ゴーストライターについて
クラシックの門外漢です。
佐村河内氏の騒動があるまで、佐村河内氏の名前も知りませんでした。
この騒動が始まってから1か月以上経ちますが、未だに分からないことがあります。
それは、クラシックの世界ではゴーストライターは、いけない存在なのか、ということです。
出版界では、ゴーストライターは認められているし、音楽でも、ポップスの世界では、存在します。
大黒摩季さんのゴーストライターの話は、のちに週刊誌で暴露されましたが、そんなに話題にもなりませんでした。
大黒摩季さんのCD売上枚数は累計2000万枚以上で、それに比べれば、佐村河内氏は何十分の一です。
一般の人への浸透度も、そんなにないと思います。
でも、この騒動で、新垣氏は、大学の非常勤講師を辞職するとのことです。
道義的責任を感じて、ということだと想像するのですが、そもそも、ゴーストライターは、一時金か、印税の一部を貰うことで、仕事を請け負っているだけの存在です。
クラシックの世界では、いけないことなのでしょうか?
私が新垣氏の問題と思う点は、ゴーストライターが「自分が作っていました」と暴露してはいけないだろう、ということです。
ただ、新潮45に突き止められて、大学の非常勤講師という立場上、グレーの状態でずっとやり過ごすことが出来なかったんだろう、と推測します。
大学からも問い詰められるだろうし、障碍者偽装まで共犯にされてはかなわない、ということで、ゴーストライターの部分だけ認める会見をしたのだろうと思います。
そういう意味では苦渋の決断だったのだろう、と同情はしています。
ゴーストライターとしてのルール違反ではあるけど、法的にも道義的にも問題はない、だから辞職の必要もない、というのが私の考えなのですが、クラシックの世界では違うのでしょうか?
念のために、ここでは、ゴーストライターの是非だけを論点にしています。
佐村河内氏の言動については、また別の問題です。
お礼
ありがとうございます。とんねるずにつっこまれてたなんて言う人もいるけど、鶴太郎が正解なんですね。 そんな昔のビデオを保管してるなんてすごいですね。