日米のプロレスの違い~勧善懲悪、正義~
まず質問するにあたりまして、プロレスはショーであってある程度台本やストーリーがあり、K1や総合などのようなガチの真剣勝負ではない。という前提で話を進めさせていただきます。
プロレスというのはどの団体であってもプロレスのストーリーというのは基本的にトップベビー対トップヒールという構図で話が進んでいくと思います。
その中で私が大好きで見ているWWEは、ベビーがヒールをぼこぼこにしてそのストーリーは終了します。
ヒールには情け無用!勧善懲悪!といったようなことを見ていて感じます。
例えば負けたほうがWWEを去るなどそういった試合も中にはあります。
これってアメリカの「正義」の表れのような気がします。
アメリカの正義というのは力こそすべて!というのだと私は考えています。
ここで質問なのですが、日本のプロレスもこのような勧善懲悪でストーリーは終わってしまうのでしょうか?
もしそこに日本の「正義」が現れるのであれば、儒教的な考えの「義」といったものが現れるのではないかなと思います。
例えば試合終了後に対戦相手をほめたたえたり、一緒に手をあげたり握手をしたりなど形は様々です。
私はWWEが好きなのでプロレスを用いて論文を書こうとしています。
質問した通りストーリーの終わりがWWEと日本のプロレスで異なっていれば、日米間の正義の定義の違いについて言及できるかなーと考えています。
しかし、いかんせん自分は日本のプロレスについて疎く、調べてもあまり満足のいった結果は得られなかったのでこの場を借りて質問させていただきました。
まとめさせていただくと質問内容は、
日本のプロレスのベビー対ヒール抗争の顛末はどうなっているのかということです。
団体は問いませんができたら新日本や全日本などの大手団体だとありがたいです。
回答は団体名と抗争した選手の名前、その抗争についての大ざっぱな流れなどがあるとうれしいです。
とても特殊な質問だと思いますが、回答の方よろしくお願いします。
長文失礼いたしました。
お礼
ありがとうございました