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スラバヤ通りの妹へ

ユーミンの「水の中のASIA」に収録されていた不思議な感じのする一曲です。  歌詞の中に 「痩せた年寄りは責めるように私と日本に目をそむける」 とあるのですが、これってスラバヤ通りがある国(それ もどこだかわからないのですが)に対して 昔、日本が 侵略してなにか悪さをしたのでしょうか。 とても大好きな曲なのですが、この曲を知って20年、 聴くたびに漠然と疑問に思っていたことを「ちゃんと知りたい!」と何故か突然、いてもたってもいられなくなったもので・・・。 どなたか地理的、歴史的背景などご存知のかたご教授お願いします。

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noname#35109
noname#35109
回答No.2

はじめまして。 年がバレますが,青春時代の超前半,「水の中のアジア」や「昨晩お会いしましょう」や「パールピアス」などは,発売と同時にリアルタイムで買っていた世代の者です。 でも,すごいですね。すごい読解力とうか洞察力。 質問者さまのように,そこまで読んでいませんでした。確かに,スラバヤ通りのご老人は,日本に背を向けると詩にありますよね。 歌詞カードなしでも歌える歌ですが,出会った頃がまだ中学生だったためか,あまり深く考えず,今に至っておりました。 スラバヤ通りとは人口300万を超えるインドネシア第2の都市であるスラバヤにある通りだと言うことです。 「インドネシア【ス行】」 http://homepage2.nifty.com/kaz-iku/ind5jsu.htm でも,たぶん正式名称ではなく,愛称か何かそんなものだと思います。 大東亜戦争で,オランダ領であったインドネシアを日本が占領したとか。 「日本占領下のオランダ領東インドの記録展」 http://www.belltown.co.jp/town/backnumber/0009/0009usuki/main.html オランダ造りの街もやがて 新しいビルに消されていく … ちゃんと,歴史的考証も合っているのですね。 それと,質問者さまの質問について考えていて, 「RASA SAYANG RASA SAYANG GEH」 も何のことか気になりました。 調べてみると,答えは,教えて!goo(OK Web)にありました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=153272 イメージとは違い,明るい曲のようですが,インドネシア民謡となっていますし,合っているような…??? いやーー,勉強になりました。ありがとうございました。 質問を見ることがなかったら,一生なんのことか気づかずまま暮らしていたでしょう。 回答とかアドバイスというつもりではなく,気づかせていただいた感謝の気持ちです。

hazupin
質問者

お礼

こちらこそ回答ありがとうございました。 私も高校時代初めて耳にして、その透明感溢れるメロディーとなんとなく異文化漂うフレーズに非常に魅力を感じ、今でも時折口ずさんでいます。 インドネシア第2の都市とはちょっと驚きました。もうちょっと田舎をイメージしていたものですから。 やはりそういった歴史があったのですね。そういう事実を考えながら聴くとまた違った感じがしますね。 「RASA SAYANG・・・」も一体なんのことだかと思っていたので、とても参考になりました。

その他の回答 (3)

  • maeboo
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回答No.4

こんばんは。 僕はユーミン自身の世代ではなく、数年前発売されたトリビュートアルバムで大江千里さんが歌っていたのを聴きました。 皆さんの仰る通りですが、僕が知っている歴史的出来事のひとつが「陸軍大将 今村均さん」のこと。 戦争の中でのことであり捉え方ひとつで解釈が変わりますので是非ご自身で調べていただいて判断いただきたいのですが、戦時中確かに豊富な資源を求めてインドネシアに進駐したのは間違いないのですが、今村さんの活動はオランダに占領されていたインドネシアの人達に受け入れられたのも事実で、後に初代インドネシア大統領スカルノさんと出会ったのはこの頃です。 今村さんは後にラバウルで終戦を迎えましたが、オーストラリア軍に裁かれる部下と共に現地収容所に残り部下の行動の責任は大将の責任と自分をまず処罰するように迫ります。次に今村さんはオランダ軍の裁判を受ける為にインドネシアに行きます。 自分に対する処分に関しては一切触れず、部下の審判には再審要求を繰り返します。 このときスカルノ氏は今村さんに死刑判決が下ったら独立軍総出で今村さん救出に向かう覚悟だったとか。 今村さんはオランダ軍より無罪となると、日本に帰りますが、ラバウルの部下がマヌス島で服役していると聞き63歳ながら、マッカーサーの部下にマヌス行きの要望を伝え、服役しました。彼なりの責任の取り方だったのでしょうか。 現インドネシア大統領も、今日本擁護のコメントをしているのもこのあたりと関係あるのかもしれません。

hazupin
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 拝読させていただきながら、目頭が熱くなってきました。 こんな日本人もいたんですね。 今村氏のことをちょっと調べてみたいと思います。 インドネシアにも行ってみたくなってしまいました。 みなさんの回答、本当に参考になりました。 私なりに大東亜戦争とインドネシアと日本の関係を少し勉強してみたいと思います。 ありがとうございました。

  • nono_
  • ベストアンサー率43% (28/65)
回答No.3

私もこの歌が好きで、だから歌詞の内容が気になって少し背景を調べたことがあります スラバヤというのはインドネシア第2の都市です ご存知かもしれませんが、戦時中日本はアジア諸国に対しひどいことをしました オランダ植民地のであったインドネシアも占領した過去があります ですから、『目を背ける』といった歌詞も当然かと思っていました ところが、いろいろと調べてみたらそうでもないことがわかってきました 占領とはいえインドネシアの人たちにしてみれば オランダからの奴隷のように過酷な支配からの解放なのです また、日本占領中はインドネシア人に教育や軍事訓練をしたりしたそうで それが日本敗戦後に再びオランダ軍に支配されそうなったとき 日本の教育で独立に目覚めたインドネシア人が独立のために戦うきっかけになったそうです また、その時インドネシアに残った日本兵も共に戦ったため 日本兵がインドネシアの国立英雄墓地に埋葬されたり、独立名誉勲章をもらいました 今でも、インドネシアの独立記念日にはインドネシア男女2人+日本兵の格好をした人が 国旗を掲揚するそうです 戦後、賠償交渉の際には「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。 日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」という 有名な発言があるくらい(インドネシアに関しては例外的に)日本は悪い国ではなかったようなのです だから歌詞の内容はどうしてなのかなぁと・・・ いろいろ調べてみたらさらによくわからなくなってしまった経験あり(笑)

hazupin
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 昨今、アジア諸国から叩かれがちの日本のニュースに悲しい思いをしている中、ホッとするような内容でした。 ユーミンもきっとそこまでは調べなかったんでしょうね。 私もとても勉強になりました。

回答No.1

私も大好きな曲です。 歴史的背景は分かりませんが、『スラバヤ通り』と言うのは、インドネシアのジャカルタにあります。 この歌は、ジャカルタのバザール(市場)を歌ったものだと聞いた事があります。 詳しい回答が出来なくて申し訳ありません。

hazupin
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 ジャカルタなんですね。 いつか行ってみたいものです。

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