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信託銀行について
中央三井、住友、三菱、安田、東洋などの信託銀と、 みずほ信託や、さくら信託などについて 前者では店舗を見かけますし、口座も作れるので結構知っているのですが、 後者についてはどういうものなのか全然知りません。 共に、同じ「信託銀行」という名称がついていますが、 どうしてこんなに違うものなのでしょう?
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後者の方は、「銀行」が設立した「信託銀行」ですから 銀行業は行ってませんよね?> 野村信託は銀行業をやっています。 http://www.nomura-trust.co.jp/ 本社以外にどこかに店舗は構えているのですか?> 「朝日」は本社(さいたま市)以外に東京営業部があります。同じような後発信託でも独立店舗は置かなくても、駐在員を母体会社の大規模店に置いたり、紹介料を払うことにより、母体会社の社員を使っていると思われます。 それ以前はどの地銀でも信託は扱っていたのですか? > これについては、よく判りませんが、1954年に地方銀行の信託勘定が閉鎖になっています。沖縄の2銀行が信託部を持っていることを考えますと、ほとんど持っていたのではないでしょうか。 http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/~yihokeun/finance/finance2/text/4_1.html http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/~yihokeun/finance/finance2/text/5_3_2.html そして、分離・統合された都銀の信託部門はどうなったのでしょうか?> 系列信託に譲渡したり、信託を新たに作りました(中央(東海)、東洋(三和)など)。
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- shoyosi
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わが国では、戦後、専門金融機関を育成強化し、資金の効率的かつ円滑な供給をはかることを目指して信託銀行を専門化して、他種金融機関から参入を受けたり、参入できない様に垣根を高く設けていました。また、他種金融機関や同業他社からの客の獲得のため、目抜きどおりに多数の店舗を設置して、競争していました。しかし、昭和55年以降、金融の自由化、国際化などという環境変化で、平成4年以降、金融業務の相互開放して、子会社を設立することにより、他種に参入できるようになりました。しかし、他種参入できても、本業を補完するのが主目的ですので、経費のかかる豪華な店舗の設置は見送られました。前者は以前の制度以前に設立された信託銀行で後者は新しい制度で設立された金融子会社です。なお、さくら信託は中央三井信託に統合されました。
補足
お返事どうもありがとうございました。 早速教えていただいたページを見、 信託協会のその他のページにも行って来ました。 要するに、現在銀行業も行っている5つの信託銀行は 戦後に銀行業の兼営を認められて始めた信託銀行だったというわけですね。 それで、子会社設立によって他業務に参入できるようになってから あさひ信託銀や、野村信託銀ができたのですね。 ちなみに後者の方は、「銀行」が設立した「信託銀行」ですから 銀行業は行ってませんよね? あと、「経費のかかる豪華な店舗の設置は見送られました。」とありますが、 本社以外にどこかに店舗は構えているのですか? ところで、教えていただいた「信託の歴史」のページに 『昭和30年代にかけて、地銀の信託業務の廃止、都銀の信託部門の分離・統合がなされ…』 とありましたが、それ以前はどの地銀でも信託は扱っていたのですか? そして、分離・統合された都銀の信託部門はどうなったのでしょうか? 補足にこんな事を書いていいのか良くわからなかったのですが、 また疑問が出来てしまったので、よろしくお願いします。
補足
中央と東洋の両信託銀の設立の経緯はそういうわけだったんですね。 おかげさまで、ほとんどの疑問が解決致しました。 最後に、分離・統合についての補足ですが、東洋・中央は銀行から分離されてできたにもかかわらず、 独自に銀行業も営んでいるのはどういうわけでしょうか? それとも分離当時は本体とは系列などの関係はなかったのでしょうか。 その他、三菱、三井、住友、富士の各都銀は系列の信託銀へ業務を引き継いだわけですか。 残りの旧日本信託銀は、三菱銀行(東京三菱銀)に子会社化されましたが、 もともとのルーツ(系列)はどういうものだったのでしょうか?