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日本のきれい好きの起源
外国の友達に良く聞かれる質問で、これだけはいつもこたえられなくて、ここで質問させていただきます。 日本は他の国、他のアジアの国に比べてきれい好きで、どこに行ってもきれいだけどどうしてなのかと良く聞かれます。日本の潔癖ともいえるきれい好きには歴史的、文化的な背景があるのでしょうか? すこし範囲の広い質問になりますが、よろしくお願いします。
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#1の方のご意見には、精神論として納得します。 しかし、「きれい好き」は、生活の余裕が生み出したものと思います。そして水が豊富にあるという環境です。 12世紀後半の作とされる「餓鬼草紙」には、平安京の住民が男女・年齢の区別なく道端で排便・排尿しているところが描かれています。 うんこを拭いた捨木(くそべら)が散らばっています。 高下駄をはいているので、共同便所とする説もあります。 東京国立博物館のHPで「餓鬼草紙」を見ることができます。 http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=02&col_id=A10476&ref=&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=&Q5=&F1=&F2 では、いつ頃から「きれい好き」になったのでしょう。 私は、戦争がなく平和が続いた徳川270年の賜物と思います。 平和が、社会を豊かにし、民衆の生活を安定させたからと思います。 京、江戸、大坂はもとより、地方の城下町や田舎にも水路が引かれて、野菜を洗ったり、洗濯したりしている光景は、今も郡上八幡をはじめ、多くの地方都市で見ることができます。 日本の川は、急峻な山岳から一気に海へ流れるので、流れが早く、淀むことがなく、汚れは消え去りそのため清流になります。 それをよいことに、現代人は川にごみを流すので困ったものです。 東南アジアの大河や韓国の洛東江は、ゆったり流れています。 ある国では、排泄物が浮いた河で、身体を洗っています。 水と燃料となる木が入手しやすいことから、江戸時代、庶民の社交場として銭湯ができました。生活に余裕があったからに違いありません。 それは、食生活の安定があったからと思います。 江戸時代の飢饉の話を聞きますが、ヨーロッパにも飢饉がありました。 近世、日本の食生活は、豊富な海産物があって、ヨーロッパより豊かだと思います。 「ヨーロッパ、飢饉、じゃがいも」で検索してみてください。 すばらしいHPがありますので紹介します。 http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/kankyou/2005kankyoukyoukasyo/3/index.htm
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- password
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日本は高湿度で高温なので 物が腐り易く、多汗となります。 そういった環境特性が 清潔化を促しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。Passwordさんのおっしゃるとおり高湿度という気候要因は清潔化の1要因になるのでしょうね。ただ、高湿度の国はアジアでもたくさんありますよね。何が違うのでしょうね。
- les-min
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こんばんは。。 個人的な見解ですが・・・ 日本人固有の宗教意識(神道)に由来する、ハレ・ケ、清め・穢れという感覚が、自覚しないところに確かにあるのだと思います。 キレイ好きとある意味同意、ある意味では少々異なるものだと言える「清め好き」という感覚。「汚れたもの」に触れることに対する抵抗感。 さらに言うと、(かなりデリケートな問題を含みますが)具体的根拠のあるなしに関わらず「穢れ」と感じられるものを忌避するという感覚・行為が、結局のところ日本的なキレイ好きになるのかと思います。 「穢れ」は災いをもたらす禍々しいもので、清めるか忌避するかしなければならない・・・ 日本ではまだまだ、見ようと思うとそこここに見られる事柄だと思っています。 参考になればよいのですが。では。
お礼
すごいですね。個人的な見解、とおっしゃってますが、僕にはとても説得力があります。ちょっと神道についてもっと調べてみます。ありがとうございました。
お礼
すばらしい回答ありがとうございます。先週末にNo.1の方の精神論・文化論的な背景を探るために「神道」についていろいろと調べていたところでした。確かに#1がおっしゃっているような「清」の要素が神道には含まれていて、穢れ=邪悪のような観念が自然と生活のあちらこちらに染み込んでいったのでしょう。そういった意味で、Gooさんがおっしゃるように#1さんの考察は「精神論的背景」として十分説得力を含むと思います。ただ、調べるにつれて感じていたのは、人口の大多数をしめる人間が貧困だっただろう時代にどこまでその「精神」を貧しい生活の中で保てたのだろうと思ったのです。そう思っていた時のGooさんの、「実利主義」的な観点も同時に考慮に入れると、その疑問もなるほど解消されます。国民性としての文化が成熟するのは、多くの国民が同じレベルである程度長い期間その「様式・習慣」を保つことが必要だとおもいます。今回の場合、もしある階級以上の人間のみが清潔にできる生活レベルを長期間維持しても、それは後世に渡って「文化」にはならなかったでしょうし、多くの人間がその生活レベルを維持できていたとしてもそれが短期間であると、「文化」になるほどのものを残せないのかもしれませんね。ちなみに、銭湯ができたのが江戸時代とは知りませんでした。それまではお風呂にはいる習慣はあったんでしょうか?添付されているHP、先程さっと目を通しました。やー、面白いですね。週末にしっかりと見てみようと思います。 これでなんとなく友達にも説明出来そうです。ありがとうございました。