に入り、舞台俳優として下積みをつづけていました。けれどどこかで中学時代の甘さが残っていたのでしょう。後から入ってきた人達のひたむきさに比べ、私の努力はあまりに子供じみており、結果役者としての成功も掴めませんでした。
その後しばらくして、私も同じような考えに囚われたことがあります。自分の馬鹿さ加減を責め、内心では両親を責めたりもしました。自分で決めて飛び込んだ道なのに、そのときは親を責めるしか他にすべが無かったのです。
どうしてもその考えから抜け出せなくて、新しいことも始められず、心療内科で抗うつ薬と睡眠導入剤を処方してもらい、ゆっくりとその囚われから脱却してきました。
> 何か変わろうと思うきっかけに問題があるのでしょうか?
> どこを自分は変えていったほうがいいのでしょうか?
自分を過大評価せず、過小評価しないために、自分ができることを具体的に書き出すのもひとつの方法だと思います。
国語、数学、中学英語、皿洗い、ウェイター、配送、手紙書き、炊事、洗濯、肩揉み、パソコン...
その中にこれならと思えるものがあれば、それらを中心に1から始めるのはいかがでしょう。
私はそうして、毎日妥協しながらも、納得のいくまで人生をつづけていこうと思っています。
参考になれば幸いです。そうでない場合は、あくまでも私のケースですので、負担にならないよう祈ります。
お礼
ありがとうございます。 妥協は必要なことなのかな… 今まで絶対に「妥協しない!!」って何百回思っただろうか。全て上手く行かなくてその度に自信なくしてきた気がします。 >自分を過大評価せず、過小評価しないために… このアドバイスも採り入れてみようと思います。 貴重な経験談を聞かせてくれてありがとうございました。