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「暴力団」が公的に存在できる理由は?
新聞などで、「山口系暴力団」などの言葉が載ることがありますが、「暴力団」と名の付く組織が公的に存在可能であることに違和感を覚えます。 なぜ、「暴力をサービスとして販売するビジネス」が法的、あるいは、人道的に存在可能なのでしょうか?
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それは、通称「暴力団対策法」によって指定暴力団として認められているからです。 誤解を恐れずにいえば、一種の許認可事業なんですね。 反社会的な組織と認め指定することで法的な縛りを設けるというシュールな発想です。 警察が素直に根絶へ向かわない理由は以下の二点が考えらます。 1.不良少年などの受け口といった側面を持つなど、必要悪であるという伝統的な認識 2.どうせなくならないのだから地下へ潜らせず、明るいところで監視していよう、という現実的な利便性 蛇足ですが、戦前の赤線と同じ発想かもしれないと感じています。
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名称に何を使おうとも商標にでもひっかからなければ好き勝手にできるので.暴力団と名乗ることは自由(たしか.クループサウントで暴力団を名乗っていたグループがあったはず)です。 次に.機械的力を行使する集団がある組織(いわゆる暴力団といわれる人は.レンタカー屋・健康食品販売・中古品販売・絵画販売・政治家後援会等であり.愛想が良く人格が良い人が.組長クラスの人。息子が弁護士だったり製品名を言えば大多数の人が知っている企業の部課長だったりします)では.かなりが政治団体です。したがって.参政権を保証する意味で規制が不可能。 以前技術指導したこともありますが.カツアゲしているよりも金で縛れ.と商店経営を教えました。イまでは結構有名な商店経営をしているようです。 株主として企業経営に参加している暴力団もあるようです。 刃物持ってヤリ合うのが暴力団ではありません。
お礼
確かに暴力団も海外提携やIT企業への投資など、通常の企業並みに進化してますね。そうなると、「暴力団」より「謀略団」の方が良いかもしれませんね。
- buleberry15
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No,6です。 >我々一般人なら怖いけど、警察なら、職務柄、怖いとは言ってられないので・・ おっしゃる通りです。しかし、その警察も人相だけで人を検挙するわけにはいかないので、一般国民が「被害にあった事柄」や「迷惑である意見」を声出して警察に口を開いて訴えなくては動きようがないと思います。 その一般人の「一言」が必要だという意味です。 自分は何も行動せず、「誰かが(他人)がヤツラを排除するべきだ。」と思う人が多いほど彼らはびこり、「市民権」を得てしまうのでしょうね。 私は暴力はいかなる場合も反対です。
お礼
なるほど、警察に任せるだけでは、解決しないですね。 ありがとうございました。
- buleberry15
- ベストアンサー率23% (450/1912)
国民がその存在を許してしまうからだと思います。 「(怖いから)かかわらない様にしよう・・。」ってのが許してしまっていると思います。 昔、イギリスの著名人が「日本は暴力団の存在を認めてしまっている。悪に戦おうとしない。」 と述べていて同感しました。 私も、公的に存在可能であることに違和感を覚えます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 我々一般人なら怖いけど、警察なら、職務柄、怖いとは言ってられないので、何とかなりそうにも思うのですが。
- pastorius
- ベストアンサー率48% (538/1110)
暴力団みたいな組織は暴対法その他の法律ができる以前からありました。 政治結社とか労働組合なんてのも、法律が認めたから存在するようになったのではなく原始的な組織形態は当初から存在していて、事後的に法律がそれが何たるかと定義しただけです。 たとえば最近廃れてるみたいですが暴走族とは何かというのは、公的にというか法律上定義されてません。しかし存在します。チームなんてのも一時あったみたいですね。絶滅したんでしょうか。 パソコンやってても同じ趣味のグループができますよね。釣りクラブとか、フラワーアレンジメントを楽しむ会とか。 暴力団があるから組織的に暴力を振るう集団ができるのではなくて、自発的にそういう集団はできてしまうんです。暴力団と指定すれば解散させればいいという短絡的な対応をすると、性質の悪い秘密結社のようなものがはびこるだけです。 法律的に暴力団とは何かを定義したのは、暴力団を擁護するためではなく、締め付けるためです。暴対法の施行は暴力団の勢力や活動を弱めるために非常に有効でしたし、今も有効に機能しています。 暴対法施行のときに、法的に暴力団を定義するなら全部解散させてしまえばいいじゃないかという議論はありました。しかしそうすると全国で何万人だか何十万人だかの暴力団員が失業するわけです。 「うちの組員どうしてくれるつもりや」といわれると、牢屋に入れるわけにも行かず国外追放するわけにもいかない。更正して働けばいいじゃないかと言うかもしれませんが、世間は元暴力団員とか前科者を差別するというのも現実です。できるなら暴力団なんかじゃなくて公務員になりたいと思う組員は相当多いと思いますが、そこは世間が暗然と差別します。 既に存在している物を無くしてしまえばいいというのは、言うのは簡単ですが行うのは難しい。 暴力団という名前が駄目なら右翼だとか同和団体だとか名前を変えるだけのことです。金ぴかの菊の御紋を貼り付けて天皇万歳と大書した黒い右翼バスを運転してる右翼団体員には驚くほど在日韓国人が多い。彼らは思想が天皇万歳なのではなくて右翼が受け入れてくれるからそこにいるだけです。 暴力団員や右翼を解体した時に、あなたはそこの組織に属していた人と良き隣人としてお付き合いしますか、というのがおそらく根本的な問題のひとつです。現実問題としてぼくだって全ての元暴力団員や前科者や元右翼の人と良き隣人としてお付き合いできるとは思えません。人道的には良く無いことだと思いますが。
お礼
説得力あるご回答ありがとうございます。 読ませていただいて、暴力団の社会的ニーズは、かなりあるのかなと思いました。もし、社会的にニーズがないのなら、若者を暴力団に就職させることを法律で禁じて、既存組員の高齢化と共に自然消滅を待つという手もありそうに思うのですが。
- kankasouro
- ベストアンサー率54% (269/492)
憲法に 第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】 1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 という規定があります。むろん「公共の福祉」に反しないかぎりですが、さまざまな意見を表明し、代表するための「結社」(組織をつくること)は民主主義を健全に育ててゆくうえで必要不可欠のものであり、政府が「これは可」「これは不可」というふうに認可するようになると、権力の側に都合がいい組織以外は存在できなくなってしまうおそれがあります。そこで、原則として結社はまったくの自由であるわけですが、むろんそれを悪用する人々(暴力団もそうだし、節税目的の宗教法人などもそう)もいるわけですから、彼らにいかに抜道をさせないか、ということが大切になってきます。 つまり(1)基本的に結社は自由、(2)しかし問題のあるものは(1)の自由を保障しつつ取締りを行う、というのが結社に対する民主的な政治の態度であるというのが定説となっているわけです。ただし(2)をどの程度強力におしすすめるかは、国によってスタンスが違い、「害のある結社は真っ向から禁止する=権力の暴走を許し圧制国家が生れる危険性がある」と「害のある結社については税法や活動規制などで間接的に圧力をかける=権力の暴走はなくなるが取締まりはゆるい」という二つの型があり、日本はどちらかというと後者のほうに入ります。暴力団がいちおう存在をゆるされつつも、官憲のかなり強力な監視下にあるのは、そのせいなのです。 たとえばドイツのようにナチおよびそれに類する組織は全面的に禁止するという施策の国もあり、オウム事件のような危険性をはらむ日本とくらべてどちらが制度としてすぐれているかについては議論もありますが、根本的に民主主義という政治制度は「民主主義や公共の福祉の敵にも民主主義の恩恵(自由と権利)を与える」という騎士道的側面を持っていることは事実であり、ゆきすぎた結社の取締りには一定のブレーキがかかるようになっているものなのです。
お礼
ありがとうございました。 確かに、結社の自由を保証するという側面はありますが、それにしても、「暴力」という言葉が、「社会的に許容範囲」であるというのは、何となく妙な感じがします。 日本語の意味の問題かも知れませんが、「暴力」というと「無法」や「悪」と類似語のようにも思うので、それなら、「無法」を法で守るというのは、何だか妙か感じがします。
- Reiher
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「人道的かどうか」と「存在できるかどうか」は別だからでしょう。
お礼
ありがとうございました。
- hiroko771
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お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 法律で縛りを設けるのなら、せめて、「暴力」という言葉をはずした方が良いのではと、最初思いましたが、よく考えてみると、それでは、却って本質が隠されてしまうので、結局のところ、「暴力」でもいいかと思いました。