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農漁村の跡取り息子の嫁取り
標題の問題に関して、テレビで問題提起やらお見合い番組やらよくやってますが私は高齢(40代)独身者として恥ずかしくてスイッチを切ってしまいます。田舎の農漁村のお嫁さんは家事や育児や家業の手伝いや老親の世話やらで苦労するのは分かり切っていて、都会の高額手取りのサラリーマンの奥さんのまったりとした専業主婦の家事や育児や亭主の浮気の心配くらいで過ごせる立場とは大違いだとのイメージの差があるのは分かり切ってて、テレビで「嫁さ来てくれろ」という呼びかけはつい「馬っ鹿じゃないの」と思ってしまいます。(あくまでも事前のイメージの問題で実態はそれぞれです) 社会活動や地域活動を通じて積み上げていった人間関係の中に、結婚の可能性まで含めた関係を見いだすならともかく、テレビでいきなり見ず知らずの不特定多数の視聴者に向かって「嫁さ来い」と訴えるのは地域の恥でしかないとおもうのですがどうでしょう。あまつさえ土下座せんばかりに(海外を含む)配偶者を迎えた奴に限ってお嫁さんを体のよいお手伝いさんのように扱うケースが多いように見受けられますが地域の文化的な後進性以外の何者でもないとも思います。 状況が状況なんだから結婚はあきらめろ!、家事など生活上の問題は自分のことは自分でするといった日常的な努力で克服せよ!、ええ年こいて女、女、女と見苦しい、人生は孤独が当たり前!といった私の印象は間違っていますでしょうか。
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都会に住む農漁村の外部者として、ある意味、お説に賛成です。家事など生活上の問題解決は、結婚生活の副産物として、依然、期待出来るものかも知れませんが、理想論的に言えば、それらは、お説の主旨にある通り、結婚の主たる目的ではない、と思うからです。ただ、農村の状況が都市部のそれに比較して「状況が状況」と括(くく)ってしまえるほど、嫁ぎ先の条件として悪い印象を与えてしまうのか、と言えば、あくまでも外部者の眼で見れば、という前提ですが、存外そうとも言えないように思われます。 昨今、都市部における夫婦の協力体制は根本的に変容しつつあります。労働市場の流動化、男女雇用均等法の施行の影響、企業における成果主義・能力主義的評価基準の一般化等に伴う、共働き世帯における夫と妻の労働時間数や収入の逆転、生活圏を遠く離れて働く都市型世帯における家庭生活の空洞化など、家事に代表される生活上の問題解決、換言すれば、伝統的な夫婦間の共同体制を、夫が働き、妻が支えるというような定常的なパターンで維持継続するのは困難になりつつあります。また、高齢化の波は都市部にも確実に波及しつつあります。 このように流動化した労働市場のただ中にあって、例えばマンションのローンをきちんと払っていくためには、リスクマネジメントの観点からして共働き(=家業)は止められない。育児も、もとサラリーマンだった老親の世話も、無論おろそかには出来ない。さりとて他人様の傘の中に入って働く宮仕えの身では、実質的問題がないからと言って、そうそう行動の自由は利かないし、ポストを失う不安もある。仕方なく育児も介護もお金で解決、出費がかさんで家計はひっ迫、の悪循環です。外面的には小奇麗なスーツに身を包んではいるものの、質問者様のおっしゃるようなサラリーマンの安泰な生活像は、一部のエリート層は別として過去のものになりつつあり、表現の良し悪しはともかく、ある意味、都市生活は、農漁村化の状況を呈していると言って良いかも知れません。 田舎の農漁村のお嫁さんは家事や育児や家業の手伝いや老親の世話やらで苦労するのは分かりきっていても、前述の状況変化で、まったりとした専業主婦ライフが都市部で期待出来なくなりつつあるのはまだ良いとして、必要経費と所得の最小公倍数を追いかけるために、自分の生んだ子供も、自分や自分の夫を生んでくれた両親も他人にうっちゃって、夫婦とは名ばかりの空虚な「都市型合宿生活」を送るより、その部分だけを取り出して考えるとすれば、田舎の方がずっと良い、と思う女性は存外いるかも知れず、農漁業に従事される田舎住まいの男性から受ける印象そのものと、孤独な人生を、ただちに「イコール」で結ぶ事は出来ない、と考えます。 余談、かつ私見ですが、女性が田舎に嫁ぐ事にためらいを感じる理由は「商品流インフラ」「放送および通信インフラ」に対する懸念に負うところが、最も大きいと思われます。
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- toshi-tsugu
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人それぞれ考え方が違うので、この種のテレビ番組の受け止め方も様々です。 世の中の傾向として、昔言われていた「結婚適齢期」というのは過去の遺物になったのか、早婚・晩婚が多くなったように思います。また独身を通す人も多いように思います。都会・田舎・過疎地という分け方ではなく、全国的にそのような傾向が見られるように思います。 結婚したくても、30~35歳を過ぎると、なかなか相手を探すのが難しいようです。ましてや仕事柄、異性と接触できる機会が少ない職業ではなおさらです。後は、個人の結婚に対する気持ち・努力ではないでしょうか。一生、独身で過ごすのか、できれば結婚したいのかという考え方ではないでしょうか。 30~40歳代は、体も元気なので、一人でも大丈夫と考えるかも知れませんが、50代に入ると精神的に少し弱くなる人が多いと思います。その時、家族・連れ合いがいたらと考えることも多いかと思います。 テレビ番組が、一部行き過ぎの点もあるかと思いますが、視聴率を上げるために一部を誇張していることも否定しません。この種の番組では、「嫁不足」ということで、「嫁探し」をしているということを全国的に宣伝しているに過ぎないと思います。 最初に書きましたが、個々の考え方・受け止め方は様々です。独身主義者もいれば、意志が強い人、意志の弱い人もいます。「嫁不足」という現実があることも事実ではないでしょうか。事実は事実ですし、個々の結婚観は別のものだと思います。 質問の趣旨と異なるかも知れませんが、視聴者の一人として以上のように考えます。
お礼
入院騒ぎでお礼が遅れて申し訳ありません。 まず精神生活の上でたいていの人間は誰かの存在を身近に必要としていると思います。次に生活上の都合で年をとったり病気をするとやはり誰かの存在がだれしも必要です。しかし社会環境としては富と愛情の偏在はますます進みいろいろな問題を引き起こすでしょう。社会的な問題はともかくとしても、雄々しく気高く賢く生きるための哲学と覚悟こそ現代の男の側には必要だと思うのですが、「嫁不足」という言葉の存在自体が現実を甘く見ているんじゃないの、とつい思ってしまいます。 ご回答ありがとうございました。
- tmya-814
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では逆に質問します。出会い系サイトで知り合い、メル友から結婚へと発展した場合はどのように感じられますか?それも一つの出会い方ではないでしょうか?どの番組を見ておっしゃっているのか分かりませんが、某局の「○島の春」の○島の近くに住んでいる者ですが、そこへお嫁に来て幸せに暮らしている方は事実いらっしゃいますよ。確かに農漁村はお嫁さん不足です。あまりにもバラエティ化してしまい、またやらせなどが発生してしまえばどうかとは思いますが、私は出会いの一つだと思います。参加する女性も色々な方がいらっしゃいますし、皆が皆ひやかしや面しろ半分で参加しているとも思えません。
お礼
イメージとしては、というお話です。実態がそれぞれあることは承知しているつもりです。 私には経験がありませんが、「出会い系」というものはいかがなものか、と思います。若い女性が被害者となる殺人事件では出会い系での出会いがきっかけであったり、このサイトでもおなじみの不倫の悩みも出会い系が絡んでいることが多いので。 もちろんこれが偏見であることは間違いないのですが、人間関係が見てくれやしゃべりだけの皮相的なものになっていることの背景にはこのような「出会い系」なるものの存在が関与していることがあるのかもしれません。 私は思うのですが、結婚がどうとかの話とはニュートラルなところに実質的な幸福があり、もはやこだわるべきではないだろうと思います。 ご回答ありがとうございました。
- mk0731
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私は約十年、漁業関係者の方と一緒に仕事をさせていただきました。その当時も嫁不足が深刻。漁師さんは男性社会で、女性と知り合うきっかけが少ないように思いました。私が知っている漁師さんは、みな優しくて女性を大切にしてくれ、また仕事も一生懸命で、結婚するには申し分のない方でした。その時は「世の中の女性は見る目がないな~」なんて、思っていましたよ。 結婚は知り合うきっかけが問題ではなく、結婚してからではないでしょうか?確かに、テレビでお見合いは行き過ぎかもしれませんが、幸せになったご夫婦もいらっしゃると思いますよ。 漁村の生活は、贅沢な生活だと私は思います。新鮮な魚が食べられるし、空気も美味しいし~。何より、季節を肌で感じる事が出来ます。仕事は体力を使い、きれいな仕事ではないので、大変かもしれませんが、他の仕事もいろいろ苦労はあるはず。 また、人もいろいろ。都会が好きな方もいれば田舎暮らしが大好きな方もいますよ。 結婚が人生の全てではありませんが、人と人の縁(異性だけじゃなくても)は大切にしたいですよね。
お礼
仕事の現場では皆かっこいいんですがね、都会の若者と同じような格好をさせるとどうにもおかしなことになってしまいます。女性の側に見る目がないのはその通りなのですが、それはしかたがないでしょう。 フェミニズムの隆盛ですでに独特の文化や人生哲学を作り上げている女性も多く、結婚を人生から排除してなお幸福を追求している女性の側の考え方からして、結婚結婚と目の色かえている男どものなんとみっともないことかとつい考えています。 クォリティオブライフの考え方からすると、当然ながら地方の暮らしの方が遙かに上だと私も思います。私も、コンクリートの箱と大量消費社会に押し込まれてしまうのはいかにも人生そのものがもったいないと考えるひとりですが、これもまた個人差の問題で、絶対的な価値判断の対象としてはたぶんいけないのでしょう。 私は男の生き方としても「結婚」というものを排除して余裕のある生き方ができる方策があるのだろうと思うし、ひとり一人がそのような精神的文化的くびきから解放されて自由に選択できるようになればよいと思うし、もうちょっと毅然としたらどうだとも思うし、まぁいろんな事を思う訳です。 ご回答ありがとうございました。
お礼
過去の悪業が祟ったのか体調を崩しておりまして、お礼が遅れて申し訳ありません。 >都市部における夫婦の協力体制は根本的に変容しつつあります。 おっしゃる通りかと思います。実際はひとり一人姿や性格が違うように人間関係もそれぞれで、高額収入のサラリーマンがよいとか農漁村に嫁ぐ人は大変とかのイメージもマスコミがつくりあげたものと言えなくもないと思います。 幸福というものは実質的なもののはずで、だれかが類型化したパターンに押し込められる必要はまったくないのにライフスタイルそのものが見事にブランド化された結果なのかもしれません。もちろんその前に前時代の残滓のような家督制度を頑なに信じている一部の地域性があることは否定できませんが。 皆の人生の基礎となるべき人間関係が皮相なものになるつつある傾向が進んでいると感じます。 ご回答ありがとうございました。