- 締切済み
中田選手について
中田選手はASローマからどこかのクラブに行きましたが、移籍の理由はローマが必要としなかったからでしょうか!?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Jameskusa
- ベストアンサー率31% (229/718)
当時のローマの監督のカペッロは、チームのシンボルであるトッティとタイプが重なる中田をペルージャから獲得したのは、中田がボランチ(レジスタ)としての能力があり、トッティと共存できると考えたからです。しかし当時のセリエAはEU内でも外国人枠があり、中田は常にその壁に当たりコンスタントに出場できませんでした。他の方が回答されてるユベントスとの天王山に出場できたのも、その試合の直前に運良くEU枠が撤廃されたことで出場機会が巡ってきたのです。 中田がその後にパルマに移籍したのは、EU枠が撤廃されて出場機会が増えることに期待し、移籍を希望した中田側と、彼を失ってもチームへの影響があまりないと考えたローマ側と、当時パルマラットグループの豊富な資金力で何とかチームをセリエAを優勝に導くために優秀な選手をほしがっていたパルマの思惑が偶然一致した結果です。破産前のパルマラットの資金は豊富であり、タンツィ会長が中田にほれ込んでいたそうです。だからこそ27億円(多分それくらいの金額)の移籍金を出してまで中田を獲得したのでしょうし、慢性的に財政難のローマにとっては非常においしい話だったと思います。
- aki02aki
- ベストアンサー率53% (176/331)
トッティの控えとして、必要なときにきっちり仕事をするとチーム(カペッロ監督)から 信頼されていましたが、EU圏外の外国人枠の制限でベンチに入れない場合が 多かったこともあり、エース(10番)の好待遇で誘ってくれた パルマに移籍を決めたのだと記憶しています。 #1さんが記されたユベントスとの天王山での大活躍で、今でもローマサッポーターに 「ナカタは優勝の功労者」と感謝されているそうです。 しかし、この移籍もプランデッリ監督との起用法の対立、 奔放なアドリアーノやムトゥとの関係などでまったく希望と裏腹なものに なってしまいました。この当時に膨れた移籍金設定(4億円)が現在も ネックになって、レンタル以外の正式な移籍話の妨げになってしまっています。
- TOPSHADE
- ベストアンサー率26% (13/49)
中田はローマからパルマに移籍しました。 簡単な理由としては、中田のポジションがローマのシンボルであるイタリア代表トッティと同じで、出場機会があまりなかったからだと思います。 しかし、00/01シーズンにはユベントスとの天王山で、2-0からトッティと交代して1得点1アシストの大活躍を見せ、ローマの優勝に貢献しました。 そしてシーズン終了後に出場機会を求めパルマに移籍しました。 こんなとこですかね・・・