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クラシック・ドシロウトの疑問
ヘンデルやバッハ・・・私は音楽の授業でしか知らないのですが、レコードさえなかった時代の人たちはどうやって売れたんですか?ロックばかり聴いてる人間なもので・・・
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- ken1tar0u
- ベストアンサー率24% (21/86)
だいぶんお答えも揃ってますのでおまけ情報を。 作曲だけで飯が食えるようになったのはブラームス(1833~97)あたりからで、バッハ(1685~1750)やヘンデル(1685~1759)時代は、演奏したり弟子を取ったりパトロンに付いてもらったりして生活していました。レコードが無く生演奏に触れないと新曲を知ることのできない時代では、楽譜の出版程度ではとても生活費が稼げないわけですね。 もっともブラームスだって腕のいいピアニストとしても活躍していましたが。
- umibouzu64
- ベストアンサー率23% (127/533)
オーケストラの曲なんかは、聴く機会も少ないですから、みんなピアノに編曲して自宅で弾いたりした、ということもあったようです。ですから、昔はピアノ編曲が結構流行っていました。
- KoHal
- ベストアンサー率60% (110/181)
演奏会です。 われわれ現代日本人にとっては、「売れる音楽家=CDが沢山売れる音楽家」ですが、ヘンデルやバッハの時代はもちろん、ごく最近まで(いや、ひょっとしたら日本以外の国では今でも)「売れる音楽家=演奏会に沢山お客さんがくる」音楽家です。 この意味でヘンデルは売れてました。オペラやオラトリオという演奏会向けの曲を沢山書いてましたから。 バッハは全く売れてません。そもそもバッハの音楽が一般に認められるようになったのは死後100年も経ってからです。ごく一部の専門家には生前から評価されてましたが。 バッハは教会に勤めてミサや葬式といった儀式用の音楽をせっせと書きつづけましたが、当の教会関係者には二流以下の音楽家とみなされていました。 癪に障ったバッハは事あるごとに反発(というか嫌がらせ)をしていたので、バッハが亡くなったときに教会関係者は喜んだようです。 現在、バッハが音楽史上第一級の作曲家として評価されるように至ったのは、バッハの音楽を認めた人たちが彼の楽譜を保存して後世に伝えてくれたからです(散逸してしまった楽譜も多いとのことですが)。
- パんだ パンだ(@Josquin)
- ベストアンサー率30% (771/2492)
大金持ちの貴族がパトロンになりお金を出してました。また、大きな教会の専属となりそこからお金を得たりもしていました。大きな教会の専属で有名になれば、演奏会を開いてもかなりの客が集まったものと思われます。