• ベストアンサー

どうしても。。。(長文ですが)

こんにちは。 よいアドバイスがありましたらよろしくお願いします。 先日、元彼が結婚しました。 彼とは7年程付き合っていて結婚する予定だったのですが、昨年の夏に別れました。 原因は、苗字と私の仕事について、家族を含めての結婚の話合いがうまくいかなかったことです。私が折れることで結婚の方向に向かっていたのですが、、、 直接の原因は、両親を含めた顔合わせのときに彼のお父さんに汚い言葉で罵られ、そのときの彼の態度が不満だったことです。 彼のお父さんに対して殺したいほど憎く思ったこともあります。今は、彼に対しては未練はないし、そこまで思いつめることはありません(と思います)。私も新しい仕事に就き、そこで普通に働いています。今回の彼の結婚の連絡を受けたときも祝福してあげられました。 お互い、新たなスタートを切っていると思われるのですが、、、 もともと彼への未練よりも彼のお父さんへの憎悪の気持ちのほうが後々まで残っていました。今でも残っているかもしれません。普段は普通に生活しているのですが、時々ふと悲しくなって突然泣き出してしまったり、憎悪の気持ちを抑えるのが難しいほどだったりするときがあります。 自分の感情をコントロールできなくて怖いです。解決したつもりでいても、もしかしたら解決したつもりになってるだけであってまだ心の傷はまだ癒えていないのかと思ったりします。こういう感情って一生直らないんでしょうか?時々ですが一生苦しまなければいけないんでしょうか?それとも病院にいって相談したほうがいいのでしょうか?病院へ行くほどではないとしたら、どういう考え方をしていったら楽になるでしょうか? すみません、よろしくお願いします

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • true-1
  • ベストアンサー率20% (22/105)
回答No.3

彼のお父さんへの憎しみ、これは、一生引きずっていったら、相当辛いですし、大変なことです。ただ、言えることは、あなたにとって、この事件は、解決していない、という事です。 どうすれば、解決できるのか。そのお父さんに対して復讐をすればいいのでしょうか。同じくらい苦しむ状況を与えれば、せいせいするのでしょうか。その言葉を撤回して土下座をしてもらえれば、納得するのでしょうか。死を持って償って貰えれば、気が済むのでしょうか。 恐らく、上記の事が実際に行われたとしても、心のしこりは残りますし、逆に罪悪感に苛まれる可能性があります。 その出来事に対して、自分がどう捉えるのか、どう受け止めるのか、そこが重要です。恐らく今の捉え方は、あのお父さんの暴言で彼との仲が破綻した、あのお父さんさえいなければ、との怨念を持ち、そしてこれはお父さんに対して、あなたのせい、としている捉え方、考え方です。もし、ここで逆転の考え方、捉え方をしたら、どうなるのか。私が、こうこうこういう態度、言動等を取ったから、あのお父さんは、あんな暴言を吐いたのだ、自分の種まきによって、お父さんはああいう醜い面を出したのだ、との捉え方・考え方。 人は、責任転嫁をしているうちは、苦しまなければなりません。つまり、解決しない、という事です。いつまでも、一生引きずります。自分に非が全くない、というのは、ある意味自分の防衛本能としては、優秀な考え方と思われがちですが、これは防衛でもなんでもなく、逆に、自分への攻撃になるのです。 小さい事例で考えれば分かると思います。人のせいだと思っているうちは、その人が平然と生活していると思うと腹立たしいですが、一旦考え方を改め、実は、私に非があったとすれば、意外とその事について、どうでも良くなったりします。自分で怒って、自分を追いつめる、という事は、周りから見れば愚かしい事にしか映らないのです。 日々、人は悪い考え方や思考をしています。という事は、何か災難が自分に降り懸かってきても、それに相当するような事を普段思っているのだから、少しぐらい不幸な出来事に出くわしても仕方ない、と思えれば、実に楽な生き方が出来るのです。戦争は、人の行為が悪いのではなく、その人の心が悪いから起きるのです。心で思わなければ、決して戦争は起きません。自分の心には悪い部分もある、という点も認識していって下さい。 過去の私の回答例を参考に進めていて下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1734251 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1721539

happyhappigirl
質問者

お礼

やっぱりまだ解決していなかったんだなと思いました。解決させなきゃいけないと次に行かなければいけないという気持ちもあって余計に苦しかったのかもしれません。でも解決してないんだって言われたらなんか少しすっとしました。あとは考え方ですよね。確かにいろんな経緯があって例の発言になったのかもしれません。参考にさせていただいて考え方を変えて様子をみてみたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.2

質問者さまは泣けるだけ、まだ良いほうなんです^^ 「涙も出ない」という人がたくさんいるんです。 傷つき体験から心が硬直してしまい涙さえも出なくなってしまうことがあるんです。 つまり、それだけ自分以外の何かに心を委ねてきた証拠なんです。 もちろん人間は自分ひとりでは生きられませんから、常に何かに心を委ねているんです。 親、兄弟を信用するとか、恋人、夫婦間の信頼であるとか・・・何かに依拠していないと居られないし、無意識に依拠するんです。 でも、そうすると必然的に自律的な力が弱まってしまうのも事実なんです。 この世は諸行無常ですから、いつ何が起こるかわかりません。 依拠していた何かはいつ崩れ去っても不思議ではないんです。 自分の手足だって、突然の事故に遭えば、明日、切り落とすようになるかも知れないんです。 この世の全ては「移ろっていく」という大前提があるんです。 だから一番、大切なのは「心」ということになるんです。 「心」さえしっかりしていれば、生きることが平気になるんです。 「自由」という言葉は本来仏教の言葉なんですが、これは「フリー・野放し・やりたい放題」という意味ではなくて、「自分に由って生きる」という意味なんです。 自分をしっかりとした人間に成長させて、その上で、そんな自分に由って生きていきなさい。という教えなんです。つまり、簡単には揺らがない心「平常心」を鍛え、育てなさいということです。 で、「坐禅」というのがあるんです。 坐禅はご存知のように精神統一をします。 精神統一をすれば「平常心」が育ってくるんです。 ジェットコースターのように舞い上がるか、落ち込むかだけの感情(煩悩)の奴隷として生きるのではなくて、精神統一により平常心を鍛え、自分に由って生きることが出来る、そのための方法論が「座禅」なんです。(理に叶っていると想いませんか?) 座禅以外でも、ゆっくり動くので有名な「太極拳」でも良いと想いますが、大切なのは「心」を鍛えることにあるんです。東洋の健身術というのは、みんな平常心を鍛えるものばかりです。薬の無い時代の自然治癒力を活かした人類の叡智です。 井上希道さんの「坐禅はこうするのだ」という本がお勧めです。 あと私の一番のお勧めは「ヴィパッサナー瞑想」という仏教瞑想です。 本は図書館で借りてください。 あと以下の#5も一読してみてください。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1744356

happyhappigirl
質問者

お礼

座禅とか仏教とかほとんど知りませんでしたのでそういう意味があったのかと読ませていただきました。心をしっかりさせなければいけないというのがとても心に響きました。今の私に足りない平常心を鍛えなければいけませんね。どちらかというと煩悩派なので機会があったら座禅にも挑戦してみたいなと思いました。

回答No.1

難しいと思いますが、『イライラさせてくれてありがとう』と言ってみてください。 そしたら貴方の心は軽くなると思います。 ありがとうは魔法の言葉です。 辛いときや悲しいとき苦しいときにありがとうと言うと幸せが訪れます。 でも嫌なときに嫌な事を考えてしまうと嫌な事しか起こらないです。 不幸が不幸を呼ぶ、これはある意味法則ですが悪循環ですよね。 だから、嫌なことが有った時こそ、ありがとうといって嫌な事(不幸の鎖)を取り払うんです。 ・災い転じて福となす。 どんな不幸な状態でもありがとうと言えば幸せが転がり込んできます。 ちなみに・・・ ありがとうを漢字で書くと・・・・有り難う。 難が有るから、その時こそ有り難うと言うんだと思います。 私はこの有り難うで色んな辛い事にも耐えられました。 元々は本で知ったんですけど、実践してみたら本当に有り難うは凄いなと思いました。 でも1つ注意ですが、人の悪口、人を怒ったりやネガティブな事を言ったり、したり、思ったりは駄目ですよ。 言葉は言霊ですから、幸せが逃げてしまいますから。 僕は辛いときでも悲しいときでも苦しいときでも有り難うです♪

happyhappigirl
質問者

お礼

ありがとうございました。がんばって「ありがとう」唱えてみます。これは今回だけでなくていろんな状況で使えますね。。。ぜひ使わせていただきたいと思います。ありがとうございました。

関連するQ&A