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農漁村の跡取り息子の嫁取り
標題の問題に関して、テレビで問題提起やらお見合い番組やらよくやってますが私は高齢(40代)独身者として恥ずかしくてスイッチを切ってしまいます。田舎の農漁村のお嫁さんは家事や育児や家業の手伝いや老親の世話やらで苦労するのは分かり切っていて、都会の高額手取りのサラリーマンの奥さんのまったりとした専業主婦の家事や育児や亭主の浮気の心配くらいで過ごせる立場とは大違いだとのイメージの差があるのは分かり切ってて、テレビで「嫁さ来てくれろ」という呼びかけはつい「馬っ鹿じゃないの」と思ってしまいます。(あくまでも事前のイメージの問題で実態はそれぞれです) 社会活動や地域活動を通じて積み上げていった人間関係の中に、結婚の可能性まで含めた関係を見いだすならともかく、テレビでいきなり見ず知らずの不特定多数の視聴者に向かって「嫁さ来い」と訴えるのは地域の恥でしかないとおもうのですがどうでしょう。あまつさえ土下座せんばかりに(海外を含む)配偶者を迎えた奴に限ってお嫁さんを体のよいお手伝いさんのように扱うケースが多いように見受けられますが地域の文化的な後進性以外の何者でもないとも思います。 状況が状況なんだから結婚はあきらめろ!、家事など生活上の問題は自分のことは自分でするといった日常的な努力で克服せよ!、ええ年こいて女、女、女と見苦しい、人生は孤独が当たり前!といった私の印象は間違っていますでしょうか。
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noname#15203
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お礼
過去の悪業が祟ったのか体調を崩しておりまして、お礼が遅れて申し訳ありません。 >都市部における夫婦の協力体制は根本的に変容しつつあります。 おっしゃる通りかと思います。実際はひとり一人姿や性格が違うように人間関係もそれぞれで、高額収入のサラリーマンがよいとか農漁村に嫁ぐ人は大変とかのイメージもマスコミがつくりあげたものと言えなくもないと思います。 幸福というものは実質的なもののはずで、だれかが類型化したパターンに押し込められる必要はまったくないのにライフスタイルそのものが見事にブランド化された結果なのかもしれません。もちろんその前に前時代の残滓のような家督制度を頑なに信じている一部の地域性があることは否定できませんが。 皆の人生の基礎となるべき人間関係が皮相なものになるつつある傾向が進んでいると感じます。 ご回答ありがとうございました。