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命の尊さを伝えたい

命の尊さを伝えたい 命は尊いと言う実感がないから些細なことで命が奪われたり、戦争や事件が起きてしまうのではないでしょうか? では、命の尊さを実感させるにはどうすればいいでしょうか? ソリューションやシステムなど具体的な発想ございましたら教えてください。 というかアイデアを分けてください。

みんなの回答

  • hidekyi
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.6

「命の尊さ」 特別のものとする必要がありますか? 何気ない毎日の日常の中以外には、ないでしょう。 身近な人や、身近な動物の死で、何を知りますか? 人は「身近とはあまり言えない人」のことでも、心を動かされます。 想像力があれば。 必要なのは、「想像力」なのかも知れません。 ほとんどのホラー映画や、推理、サスペンス物語は、 「命が大切」だという前提なしには、なりたたないでよう。 「13日の金曜日」、「エルム街の悪夢」、「セブン」、「SAW/ソウ」 などなど… 「スパイダーマン」、「X-ファイル」、「バットマン」、 「コンスタンティン」「ハリー・ポッター」、「スター・ウォーズ」、 にしても、 スティーブン・キングの、 「1408号室」、「ペットセメタリー」、「グリーン・マイル」、 「ミスト」、「シークレット ウインドウ」、「ミザリー」 どれも、「命が大切」だという前提なしには、なりたたないでよう。

回答No.5

人類は命の尊さを実感させて争いや犯罪を抑止するためのシステムというのを昔から持っていて、これを「宗教」と言います。 元々「人の命は尊い」という命題を客観的事実として証明する手段は無いので、宗教というシステムは参加者同士が「教団」というサークルを形成し、「教義」や「布教」という共通のプログラムを学習することで、同朋との友愛や、節度ある生活をすることや、人名を尊重することを「尊いこと」とする共通の認識を育んでいる、と解釈できるのではないでしょうか。 特に「世界宗教」と言われる特定の地縁や民族集団に基盤を置かない宗教は、何かしら隣人を愛して世界から争いを減らすべきことを解いています。 世間では色々宗教がらみの問題や対立もありますが、 こと「命の尊さを実感させる手段」という具体的問題に関する限りこれ以上洗練されて、かつ信頼性の高いシステムを私は知りません。 もっとも「宗教システム」は、異なるシステム同士の抗争というのを根絶することにはまだ成功していませんね。 そうは言っても異教徒同士がかならず殺しあう訳ではなく、世界各地の宗教がらみの抗争は根底に経済対立や民族対立がある事も多いですから、全体でみれば信仰があるだけこれでもずいぶんマシになっている、と私は解釈しています。

回答No.4

対象を国家間の戦争レベルではなく、安易に行われる傷害や殺人が止められるとすれば。 表現やストーリーが行き過ぎたアクションゲームやRPGが安易な衝動を生んでいるのなら 障害を克服するリハビリゲームとか、ご近所を大事にするゲームとか、 リセット不可の子育て疑似体験みたいなゲームが流行れば ゲーム世代の子にもお互いを尊重する気持ちが生まれるのでしょうか。 リセットや前画面程度の後戻りもできないものがあるということ。 自分はジャンクフードを食べながらゲームをしているのに、 隣からおいしそうなお夕飯の匂いがしている、でもそれが全てじゃないということ。 今はゲームが一番メッセージを伝えやすい媒体ならそれを利用して、 大事なことに気がついてもらいたいです。

  • WOc
  • ベストアンサー率38% (33/86)
回答No.3

揚げ足を取るつもりはありませんが、 「命は尊い」という実感があっても、戦争は起きるでしょう。 安易な殺人事件は減るかもしれませんが、無くなりはしない。 「命は尊い」という時の、「命」の範囲に違いはありますが、 動植物全体か 人間限定か 家族限定か 個人限定か 特定信徒限定か いずれにしろ、 わりとありふれた、というのは失礼かもしれませんが、 古くから云われていて、さしたる効果も見られない。 これは「命は尊い」というコンセプトに、 戦争や事件を抑止する効果はあっても 全滅させる効果がないということじゃないかと 現実的に推測しています(私は)。 人は、他の命を奪わずに生きることはほとんど不可能。 また、相手を人と限定しても、直接命は奪わずとも 間接的に生命の危機に陥らせるに足るだけの簒奪はどうなのか、 など、規制範囲が曖昧です。 曖昧なコンセプトを基にした社会システムは、 別の言葉で表現すれば「ゆらぎのある社会」と見ることもできますが、 それだったら現状の社会システムと大差ないという気もします。 「命は尊い」では全滅が無理ならどうすれば良いのか。 戦争や事件という人限定であるのなら、 私は単純に、とりあえず全人類が食うに足る食料生産が対処療法的に効果があると思います。 これを突き進めちゃうと共産主義とか社会主義になるんでしょうけど、 あれはあれで、現実的に成功していませんね。。 回答どころかアドバイスにもなってません。 失礼しました。

  • Yabukoji
  • ベストアンサー率33% (158/475)
回答No.2

> 命の尊さを実感させるにはどうすればいいでしょうか? 「命の尊さ」は「命のはかなさ」と同義です。 未開社会や発展途上国、また戦争のある国では日常生活が常に命の危険と隣り合わせであり、命がはかないものであることは熟知されています。 それに引き換え文明国では発達した様々なシステムによって病気、事故や経済破綻、戦争による死の危険が遠のいていますし、社会は「死が身近にある」という考えを嫌悪する傾向が強いと思います。 老人が家庭で死ぬのを喜ばれないため病院で死ぬ社会です。 私の言いたいことは、「命の尊さ」を伝えにくい社会とは平和で豊かな社会であるということです。

free_dog
質問者

お礼

日本は平和で豊かだから「命の尊さ」を伝えきれない。なるほど。確かにそうですよね。しかし、それ自体が問題のようにも思います。大変参考になりました。ありがとうございました。

  • Reffy
  • ベストアンサー率32% (1317/4014)
回答No.1

尊いというか「儚い」ということを理解してもらうのが一番いい気がします。システムとかソリューション?その単語とご質問の内容があまり合致するようには思えませんが、もし私が「命の尊さ」を誰かに理解してもらおうと思ったら、その「命の儚さ」を理解してもらうように努力すると思います。 同列に並べたら叱られるかもしれませんが、命の前に、 とても大切な食器、可愛がっている人形、もう手に入らないかもしれない写真……そういった限定されたものを、破壊されるもしくは永久に奪われることの痛みを、理解して貰うのが一番かと。 昔はどこの家にも同居のお年寄りがいて、長幼の順があって成人式を迎える前くらいまでには、自宅で昨日まで会話をしていた相手がふいにいなくなる、そのことの切なさや悲しみ、その相手がいなくなったことで自分自身ではなくても周囲にいる自分の大切な人が嘆き悲しむ様子を身近に体験できたものでした。いまはそれは無理でしょう。 祖父母と共に過ごし、見送り、寂しい思いをした記憶のある私自身が、DQなどのゲームにはまった頃「あぁ、教会に行ってお金を払えば……」と考えてしまったことがあるくらいです。まずは、失ったら決して再び手に入らないものの喪失……それを体験させてみたいです。

free_dog
質問者

お礼

システムやソリューションという表現を使ったのは命の尊さを伝える手段としてのソリューションやシステムという意味でした。 「身近な痛み」を理解する 参考になります。ありがとうございました。

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