どうも No.1 の方の言っていることはおかしいので、辞書と検索で調べてみますと、イギリスの語源は、辞書では、ポルトガル語で、Inglez(発音はイングレスでしょう)だと出ています。検索で調べると、ポルトガル語という説と、オランダ語だという説があります。漢字表記で、「英吉利」で、これは、「エイキツリ」に見え、徳川家康自身か、その頃の人々かが、「エゲリス」と呼んでいたという説があるようです。他方、オランダ語の「エゲレス」だという説もあるようです。
ポルトガル語の辞書は持っておらず、オランダ語の辞書はありますが、いま取り出すのに手間のかかる処に仕舞っているので確認できないですが、西欧の国々の名前や所在は、織田信長が地球儀を眺めながら、日本は小さい国だなどと考えていたのですし、ポルトガル人宣教師が色々と知識を伝えました。また、最初はキリシタンに寛容だった豊臣秀吉が、突如方針を変え、キリシタン弾圧・バテレン禁止の命令を出して、イエズス会の本国報告で、日本は西欧を除いて最高の国で、大いに伝道の成果が上がっている素晴らしい国と国民だと送って寄越した丁度その直後、禁令が出され、日本のイエズス会支部は驚愕するのですが、この理由は、秀吉が、キリスト教の教義を知り、領主よりも、ローマ教皇の命令にキリスト教徒は従うということを知って、弾圧を決意したというのですから、戦国末期には、西欧の国々の名や事情は、相当詳しく、日本に知られていたということでしょう。
徳川家康は、イギリス人船長ウィリアム・アダムス(三浦按針)を重用し、側近に置いて、色々と相談したり、西欧事情を聞いていたと言いますから、何か、アダムスが、English だと教えた可能性もあるかも知れませんが、しかしそれなら、England と教えるはずで、イングランドは、エゲリスには、なりにくいでしょう。
想定するに、ポルトガル人が、イングレス(イギリス人)という呼び名を教え(イギリスが日本にやって来たのは、ポルトガルよりも遅れていました)、そこで、「エゲリス」という名で日本語になり、「英吉利」という漢字を当てて、江戸時代を通じて、オランダ人が(どういう言葉で、イギリスを呼んでいたのか、いま分からないのですが)、エゲレスと聞こえる発音を伝え、そのまま明治時代にまで続き、「イギリス」に代わったのではないかと思えます。「エゲレス」ではない、「イングリッシュ」だと、イギリス人やアメリカ人は言っていたのかも知れませんが、そこで、エゲレスがイギリスに代わったのでしょうか。
ポルトガル人の伝えた言葉は、江戸時代を通じて、日本に残っていましたし、オランダ人が、それを支えていたので、明治時代にまで、エゲレスが残り、それからイギリスとなったのでしょう。
だとすれば、語源は、ポルトガル語でしょう。一旦、日本に入って来ても、使用が途絶え、何世紀も経て、別の経路で、同じ言葉が、別の言語で入って来て、それが定着したと思える場合は、語源は、この新しい方ですが、ポルトガル語の呼び方の日本訛りは、ずっと継続していたと考えられますから、ポルトガル語が一次的な語源で、オランダ語で微修正され、明治時代、英語で更に微修正されたということでしょう。
お礼
starfloraさん、御丁寧に説明していただきましてありがとうございます。 歴史も含めてよくわかりました。元をたどるって楽しいですね、いやー参考に なりました。