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【質問】生徒の視線が気になる私の悩み
- 教師を辞めた後、街中で生徒に見られることがストレスになっています。
- 自分を知っている生徒に見られるのが嫌で、教壇に戻ることもできません。
- 同じような経験がある方やアドバイスがある方、ご意見をお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
私が貴方の質問欄やお礼欄を読んで感じた事なのですが、貴方は自分が 教職にあったことで出来た人間関係を、まるで自分が中心にいる蜘蛛の巣の ように感じていらっしゃるのではないでしょうか。中心にいる自分を数十人 のクラス担あるいは教科担の生徒に囲まれて見られている、と。 私は自分の中学時代の担任の先生によく「自分の存在意義が解らなくて生き て行くのが辛い」というような相談をしていたのですが、「自分の存在意義 なんて誰にも自分じゃ解らない。ずっと後になってこの為に自分の人生があ ったのかも、と振り返って解る事はあるかも知れないが。もしかしたら君の この質問に答える為にいたのかも知れない」と言われ、楽になりました。 その後、他の友人が家族関係で悩み、「自分の人生なんてない、死にたい」 と訴えるので、私の恩師の言葉を教えて上げました。「今貴方がこんなに 苦しんでるのはいつか、甥や姪或いは自分の子供達に自分もこんな気持ちを 経験した、と言ってその人達を楽にして上げるためかも知れない。人間は 自分は独りのつもりでも、絶対独りじゃなんいだって」と。暫くして、その 友人から「その言葉で吹っ切れて結婚した。現在は幸せだ」と報告とお礼が あったので、恩師のお蔭でもあると思い、その事を伝えました。そうしたら 「これが生きて行くって事なんだよ。自分は意識しなくても何処かに繋がっ ている」と言われたので、「でもそうしたらワンクッション入れたら先生は 日本中に教え子がいることになりますね。何だか肩の荷が重そうな仕事です ね」「そうなんだよ、最近肩こってな。でもこれが自分の仕事の重みだから な、苦痛じゃない。」と言われました。 貴方は蜘蛛の巣の中心にいるのではなく、伸びていく枝葉の幹だったのでは ないでしょうか。「そんなに大した事はしていない」と思われるかも知れま せんが、中学時代の産休代理の英語担に教えて貰った曲が、私にとって現在 でも1・2を争う、心を癒してくれる大切な曲です。貴方も自分では気付か ない何かを生徒に与えていたに違いないと私は思います。人間関係を重荷で はなく、誇りと思われれば解決出来て行く悩みだと思います。 貴方がもしこの考え方を受け入れて下されば、それは私の恩師の枝がもう 一本拡がることにもなります。是非もう一度考えてみて頂きたいです。
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- mimosa2001
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他人の心の中にあるあなたは、あなた自身ではないし、 あなたがその姿をコントロールしようとしてもできるものではないでしょう。 あなたが、自分の姿を他人の目の中に見ているかぎりは、 不安かもしれない。 でも、あなたはあなたなんです。だれもみてなくても。 あなた自身が自分を見て、認めて、評価し、愛していれば 不安は減っていくはず。 ひとからみて、どんなあなたでも、あなたはあなたのできることをして これまで生きてこられたのですから、 そのままのあなたを自分で愛してあげればいい。 あなたに、やさしい親友がいるのでしたら、 「毎日不安で、心細いの。私のいいところって何?」と きいてみるのもいいかもしれません。 あなたが孤独なら、心の中に、理想の親友をつくって どんなふうに答えてくれるかを考えてみてください。 あなたは、ある人から見たら、どうということのない人かもしれない。 でも、ある人から見たら、すごく魅力的かもしれない。 でもとにかく、あなたはあなた自身にとってかけがえのないご本人なんです。 自分に親切にしてあげて、尊敬し、評価してあげてみてください。 できれば毎日。 そのうち、ひとのことなんてどうでもよくなるかも。
お礼
詩のような回答、ありがとうございました。^^ ここでいろんな方からメッセージをいただいて、 自分なりにいろいろ考えています。 頭の回転が早いとか言われるんですが、本質を理解するのとかとても遅くて鈍いので、まだまだ皆さんの回答を(自分が)消化できずにいるのだと思います。 でも、これから少しずつ良い方に時間と共にわかっていって、糧にしていきたいです。 ありがとうございました。
- yocoyoco
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こんなことを言って、参考になるかどうか分かりませんが、私も、元教師で、小学校に勤務していました。 その後家庭の事情から、教師は辞めたのですが、自分の中に「志半ばで辞めてしまった。子供に合わす顔が無い・・・・」という思いもあって、やむを得ず、以前の学校の学区に行くときは、サングラスをしていった事もあります。 いまだに、その思いはあるのですが、結婚を機に、県外で暮らすようになったので、まず、昔の子供達に会う事はありません。 きっと、また、その子達に会ったら、懐かしくて泣き出すだろうと思っていても、心のどこかで、会いたくない・・・とも思っています。 きっと、yackyさんのそういう思いは変じゃないですよ。例えば、あんまり長く勤めず辞めたバイト先のお店の人たちには、あんまり会いたくないとか言う人は周りにもたくさんいるし。 私も、この質問を読んで、「同じような気持ちの人っているんだな」ってちょっと嬉しかったです。 私の場合、月日とともに、段々大胆になっていったので、yackyさんもそうなるといいですね
お礼
回答、ありがとうございました。 私も生徒に会うと懐かしくて嬉しい時、それと失敗、失言など 思い出して心苦しくなる時、とあります。 できるだけそういう思いや不安から解放されたくて、今は 離れたところで一人暮らしをしたいという気持ちで一杯です。 金銭面で不可能なのですが、、、^^; 月日とともに解決、、、それを願うばかりです。
- tomikou0000
- ベストアンサー率23% (293/1250)
僕の母も以前教師をしてました。 辞めた理由は、 学校の外に出ても常に教師であるため、 どこでなにをしても「先生がこんなことしてた」って 噂になってしまうのがつらかったから、だそうです。 なので、辞めてからは、 別に街でなにをしていようが、 もう教師ではないので、見られても、噂にならないから、 とっても楽になった、と言ってますよ。 yackyさんとは逆ですね。 なんで、教師をしている時は大丈夫だったのか、 その辺を聞かせてもらえませんか? そこにポイントがあると思いますよ。
補足
回答 ありがとうございました。 私の場合、自分でもはっきり理由はわかってないのですが、多分、 学校に勤めている時は「先生昨日、~にいたでしょ?」とか 「本屋で~見てなかった?」なんて生徒の方から言ってくれて、 「あ、~ちゃんも行ってたんだ」「そうそう、~って本気になって」 とかって話ができます。 でも、やめてしまうと、そう言われないから、何か誤解されてても 訂正できないし、男友達を彼氏と言われたり、、、。 やめてからも、しばらくはよく学校に遊びに行ったりして他の 先生たちとも話をしたりしていたのですが、最近は行ってません。 自分に聞こえない噂、あるかもないかも分からない噂、勤めていた 時から変わっているかもしれない生徒にとっての自分像。 たぶんこういうのが気になってるんだと思います。人の目をあまり 気にしない友人には、「そんなの誰も気にしないって」と一言で片付け られるんですけどね。^^; tomikouさんのお母さんとは逆ですね、ほんと。私の場合は自意識 過剰かなぁ、、、。
- short_short
- ベストアンサー率41% (99/239)
子供の視線だけが気になるのでしょうか。 普通の大人の視線は大丈夫ですか。 子供の恐れを知らない視線は怖い、と感じる時が私もありますが・・。 私は、昔就職した当時に他人の視線が気になって仕方ない症状に悩まされました。 電車にもゆっくり乗っていられない状況が続きました。 結局、カウンセラーのような人に相談したり、神経科で薬をもらったり、あれこれやっていくうちに年月がたち、症状はさほど気にならなくなりました。 一度、カウンセラー、あるいは神経科・心療内科に相談してみられてはどうでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。大人の視線の方は大丈夫です^^ 今のところ、休日街にでるのが嫌だったり、授業時間中に 出るようにしていたり、、、とまだ軽い方だと思います。 時間が経って、気にする度合いが増してきたら、ぜひカウンセラーの 方に話を聞いてもらいたいと思います。
お礼
体験談を含めての回答ありがとうございました。 一期一会ともいいますが、せっかく出会えた生徒や先生との関係を苦痛にとらえている自分がいたんですね。ただ人の目が気になるということではなくて。 何か自分の(内外問わず)一面が変わるとき、変わったとき、とても窮屈な気持ちになるんです。会うかどうかも分からない生徒や先生のことを考えて。 せっかく慕ってくれた生徒も、私がこんな風に危惧している対象に自分がなっていると知ったら、、、。 自分が今あまりいい状態にいないので、思い出すことは全て、悪いことばかり。生徒の笑顔は一瞬で消えて、噂や中傷、不満を口にする姿ばかり浮かべてしまいます。 教員は聖職…と言われたり、辞めても元教員という扱い。生徒に会えば「先生」と呼ばれる、、、。どこにいても、市内ではおかしなこと、へんだと思われそうな格好はできないと、一度の外出でも神経を使います。 こう考えたりすることは、すぐには止められそうにありません。というのは、下のお礼にも書かせていただいたように、鈍いんです。ゆっくり消化させていただきたいと思います。 ですから、徐々に、depuさんの先生の枝として、芽を出し、のびていきたいと思います。また、depuさんの枝としても、、、。 忘れていたことが思い出せた気がします。ありがとうございました。