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よい先生とは?

これまで学校や習い事などで、たくさんの先生と接してきましたが、子供の頃は分からなかったけど今考えるとちょっとひどい…と思える先生も何人かいたりしませんか?先生も人間なのでしょうがないとは思いますが。 現在2つの習い事をしていますが、少々行き詰まりを感じていまして、このままこの先生について行っていいのかなぁ?などと考えてしまいます。私は少々鈍いところがあり、例えばいじわるをされても暖簾に腕押しみたいなところがあるようで、人を見極める目も今ひとつです。後になってから「あの先生はひどかった…」とか「あの環境はひどかった…」とやっと気が付くようなところがあります。例えば皆に嫌われている人がなぜ嫌われているのか分からずにいて、随分後から「なるほど」と気が付く鈍さがあります。よく友達に「よくやってると思ってた…」みたいなことを言われたりします。 そこで、みなさんにとってのよい先生観みたいなものがありましたら是非おしえていただきたいのです。また、先生に限らず、「目上の人」や「働く環境(会社)」などにも同じ事がいえますよね。結婚相手にしても同じかもしれません。結局は「人柄」につきると思うのですが…どんな人について行けばいいのか?どんな会社が尽くすに足る会社なのか?会社や結婚相手には苦楽を共にするに足る対象ともいえるかもしれませんね。話が広がりすぎたでしょうか。 世の中が混沌としていて、また皆がそれぞれに孤独で…私も孤独に苦しんでいるくせに人里はなれた山奥に隠れ住みたいような心境になることが多いです。 普通の人より不器用なのだと思います。誰でも同じ とか そういう経験の中から学ぶ とかいうアドバイスは、大変申し訳なにのですが今回に限っては結構です。ずばり「ご自分なりの基準」のようなものをお持ちの方にアドバイスをお願い致します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

みんなの回答

回答No.4

「よい先生」って後でそう思う場合もあるんですよねぇ。それが鈍いという事にはならないと思います。年齢を重ねて先生の言った意味がわかる、という事もありますしね。 今思うのは、生徒に対してムキになってくれる先生っていうのは、決して悪いものじゃないなぁ、と。在学中にすごいムカついてケンカを繰り返した先生がいました。どちらかと言うとみんなの嫌われ者、ウザイんですよね。だけど彼の行動、今思うと悲しいぐらい一生懸命で、当時の俺らみたいな悪ガキに本気で向き合ってくれてたんだなぁ、と後になって気づいたんですよね。卒業後に僕がバイトしていた店にたまたま来た時は、僕の姿を見つけて本当に嬉しそうに声掛けてくれました。今ならその先生と好意やリスペクトを持ってお付き合いできるのになぁ、と。 先生って職業は時には嫌われ役もしなきゃならない職業です。でも自分がカワイイとか、好かれたいっていう気持ちは人間として当然で、その上であえて嫌われてもうるさい事言ってくれるっていうのは、それはそれで「いい先生」なのかも知れません。

q-a
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 学校の先生の中で「いい先生だった」と今思い出すのは、私にとっても生徒にムキになって怒っていた一人の先生のことですね。その先生は「どうしてわかってくれないんだ!」みたいな感じでムキになって怒ってました。その先生に言われた言葉で「それは違う!」と子供ながらに感じ、今でもそう思っていることがありますが、軽蔑するような気持ちには全くならないから不思議ですね。不器用さや未熟さを隠さず、熱い情熱をもって生徒と向合っていてくれたからでしょうか。私みたいに「言っても無駄」みたいな感じで白けていては、人の心は動かせませんね。尊敬できるという程の関係ではなくても、本音をぶつけてくれた人のことは忘れられないものですもんね。そういう出逢いに感謝しなければいけませんね。あえて嫌われ役を演じてくれる人こそ人生の真の先生なのですね。

回答No.3

私も「叱ってくれる人」がいいなあ。「こいつの価値観で叱られるんならいい」ってだけでもいいです。つまりは「尊敬できる人」でもあるんでしょうね。 友達はみんな尊敬できる部分がある人ばっかですね。 あと「話しを分かるように話す人」が先生だったらいいなあ。

q-a
質問者

お礼

早速のご回答有難うございます。 「尊敬できる人」かどうかがポイントですね。 これまで「尊敬できない自分を責める」みたいなところが少々ありました。自分の価値観が定まってないからだと思います。部分的には尊敬できるけど、すべてを尊敬できるわけではない…大抵がそんなところなのかもしれませんね。

noname#14701
noname#14701
回答No.2

お会いしたことはありませんが、http://www.bestlife.ne.jp/hinohara/interview/index.htmlこの方はたぶんそうではないかと。 私も、数にん、「この方とお知り合いになれてよかった」と思う出会いがありました。その方たちは、 相手をありのままの状態で受け入れた上で、いいこと悪いことはきちんと教えてくださる。 自分の考えを押し付けない、 一人の人として堂々とされていて、無理したり、よく見せようとされないので、あまり目立たない どこで、いつお会いしても同じような雰囲気で安定されてる。 情に厚いが感情的ではない その人がいると、まわりも、噂話とか陰口がなぜかでず、いい方向に話し合いができる 回りの意識もいい方向に向かう そっと並んで立ってくださるような感じ こんな感じでこの年齢を迎えたい!というお手本になる。でも、あまり目立たないので誉めそやされるわけではない。 うーん、お見せしたいものです。でも、全部の先生にはそれは求めていなくて、でもそれぞれにいいところや強みがあるからそこはお手本になるし、悪影響は受けないように注意するという感じで。

q-a
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 例に出していただいた方は、私にとりましても正に理想の方です。また、日野原先生の対談も参考になりました。「Do not ~!」ではなく「Let's DO!」という考え方が必要だとおっしゃってましたね。私自身は何かが好きという感覚より、何かが嫌いという感覚のほうが強烈なところがありまして…do not!のタイプだなぁと思いました。また、相手をありのままの状態で受け入れるということが大切なのですね。尊敬できないところのある先生でも、とりあえずゆったりと受け入れて(ひとつでも尊敬できるところがあれば という前提ですが)、あとは私の価値観をしっかりと固めてゆけばいいのですね。大変参考になりました。ありがとうございました!

  • ushy
  • ベストアンサー率21% (66/301)
回答No.1

自分なりの基準と言う事で・・・。 私は『本音で話が出来る人』『叱ってくれる人』について行こうと思いますし また、そういう人としか友達になりたいと思いません。 本音で・・・と言うのは大前提だとして 『叱ってくれる人』というのは、言ってみれば私を思ってくれる人です。私が悪い事をしたり、違う道に言ってしまいそうな時に、叱咤激励をしてくれるのは本当にありがたいのです。 叱るというのはエネルギーの要る作業です。それを私に向けてくれる。これって凄い事だと思うんですよね。 どうでも良いと思っている相手なのであれば、その人がどうなろうと構わないわけだから、笑っていられますが 助けてあげたいとか、何とかしてあげたいと思うからこそ叱るわけです。 まぁ「叱る」と一言で言うと変な気もしますが 自分を見てくれる人(勿論、自分も相手にそうありたい)、そういうひとについて行きたいですね。

q-a
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 本音で話が出来る人 というのを伺って、私自身あまり本音を言わないほうなので反省いたしました。これからは「相手のためになる」と判断できることは、相手の耳障りなことでも本音として言えるような人になりたいです。もちろんだれかれ構わず、という訳ではなく、言うべき相手には言う という感じで。口から生まれてきたような先生がいて、TPOのわきまえがないなぁ と思った経験があります。それでいて人の欠点を責めるようなところも少々ある人で…誰しも欠点があり、それを省みる心がけがあるなら、それでいいのでしょうけどね。常にお互い様ですね。 私自身も付き合うに足る人にならなければ…そう思わせて頂きました。ありがとうございました!

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