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他人のことを羨ましいと。。。。

こんにちは。 他人のことを羨ましく思ってしまうのが辛いです。 それで、何がやりにくくなるかというと、 、自分が頑張る価値がない、と思えてしまう。 私は、一応やりたい事というか、目標は自分なりに持っています。 が、それを初め思ってから、一度やめ、またやっぱりやり直す、と思うまで、3、4年のブランクがあります。 またやり直す、と思っても、自分が無駄にしたこの3、4年を、上の、他人が羨ましくなって無気力になると、思い出し、自信がなくなります。 私、今から頑張っても。。。とか、 もっと向いている人がいるのに、やっていけるのか、とか。 そう思う時点で、向いていないというのもありですが、 前向きになれる方法の方が、必要です。 同じジャンルの中で、自分より良く出来る人は、尊敬すべきだと思いますが、みんながみんなではないですが、時に、尊敬できず、上のような妬みをもってしまう他人がいます。 その時、自分が上に書いた様に、卑屈な気持ちがふくれあがって、無気力になってしまいます。 朝も憂鬱で、ギリギリまで布団から出られず、バタバタ支度をして、時間に朝から追いまくられてイライラして。。。 ほんとに嫌です。 自分の足下に集中して、これでいいって思えているときは、本当に調子いいし楽観的なのに、 ネガティブとアクティブな両極端な自分にも疲れます。 まとまりのない文章で、申し訳ありません。 思う事を素直に書きたいので、わざとあまり頭を使っていません。 こんなのって、わかりますか? どういう風に気持ちをコントロールして、その日一日をがんばりますか?

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回答No.6

またまた登場のvagabond_0710です。 >自分の嫌いな部分を、冷静に受け止められる、ということは、それ分自分の良いところもしっかり自分で認められていて、かつ、嫌なところも変えていけると信じることが出来る、ということでしょうか。 その通りです。好きな部分があれば嫌いな部分もあるはず。それが「当たり前」なんです。ただ、「変えていけるかもしれないけど変えていけないかもしれない」ということを受け入れなくてはいけません。例えば、自分の嫌いなところが到底無理な話だったら、当然変えることはできません。極端な話、僕は男性ですがその部分がイヤだったら性転換でもしなければいけません。金髪がよかったら髪を染めて我慢するしかありません。手が4本あれば便利でいいなと思っても到底無理な話です。つまり、「人間の欲にキリはない」のです。その事実を「受け入れる」ことから始まります。自分を客観的に観察していって自分を知っていくと、好きなこと、嫌いなことがわかり、自分の特性もわかってきます。そして嫌いな部分にも気づくことができますが、嫌いな部分すら、「受け入れる」ことができるようになります。「嫌いな部分があるからこそ自分にとって好きな部分がある」ということに気づくと思います。例えば、毎日好きな物を食べていてもいずれ飽きますよね?じゃなきゃ偏食で栄養が偏って太ったりします。毎日幸せだとその幸せを感じることができなくなっちゃいます。大切なものって失ってからその存在の大きさに気づいたりするものです。つまり、「不幸があるからこそ幸せがあるんだ」と思えるようになります。そうすると、自分の嫌いな部分も受け入れることができるようになります。誰にだってコンプレックスとかあります。しかしそれすら、人間だから「当たり前」だよと思えるようになります。現状は変わっていなくても、心が変わればそれは前向きになるんです。人間だからこそ悩むわけです。決して卑下する必要なんかないんです。 >客観的に、とは、これが難しいんです。。。。; そうです…難しいです。^^; でも必ずできます。毎日の習慣ですよ。ちなみに僕は恋愛がきっかけで客観的に見ることができるようになってきました。できるようになれば、いたって当たり前のことに感じますよ。 >価値と呼べる程のものが、出てくればいいですけど hana-usagiさんの価値は必ずあります。会ったことがないから具体的には言えないけど、前回の恋愛の例もそうだし、hana-usagiさんは今まで一人で生きてきたわけじゃないのです。親が生んでくれて育ててくれて、小学校からは同級生や先生と関わり、やがて恋愛して彼氏とかバイト仲間とかいろんな人たちと過ごしてきたわけです。その付き合いで、hana-usagiさんは周りの人たちに影響を与えてきたわけです。子育てをすれば、子から学ぶことは多くあると聞きます。子は教えようとしているわけじゃないのに。つまり、今まで知らないうちにhana-usagiさんはhana-usagiさんの価値を発揮してきたわけです。特に恋愛なんて、血のつながりも何もない赤の他人に恋して、その人じゃなきゃダメな状態になっちゃいます。hana-usagiさんじゃなきゃダメなんです。hana-usagiさんにしかない価値がそこにあるからなんです。こればかりは不思議ですよね。お金目的とかじゃない。まったく無条件な魅力なんです。僕が恋に落ちた時はそんな感じになります。 >出来る人の後ろから、トコトコ付いていく自分を認めてもいいかなって、考えてみることにしたんです 極端な話、価値観なんていろいろあります。ある物体を見て、丸いのが好きという価値観を持っていたとして、違う方向からそれを見たら丸いものだったのに長方形だった。他の角度から見たら実は円柱だったという場合もあります。何にしたって、ひとつの価値観だけじゃその存在を捉えることはできないと思ってます。なので、人によってはhana-usagiさんのことを嫌う人もいるでしょう。いて当たり前なのです。それでいいんです。hana-usagiさんはhana-usagiさんに変わりないんですから。完璧じゃなきゃダメなんて思わないでください。誰だって理想を持ちますが、理想に振り回されて現実を見落とすなんてカッコ悪いです。それだと自分を見失います。ありのままの自分を受け入れるということは、自分の彼氏・彼女をありのまま受け入れるということに繋がります。僕はそれが愛だと思うんです。なんだか話が脱線してきたけど、同じ24時間過ごすのなら、ネガティブでぐじぐじした人生より、前向きにいろんなことにチャレンジして新鮮な時間を過ごしたほうがハッピーですよね?24時間どのように過ごすかも人それぞれです。とにかく愚痴ばかりの後悔する人生だけは僕はゴメンです。だから僕はプラスに思ったことはこうやって書き出しまくるんです。少しでも人の役に立てたらハッピーじゃないっすか。もっともっと社会を動かすぐらい役立ちたい。そう思って今日も一日頑張ります!

hana-usagi
質問者

お礼

2度も、回答ありがとうございます。 >ありのままの自分を受け入れるということは、自分の彼氏・彼女をありのまま受け入れるということに繋がります。 なんだか、すごく大きなところに話が繋がってますね!(笑 こういう言葉って、聞いた事があるけれど、「気持ち悪い」って思ってました。 けど、なんかこの流れで言われると、自然にアリだと思ったことが不思議です; そのまま受け入れるってことが、まず自分の事で分かっていないと、他人を受け入れることは分からない、ってことだったんですね~。 それは、自分のことが誰でも一番大切だからですね。 一番大切な自分を受け入れることをわからなくて、他人を受け入れることは分からない。ってことなんですね。 受け入れることが愛する事っていうのは、なんとな~く分かります。 >理想に振り回されて現実を見落とすなんてカッコ悪いです。 はぁ;かっこわるいです。ほんとに。 現実をしっかり受け止めれば、それ以上な無理を望んで、イライラなんて、普通にしないかも。 だんだんシンプルになってきました。

その他の回答 (6)

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.7

まず心を集中しましょう。 そして目標をもち、その目標を達成したら何をするのか 何をしてくのか?明確にしましょう。 自分なりに計画を持つのではなく明確にプランと予定表を 作りましょう。

hana-usagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 しっかり考えます。 具体的なプランと、予定表を書き出そうと思います。 基本は今と変わらないですが、ちゃんと書き出して、決めようと思います。 努力して、結果が出る頃には、こんな悩みはなくなるかもしれませんね。 自信も今より持てると思います。

回答No.5

ANo.3の回答者さんが述べられているように、おそらくこのような心理状態は、人の持つ価値を相対的に考えているからだと思います。あの人に比べたら自分なんてダメだ・・と人と比べることにより、自分自身の価値を評価してしまう、ということです。 このように人と比べ、自分の価値を確認する心の習慣は、親、学校教育、そして、会社という周りの比べられ続ける環境から影響を受け、身についてしまったものだと思います。 では、どうすれば、人と自分を比べることなく、自分は自分、これでいいじゃないかと思えるようになるかというと、結論は、無条件で自分を受け入れ自分を大切に思えるように心の構造を変えることだと思います。 なぜ無条件で自分を受け入れることが大切なのか、というと・・ まず、無条件で自分を受け入れることができれば、他人と比較することの意味は薄れ、ほとんどしなくなります。 なぜなら、向上する必要性は感じながらも、今の自分を受け入れ、今の自分でもまあ悪くはないな、別にいいよ、と思うことができるので、他人に対してうらやましく思うことはもちろんありますが、他人を妬みあの人のようになりたいとまでは思わなくなります。向上心を持ちながらも、今の自分のままでもいいとも思えるのですから。 そういう心理状態になれば、気持ちに余裕が生まれ、そこから物事をあるがまま客観的に受け止めることが容易になります。 また、今の自分の本当の姿を大切にすることができるので、ほんとうに自分に大切なのは何か、そして、そのために自分はどうすればよいのか、が少しずつ感じ取れるようになってきます。 逆にもし条件つきで自分を受け入れるようであるなら、例えばある時、職を失った、健康を失った、大切な人を失った、等そういった事態が自分に降りかかったとき、自分に価値を感じることはできず、よりいっそう他人がうらやましく感じられ、卑屈になってしまうでしょう。 次に、どうすれば無条件に自分を受け入れられるか、ですが・・ まず、自分に対して厳しい不当な評価はしていませんか?自分のした過去、現在の努力に正当な評価をしていますか? 70点を目標にしていたのに、55点だった。 マイナス15点だな、だめだー、と自分を叱るのではなく、何もしなければ0点のところを55点とれただけの評価をして欲しいと思います。55点とれただけの努力は間違いなくしたのですから、15点足りないことを自分に責めるのではなく、55点とれた分だけ自分を誉めてほしいと思うのです。自分に対して正当な評価をしてこそ、やる気は維持され、さらに点をとるための分析、対策を練ることができるのです。 まずは、自分を再評価してみてはいかがでしょうか。 おそらく質問者さんの無気力感は、もう表面的な対策ではどうにもならず、長年の心の習慣を変えることが必要な段階にきていることを示しているのではないでしょうか。もしそうだとすれば、簡単なことではないでしょうが、アクティブな時の自分を大切にし、そうなるよう行動をとれば、状況を改善することができると思います。 長文でまったく的はずれなことを書いてしまったかもしれまん・・すいません でも、わずかでも参考になることがあれば、嬉しく思います。

hana-usagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ほんとですね、 >ある時、職を失った、健康を失った、大切な人を失った、等そういった事態が自分に降りかかったとき、自分に価値を感じることはできず、よりいっそう他人がうらやましく感じられ、卑屈になってしまうでしょう。 自分自身の価値を思える事は、とても大事だと思えました。 がんばった仕事や、自分の健康な体を失った時、誰でもそんなことがあればびっくりするでしょうが、外に価値を持っていればいる程、寂しいと思いました。 自分の評価は、良くも悪くもしていないと思いますが、 どちらかと言うと、あまり甘くは思わないようにしています。 点数が足りなかったとしても、自分が納得できた分は、それはその分だけ、嬉しく思えばいいんですよね。 menikmatiさんのおっしゃるように、ほんともう変な事に振り回されるのにはウンザリです。。。 自分で自分のやっている事を否定してしまうし。 でも結局落ち着いた時には、やっぱりこれでいいんだって思えてくるんで、すごく精神的に無駄をしていると思います。。; 参考になりました!ありがとうございました。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.4

気持ちは凄く!わかります。 たとえば、収入のことを考えれば、働いたほうが良いに決まっているけど、どうせ、働いたって給料はたかが知れてるし、今さら見知らぬ連中に頭下げるのも厭だし、ブランクを取り返すのに一から出直すのも疲れるし・・・・なら、働かないほうが良いや! 「ああ、高額納税者はいいなぁ・・・」 ・・と、いう心理と同じだと想うんです。 ジェームズアレンの「原因と結果の法則」という本にも書いてありますが、質問者さまは、自分で考えたとおりの人間に成っているんです。 矛盾した考え方をしているから、なんだか、スッキリしないんです。 是非、この本を図書館で読んでみてください。 楽をしたいとか、今の生活レベルを下げたくないとか、辛い思いはしたくない・・・という、「欲望」を犠牲にすると意欲が湧いてきますから、きっと上手くいきますよ。 健康になりたかったら、タバコや美食・過食をやめて、筋トレをして、自らに苦痛を与えますよね? でも、そうやって自己犠牲を払うと、その代価・報酬として、確実に健康は手に入ります。 目先の欲をとるか? 目先の欲を意欲に変えて、目標の達成に邁進するか? です。

hana-usagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、本当にそんな矛盾した考えですね;; 「原因と結果の法則」読んでみます。 「欲望」を犠牲にすると意欲が湧いてくる、のですか。 自分で試してみたいです。 私は目先の欲は要らない、と思っていながら、目標の達成を信じることも弱い;、ため、いまいち中途半端な犠牲しか払えていない、と思いました。 ちょっと恥ずかしい質問だったけど、してみて良かったと思ってます; もう一つ、思った事があるんですけど、出来る人の後ろから、トコトコ付いていく自分を認めてもいいかなって、考えてみることにしたんです。。。 まだ実践が「未」なので、よいかわかりませんが。 これはその人の成功欲みたいのによりますが、本来私は、自分が納得していれば、やっていられるので。。。(笑;

回答No.3

>羨ましいとか、妬むとか、そういうのじゃなくて、純粋にもっと出来る様になりたいな!って、思う所から、頑張れるといいって思う hana-usagiさん、ご自分で気づいているじゃないですか。僕もその通りだと思います。 >私の頭の中の世界で、私がおいしいと思っている物を、外の他人が、こっちの方がおいしいと言う。 これは、おいしいという価値観は「人それぞれ」だということです。車のカラーは、赤色が好き、私は白色が好き…という風に、価値観は人それぞれですよね。それと同じく、好きな味、好きな香水の香りも人それぞれです。何も流行の味、色、物じゃなきゃいけないわけではありません。 嫉妬に限らず、全ての感情は自分の中に起こるものです。そのことに気づいて、自分の感情をコントロールできればいいのですが…。難しいですよね。まずは、自分の今の感情に気づくことが大切です。今、私は怒っているなとか、今私は好きな気持ちだなと。そうすれば、自分が好きなものも嫌いなものも知ることが出来ます。怒っている自分に気づけば、冷静にもなれます。客観的に自分を見る、これお勧めです。 まず、嫉妬したり羨望したり、人を妬んで尊敬できなかったりする。そう思う自分の心理はなんだろう?欲しい物がある。それは努力して手に入れればいいわけです。でも人を妬むのは人間関係に置いてよくないことが多い。結論から言えば、相対的な価値観でしか見ていないから自分と他人を比べて競いあっちゃうわけです。そういう教育を受けてきたのも根本的な原因のひとつです。自分は自分。他人は他人。そう当たり前のことですが、以外と割り切れない人が多いようです。それは、まず自分の価値に気づいていないからです。仮に、僕とhana-usagiさんが恋に落ちたとします。当然、僕にとってhana-usagiさんが好きであって、他の女性ではダメなわけです。つまり、hana-usagiさんにしかない価値があるわけです。人間とはそういうものです。生まれつき、みんな違います。つまり個性をみんな持っているわけです。 hana-usagiさんの人生は、hana-usagiさんしか経験していません。つまりhana-usagiさんの本当の価値はhana-usagiさんにご本人にしかわからないことなのです。ですから、まずはご自分と向かい合ってみて下さい。前述した「自分を客観的に見る」もそのためです。 自分で自分のことを把握できれば、それは自分を信じることができるという状態です。つまり自信です。自信に満ちれば、自分を見失うことはないです。自分は自分なんですから。他人と比べて自分を見失うこともありません。自分の価値は自分にしかわからないことなのですから。しかし以外とその効果は他人にも伝わります。自信に満ちている人って、なんだか言うこともやることも魅力的じゃないですか? そうなれば、自分の好きなところも嫌いなところも把握しているので、いつも調子いいです。自分の嫌いな部分が出てきたら、「また、オレ憤り感じてる。オレこういうことが嫌いなんだ。」と冷静に自分を知ることができ、対処できます。そうなると、イヤなことも好きなことも含めて、人生楽しくなりますよ。毎日が自分発見の連続ですから。

hana-usagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 丁寧に考えてくださって、ありがとうございます。 もっと、冷静に、自分のことを受け止める、ということですね。 客観的に、とは、これが難しいんです。。。。; 私にしかない価値、ですか。 >hana-usagiさんの人生は、hana-usagiさんしか経験していません。つまりhana-usagiさんの本当の価値はhana-usagiさんにご本人にしかわからないことなのです。 私の人生は、私しか経験していないから、私の本当の価値は、私自身にしかわからない。 価値と呼べる程のものが、出てくればいいですけど。 でも昨晩あることで耳に入ったんですけど、やっぱり自分の良い所を自分で探すのも、自分のやらなければならない仕事だと、いうことでした。 その後のvagabond_0710さんからのアドバイスですので、ちょっと染みました。 自分を信じる、とか、自信に満ちる、とか、 今の私にはほど遠いと思うし、気が遠くなりそうです。 けど、ちゃんと仕事を持って行きたいと思っている人間がこれでは;。。。自分で引いてしまいますが。。; 自分の嫌いな部分を、冷静に受け止められる、ということは、それ分自分の良いところもしっかり自分で認められていて、かつ、嫌なところも変えていけると信じることが出来る、ということでしょうか。

回答No.2

私はいつも同じことを考えていますが,あなたの頭の中の世界と外の世界を区別してみたらどうでしょうか。ある計画を当てて自分なりに満足しているというのは頭の中の世界における出来事です。一方他の人と比べるというのは外の世界の出来事です。この場合判断の主体はあなたにないわけです。しかし頭の中の世界ではあなたが判断の主体ですから,この食い違いには原理的に耐えがたいものがあります。いわば、あなたが現在食べているものがそれなりにおいしいと満足しているときに,他の人が食べているものはもっとおいしいと言われたら、自分が食べているものを食べもしないでよくそんなことが言えるものだと憤慨するはずです。しかしあなたがそのような想像的判断をしているのだったら,あなたは自分に対して憤慨していることになります。要するに外の世界とあなたの頭の中の世界が混同されている状態を一度整理しなおしてみたらどうでしょうか。頭の中の世界ではあなたしか責任をとる人はいないのですから,嫉妬や羨望というのは外の世界のことではないということにも重要な意味があると思います。

hana-usagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私の頭の中の世界で、私がおいしいと思っている物を、外の他人が、こっちの方がおいしいと言う。 すると私は、自分に対して、「なんであれも食べてみないのか?」と憤慨する、ということですか? 嫉妬や羨望は、自分の頭の中の世界でのみ起こっている、ということですか? 混同を整理。。。。というのは、頭の中と、外の世界を、まったく切り分けるというとこですよね。 嫉妬の気持ちは、私の頭の中だけの問題、ということでしょうか?

noname#12667
noname#12667
回答No.1

自分以外の人を羨ましく思うのは当たり前です。 この気持ちがなくなったら向上心も消えて世の中は進化しなくなります。 質問者様はポジティブなだけです。 ノルマ制の仕事についてはどうですか? 向き・不向きが激しいですがhana-usagi さんのような考え方ならば向いてると思います。 羨ましい人がいたら「負けないぞ」と、今度はその人を羨ましがらせるようにしてはどうでしょう?

hana-usagi
質問者

お礼

こんな質問に、回答ありがとうございます。 結果的に世の中を進化させるような向上心、ていうのは、もっと純粋に他人のことを羨ましいと、尊敬のような感じで思う事から始まるのじゃないかと思います。 妬みのような捻れた感情からは、良い向上心は生まれないと思います。 今自分が羨ましい人を、逆に羨ましがらせる、とかでは、それ自体歪んだ動機に思えて前向きになれません。 そう考える自分に今度は嫌になってしまいます。。。 羨ましいとか、妬むとか、そういうのじゃなくて、純粋にもっと出来る様になりたいな!って、思う所から、頑張れるといいって思うんですけど。。。。 それに、そうなれないと、本当に自分が伸びない気がします。。。

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