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邪悪が勝つ

「悪質な者の方が強い、より悪質な者が勝つ」 こうした現実について、教育現場は子供達に、どの様に教えているのでしょうか。 特に権力・権威の悪辣ぶりと、これを維持しようとして発生する階級性に関して議論した物があれば教えて下さい。

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  • taked4700
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回答No.3

>同感です。 ただ二次大戦の時の様な扇動というより、大規模な(例えば日本沈没みたいな)災害対策報道から事が始まる様な予測します。  そうですね。実際、東海地震など、かなり大規模な災害が予測されていて、しかも、東海地震の震源域の真上にある浜岡原発がその地震でかなりひどく壊れる危険性が強く指摘されているのに、あまりマスコミが報道しない。現実にそういう事態になったら、関西から関東にかけて、数十年以上にわたり、居住不可能、しかも、放射能汚染された人々を受け入れるわけに行かないから、押し寄せる避難民を自衛隊や警察、民間人が、追い返すような状況になる可能性が強い。 これについては、http://www.stop-hamaoka.com/ を参照ください。 >悪い予感の話より、現実を踏まえてより良い世界にするために、自分がどうすれば良いのか。 それを必ず考える教育であって欲しいです。  少なくとも、自分はがんばってきましたよ。ただ、あまりに、今の教育社会は、環境が悪い。 増田都子という東京都の社会科中学教員の事件をご存知ですか。彼女は非常に優れた社会の授業の実践をやっていたのですが、ちょっとしたトラブルで、完全に干されています。 これについては、多くのホームページが開かれていますから、それを読まれるといいと思います。 例えば http://page.freett.com/postx/henkou/masuda_saiban.html ただ、本当にひどい事件は、ホームページさえ開けないことが多い。 >”現実”を理由にアクドイ手段を好んで選ぶ年長者が多すぎると思います。 自分の損得でしか動かないという様な。 そうですね。自分も、それは、強く感じます。ただ、「現実」を貴方は知っていますか。 「現実」は、たとえば、「渡る世間は鬼ばかり」のドラマに出てくるようなものでは決してないのです。 まして、公教育と言う現場は、まったく異なると言えます。つまり、それは、日本と言う国家意思が、直接体現される場であり、だからこそ、次のようなことが起きているのです。 1.太平洋戦争などが、学習の場からはずされている。日本史は江戸時代まで、現代は、「現代社会」という教科で別に扱う。 2.ゆとり教育(中学校での絶対評価導入、高校入試での推薦の割合の大幅増加:神奈川では全高校で5割超、指導要録の成績の部分の保存年限の20年から5年への変更)の導入による所得格差を階層格差に転化する政策。 3.いまでは、すでに、日常風景になってしまっていますが、急速に女子生徒が制服をミニスカート化したとき、文部省や教育委員会は、まったく何も指示を出さず、学校現場も、黙認した。その間やったことは、儀式での日の丸、君が代の徹底でした。これは、非常にきつくやり、いちいち、教育委員会から人を出して、学校ごとにチェックまでやった。 僕などは、でっかい戦車が向かってきていて、それに素手で立ち向かうのか、と言う感覚に、いつも襲われていますよ。教育現場から外れた、今でさえ。 そういうことの中で、一部の教員は、いろいろ考えながら、何をどう妥協するのか、日々判断しながら、仕事をしているのです。なにか、ぐちになってしまいましたが、若い人は、未来があるのですから、こういう現実に負けないことを祈っています。

noname#34252
質問者

お礼

希望と苦労を感じます。 御回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • taked4700
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回答No.2

高校段階までなら、見事なほどに、そういうことは隠されてしまい、情報としては生徒に伝わりませんね。 ひとつには、歴史教育が古代、中世から始まり、近代史が、タイムオバーとか、入試に出ないなどの理由でほとんど取り上げられないこと。 もうひとつには、教員管理が非常に厳しくなり、大本営発表式のマスコミに載った情報のみ授業で取り上げる、または、ホームルームで話題にするということしかできなくなった。 教職員組合のことがありますが、これも、まったく機能せず、ただの利益団体になっている感があります。 非常にいやな予測ではありますが、将来戦争が起こり、それに人々を駆り立てるための洗脳機関としてマスコミと学校が機能すると思っています。

noname#34252
質問者

お礼

回答ありがとうございます >非常にいやな予測ではありますが、将来戦争が起こり 同感です。 ただ二次大戦の時の様な扇動というより、大規模な(例えば日本沈没みたいな)災害対策報道から事が始まる様な予測します。 悪い予感の話より、現実を踏まえてより良い世界にするために、自分がどうすれば良いのか。 それを必ず考える教育であって欲しいです。 ”現実”を理由にアクドイ手段を好んで選ぶ年長者が多すぎると思います。 自分の損得でしか動かないという様な。

回答No.1

論争になっちゃいそうな質問だと思うけど。 それは人類の永遠のテーマなのではないかなぁ。 ここからはただの意見ね。回答とはいいがたいと思う。 読んだときに、トマス・モアのユートピアを思い出したけど違うよなぁ。 邪悪の定義、権力は常に悪であるという命題、それすらが個人的な問題であると思う。 また、教育の現場というのは学校教育のことを指してるように思うのだけど、学校教育(公教育かな?)はその性質から絶対な反権力にはなりえない、と思ったのだけど、どうでしょう。

noname#34252
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 個人的な定義は良かったです。 確かに「善悪は主観の問題」と考えることができますね。 絶対な反権力にはなりえないというのもそうですが、中国・韓国は逆にすごい”らしい”ですよね。 つまり絶対な(現在の)権力肯定主義教育のようです。  教育現場は「異なる環境から複数の子供達を」狭い空間に閉じ込める訳ですから、絶えず争議があるはずなんですよね。 「教育原理の範囲」の質問だったのかもしれませんが忘却・不明なのです。 教育指導現場はどうしているんでしょうか。