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現状について。
私は教育を勉強しています。 そこで、現代における算数教育の問題点を 教えてほしいです。 子どもの学力低下が問題なのか、カリキュラムの問題なのか。 子供たちの現状を教えて下さい。 そして、あなたなりの考えを聞かせてください。 お願いします。
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今、子供たちは、テレビゲームで育ってきています。平面の画面を見て物事を判断する形で経験を積んできています。そのため、vetvetさんの言うように、立体的な物の見方が極端に弱く成ってきているのだと思います。 また、RPG などのゲームも自分で考えて解くということよりも、攻略本といわれるものをみて、やっているというのが現状だと思われます。 よく、「低学力であるのは、教師の力量不足である」ということを言われていますが、ことわざに「三つ子の魂百まで」と言われるように、小さいころからの習慣や考え方が大きな影響を与えていると思います。 カリキュラムが問題であると指摘する人がいますが、どの点がどのように間違っていてそれをどうすべきであるということを総合的に言っている人は、少ないと思います。 どのようなシステムでも良い点と悪い点を内包しています。ですから、どのカリキュラムをとってもこれが最良であり、間違いはないというものは存在しないと思います。 おそらく、子供たちを見ていて感じるのは、「面倒なことや、つまらないことは、いや(裏返して言えば、刺激がほしい)」「楽に答がでてほしい」「これの答えが直ぐほしい」という生き方をしているような気がします。 1+1=2や3×4=12という「+」「=」の記号や計算を幼稚園やあるいは、もっと早い段階から、学習させています。でも、そのため、「あー、そんなこと知っている」といって、小学校などで学習する時には、興味がすでに少なくなっているのだと思います。そのため「刺激のすくない事」になってしまっているのではないでしょうか。 ところが、幼稚園などでは、比較的簡単な計算を少ししかやってきていないと思います。ところが、この「興味の少なくなった事」を、小学校で学習をする時には、同じ様な計算練習を何度もさせられえてしまい「めんどうくさい」ことをやらされていると感じているのではないでしょうか。 足し算や引き算や九九などは、慣れの問題だとおもいます。ある程度の量をやることによって身に付くことであるのに、子供たちが「やらない」ので、身に付いていかないのだと思います。ところが、これらは、算数の基礎となることです。これらの計算することがおっくうであり、慣れていない状況にあるのに、次の項目に移っていくことで、訳がわからなくなっているのではないでしょうか。 また、分数の計算を話しをする時に1/2+1/3の計算を説明するのに私などが塾などで教える時によく使ったのは「コップの水」の話です。ところが、立体的なものを判断することを練習してない子供に立体的な物であるコップの話しをしても、コップの水その事自体が、理解できていないのではないでしょうか。そんな状態であれば、この次の分数の計算などは、とてもできるものでは無いと思います。 また、小学生にxやyをつかった方程式を導入しようとしているようですが、数字や立体的なもののイメージが充分でないのに、文字式という新しいイメージを入れれば、混乱が生じるだけだと思います。確かに、昔やった「植木算」「年齢算」「鶴亀算」などは、方程式で一元化出来ますが、xやyを使わないで解く解き方のおもしろさがあったと思います。めんどくさいといってしまえば、そうかもしれませんが、そんなおもしろさを伝えることも、教育の持つ重要な役割でなないでしょうか。 このごろ「17歳の事件」というのが取り上げられています。そこで、よく耳にするのが「今の学校は何をやっているのか」「学校で命の大切さをもっと教えていけ」とかという言葉です。でも、「学校」がやらなければならないことは、あるでしょう。でも、「子供たち」がいる時間は、学校よりは、地域や家庭であってそちらの時間の方が圧倒的に多いと思います。また、中学校や高校が関係できる時間はわずかに3年。その3年もずっとではなく、夏休みや冬休み、また、今後の週休5日制ということを考えると、日数にして、1年の内の160日にしかならず、半分程度の時間しか、子供たちが学校に接触していないと言うことを忘れているのではないでしょうか。 学校に責任を押しつけることで、学校関係者以外の人間はその責任を放棄して逃げているように感じるのは、私だけなのでしょうか。 大人である私達が感じる感性と子供たちが感じる感性は、違っているということを考えていかなければいけないと思います。しかし、明確な考えや信念をもって行動を子供たちに示せば、子供たちは、その違いを乗り越えて信頼関係が生まれ、子供たちは、共感してくれると思います。それは、子供と大人、生徒と先生との関係ではなく人間と人間との信頼関係だとおもいます。 数学教育の考えの部分は少なくて、自分の考えの部分が多くなってしまってすみませんでした。 tukitosan でした。
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- guchi
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僕は高校生なのですが、小学生が算数を嫌いな理由、、、 ほんの一瞬しかない理解のチャンスを逃してしまう子供が出てくる→その子は定理や 公式を「なぜ?→理解」の過程を経ず、無理矢理詰め込み状態になる→するとすぐ忘 れる→解けない→できない→もういやだ となるので (1) ほんの一瞬しかない理解のチャンスを増やすことが大事だと思います。 (2) また身近な算数(算数オリンピックみたいな)大人のほうが以外に考える問題を 教育課程に入れるのはどうでしょう?
お礼
やっぱり詰め込みはだめですよね・・・。 本当にありがとうございました!!
- vetvet
- ベストアンサー率0% (0/2)
中学校の塾の講師をしております。 1年生を教えていて特に感じることは、立体に弱いということです。過去と比較して同なのかは経験の浅い私にはわからず質問の意図とはそぐわないかもしれませんが、昔に比べさまざまな教育手段が生まれています。これからは立体図形にもう少し力をいれて教育ができればと考えております。
お礼
立体は私も弱いです・・・・。(汗) まず、私もがんばろうとおもいます! 本当にありがとうございました!!
- ogu-ken
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今、大学で教職コースを選択し、小学校の教師を目指している学生です。教育カリキュラムの考え方が、現在、教科カリキュラムから経験カリキュラムを重視しようという考え方に変化しつつあります。それにもかかわらず、今までの偏差値やテストの答えの部分にばかりこだわっている、古い教育評論家やマスコミが、学力低下を叫ぶのはおかしな話です。以前から日本は、年齢主義をとっており、課程主義ではありません。要するに、勉強が必ずしもできる必要はなく、学校にきちんと通って、進級してくれることに意義があった訳です。つまり、学力低下論を正当化したいなら、日本の教育行政を課程主義に変えさせてからにしろ!ということです。経験カリキュラムの考え方から言えば、算数、数学は答えの数字ではなく、途中式(児童、生徒 の考えている過程)が大事なはずなのです。計算ミスをすれば、0点になってしまう、マークシートを代表格とする、今の受験体制も問題の根底にあるのでしょう。そんな 矛盾にかきまわされている、今の子供たちは可愛そうです。あと、数年で今の受験体制はなくなるとされていますが、一日も早く、教育カリキュラムとその背後の教育行政が一本化されて欲しいと願うばかりです。(年齢主義、課程主義、経験カリキュラム、教科カリキュラム等の用語が わからなければ、川島書店「今教育を考えるための8章」を参考にでもして下さい。)
お礼
カリキュラムは本当に厳しいみたいですね・・・。 確かにマークシートはおかしいですよね!!! あんなのは教師の側が楽になるだけのような気がします。 はんとうにありがとうございました!!
- tullio
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塾の講師もしている数学者の卵です. カリキュラムが酷いのはもちろんですが,他にも危険性が指摘されている早期教育が広がっていたり,思考能力を低下されることが指摘されている法則化運動があるなど,複数の要因があると思います. その他にも理系文系分離問題や職員室の閉じた世界問題,教師の能力不足により科学の面白さが伝わらず,科学一般に対する関心の低下などなど... しかし,子供が自分の脳みそを使わなくなってきていることは心理学や精神分析の論文でも指摘されており,まだ解明されていないことも多いです. 教師や講師が数理科学全般と心理学,教育工学への深い造詣を持つことが唯一の解決法だと思っています.
お礼
私も小学校の職員室は今でも苦手です・・。 やはり、教師の側にも要因はあるんですね。。。。 ほんとうにありがとうございました!! 法則化運動についても考えたいとおもいます!!
お礼
ほんとうにありがとうございました!! ものすごく参考になりました!!! やはり、社会背景とか、いろいろな問題があるみたい ですよね・・・・。 それを乗り越えられるような教師になりたい と思います。 ありがとうございました!!