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さよなら小津先生の最終回

結局小津先生は学校に戻ってきたじゃないですか。じゃ何が「さよなら」なの? あーゆー先生はもういないってこと? それとも銀行側の人にとって「さよなら、先生として」ってこと? 学校の事はうまくまとまったんだから、小津先生は今度は銀行に戻って困っている人を救うのが仕事だと感じて、釈然としなかったのは私だけでしょうか?

みんなの回答

noname#245753
noname#245753
回答No.2

いや、私の他愛もない深読みはともかく、gt125さんの感じた部分にはこだわりましょうよ。そこを考えてほしくてこのタイトルを付けたんだと思いますよ。 gt125さんの仰るような「さよなら」だけだったら、最終回の前の回で学校を去った時点で終ってしまいますよね。サブタイトルもまさに「さよなら小津先生」。 でもここで終ったら、残された教師も生徒たちも、小津先生に心情的に「さよなら」できないですよね。学校を辞めた本当の理由を聞いてからも、小津に会いに行ったりしてるでしょ? でも、小津先生の「あとはお前たち自身の戦いだ」という無言のメッセージは全員に伝わっていたと思います。新人戦の試合をひとつのけじめにするという決意は、カトケンを始めバスケ部全員から感じられましたよね。それは相手チームの生徒にすら伝染しました。 もう彼らは「先生」に教え導かれなくとも自分の道を見失うことはない。小津がコーチだとか学校の教師だとかとは無関係に、あの試合はある意味「小津先生」からの卒業式だったとも言えると思います。そういう意味でサブタイトル「本当のさよなら」なのでしょう。 島谷も元は小津と同様、教えられた通りの経済戦略を進めることしか頭にない「生徒」でした。彼も、自分自身の戦いとして銀行業界にとっての「小津先生」になる決心をしたのではないでしょうかね。その意味で彼も「小津先生」に教えられ、卒業したひとりですね。彼がいるから、小津は銀行に戻る必要がないんです。 そして学校にはまた「小津先生」に出会い、「小津先生」を必要として、いずれは「さよなら」していくだろう新たな生徒たちが来る、というエンディングだったんじゃないかと思います。 …長々と書いてしまいましたね。要するに「さよなら、小津先生」には「小津先生、学校を去る」以外の意味がこめられていると言いたかっただけなんですよ。 さらに余談ですが、あのシャンパンの栓はこれからもずっと抜かれないんだろーなー。

noname#245753
noname#245753
回答No.1

教師も生徒たちも、島谷もそうですが、みんな小津先生から何かを学んで、人に頼らず自分で目標に向かっていけるようになりましたよね。そういう意味の「さよなら」じゃないでしょうか。 最終回ではカトケンもがんばっていましたよね。 小津をまだ銀行マンとして見ていた島谷は、先生としての小津に完全に納得してここに残れと言うわけですから、これも「さよなら、小津先生」ですね。 …まだなにかあるような気がするなー。 余談ですが、タイトルは「オズの魔法使い」からとったのかなと最初想像していましたが、そうでもあったようななかったような。そんな深読みするまでもないですね。とてもいいドラマだったと思います。

gt125
質問者

お礼

なるほどね。 周りの人たちの「さよなら」ね。 じゃ、タイトルのつけ方おかしくありませんか? 「さよなら、小津先生」ってことは小津先生が皆とさよならするってことでしょ。 確かにいいドラマで、感動したし、勉強させられたからこんなにこだわることじゃないかもしれませんけど。 またああいうドラマがみたいですね。

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