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先生に嫌われた?

趣味の会で小説や詩などを書いてもちより みんなで、批評しあうのですが、 どうやら先生に嫌われたらしく 他のメンバーが口を揃えて、 「うまい。面白い」と褒めてくれた私の 作品でも必ず、「全然面白くない。こんなものが 面白いなんて気が知れない」と先生が一人だけ言うのです。そして「どこをどう具体的に直せばいい」のか 聞いても、返事につまって、いい加減なことしか 言わないのです。 そして、あきらかにみんなが下手とけなして いるような人の作品を引き合いに出してまで 私と比べ、私の方が劣っていると執拗に 言うのです。この先生いったいどういう 人なのでしょう?

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  • ベストアンサー
  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.2

私の高校のときの国語の先生を思い出しました。 ちょっとわたくしごとの話になるのですが、よろしいですか? 私は学校という公的な場所が大嫌いでした。担任も人間性からして尊敬できる教師には皆無でした。 権力主義、クラスの問題に対しての事なかれ主義、生徒をゆがんだ教育理念の小手先に利用する。そしてあの頃の偏差値教育・・・。 生徒ってそのようなことの、どうしようもない対象者ですから、思春期という鋭い感性もあいまって本質を見抜いてしまうんですよね。その中で私は教育者側から見ればいわゆる反抗的生徒(あくまでも「非行生徒」ではありません)でした。 でも他の生徒はうまーくやりこなしているんですよ。成績に響くからということもあったのでしょうけれど、社会人になる一歩手前の時期でしたから世渡りをそろそろ学び始めるのでしょうね。でも私はそういうことが最も不得手ですし、先生の主観によるかもしれない内申や成績のために自分の主張を曲げていられるか、という信念があったのでしょう。 私は小学生の頃から作文など書いたものを代表として選ばれたりしたのですが、高校でも、夏休みの宿題に書いた読書感想文をクラスから代表を選び卒業文集に載せるというときも代表者になりました。しかしそのような私の態度のことは職員室でも話題になっていたのでしょうね。その件は一度決まったことですが、突然取り消されました。理由は私の態度による、のだそうです。作品とは関係ないでしょう?と思いましたが、ああそうですかと別に反抗もせず、意外に呑み込まれてしまった私(笑)。 でもそのことは今でもよーく覚えてます。当時はそのからくりが見えなくとも見えたような気がします。ぞっとしました。これは明らかに圧力、以外の何ものでもないでしょう。 今から考えると、反抗的な態度(といっても口答えするだけ、職員室に友人と共に呼ばれても、彼女は泣く(演技?)、でも私は笑う、そんな程度でしたが)をとってきたことで確かに裏で何かをされたのは悔しいけれど、作文のためにたとえばそれまでのことを謝罪するとか、態度を改めるとか媚びるとかしてしまった方がきっと今でも後悔していたでしょう。 とまぁご質問のことからだいぶ昔のこと、でも今でも鮮明に覚えている以上のことを思い出しました。 だから教育者って絶対に主観に拠ってはならないのですよ。これは絶対ともいえる義務です。内申というのは進学、しいては将来に向けてのパスポートのようなものです。命を握られているといっても過言ではない。だからこそ厳しい客観性を求められるのです。 ご質問者様の作品に関して言えば、それが先生の「嫌う」という主観によっていないのならばよいのですが、またあなたのお仲間の評価もある。これは作品に関して両者の主観の違いですが、問題なのは教師という立場でいじめのようなこともやっている。こういう教師が子供の才能や可能性のフィルターになってしまう。私的には最悪の教師だと思います。 あなたの作品を決めるのはもっと広い世界の人たちです。そのお仲間も誉めているだけではない、あなたの作品に対し悪いものは悪いと言ってくれる客観性と平等性がある。教師がひとりだけくだらないことにこだわっているだけです。だから決してめげないでくださいね。

noname#20618
質問者

お礼

長文で、本当にありがとうございました。 先生と呼ばれる立場の人間って、自分より 生徒のうちの誰かが、自分のもっていないような 才能を持っていると、妬む人もいるのですね。 怖い事ですが。もっと教師自身が、誇りと自信を 持てばいいのにと思います。

その他の回答 (6)

noname#119854
noname#119854
回答No.7

同人会のようなものないですか。私はそちらに詳しいほうでないのですが、貴方の感性をつぶされないように願ってます。同人誌も沢山あると思います。杉田久女や上村松園にしても、破門されてもすばらしい作品を残してると思います。小説にしても詩にしても好みもあると思うのです。啄木は好きでも賢次は嫌い。漱石の作品には希望があるけど太宰や龍之介には希望より自分まできれてしまう所を嫌う方。作品は貴方が劣ってると思う方を評価するのが先生の琴線に触れるものがあってなのかもしれませんし、ただ我慢で感性がつぶれると感じるならやめた方がいいと思います。私は書道と生け花は大嫌いです。生け花は母が練習なのだからと新しい花バサミや鉢を求めてもらえませんでした。(中学時に)生けた花を先生が手直しするとき剣山(字が違うかも。花を立てる棘棘の鉢に入れるもの)が悪くたたないとかずいぶんクラブのたびに言われて書道も生け花も2度と習いませんでした。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 確かに、仲間が認めてくれて励ましてくれても 先生から、酷い事を言われると、人間なので 多少はめげますよね。私がボロクソに 先生に言われた日、仲間がみんなで 「あれは、先生が酷すぎるよね」と話していた らしいです。

  • genmai59
  • ベストアンサー率45% (1214/2675)
回答No.6

まず、感性の違いと考えるのが一番妥当じゃないでしょうか。その先生がプロの指導者・教師というなら、対応の仕方がどうかなとは思いますが、趣味の会での先生となると、プロの指導者というよりも、一芸術家にすぎないのではと思います。自分の感性にあわないものを否定するのは仕方がないでしょう。 それから、人間的な相性が悪くて、あなたの言動が先生の気に障っていることも考えられます。女性に多いのですが、ちょっとした感覚の違いを、自分に対する敵対行動と見なして、その人間を徹底的に排除しようとする人がいます。そういう人にあたると、対応がむずかしいですね。 文学の世界に、「どこをどう直せばいいか」というのは、考えても仕方がないと思います。それが気になることからすると、あなたは、かなり論理的・理性的な思考の持ち主ではないでしょうか。そういう人は、たまに感情的・感覚的な人の逆鱗に触れることがあります。切ってもかまわない関係なら切るしかないし、どうしても切れない・切りたくない関係であれば、なるべく目立たないようにして、ほとぼりをさますことです。 先生の評価をそのまま受け取ることはないですが、友達の「面白い」という評価は、鵜呑みにしないほうがいいですよ。友達というのは、つまらないと思っても「面白いよ」とほめたりするものです。アマの意見はあまり参考にはなりません。先生があなたに嫉妬しているという意見は、笑止千万だと思います。可能性がないとはいいませんが、それじゃあ、まるで漫画の世界でしょう。 「あきらかにみんなが下手とけなしているような人の作品を引き合いに出してまで」というところに、少しあなたのおごりを感じました。 これはあくまで想像なのですが、あなたの作品は、おそらく感性が鋭くて理性的でうまいものなのだと思います。でも、例えば人間的な暖かさにかけるとか、社会的に非常識だとか、先生は感じていて、そういう作品も、そういう作品を書くあなたのことも、受け入れられないのじゃないでしょうか…。だから、技術的には明らかに下手な作品でも、「人間的な常識がある」みたいなことをいいたいのかもしれません。 例えば殺人者の心理を深く描いた作品を、一般常識から抜け出せない人は、「殺人を肯定している」と思いこんで、激しく否定するかもしれません。 具体的なことがわからないので、上記はあくまで想像です。私は、どちらかというと理性的な考えを主張しては、感情的な人に拒否されるタイプです(^^;)。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 その会の先生ではなく、生徒の方は 今まで私の作品を読んでくれて、 「面白くない、全然ダメ、読みたくない」 と言う事もかなり多かった ですが、その都度、具体的に もっとここをこうすれば、引き立つとか この部分はこうすればもっと面白くなるとか 本当に役に立つアドバイスを ものすごくたくさんしてくれたので 素直に受け入れて それに従って 私も、今まで三年間くらい努力して きた結果、今回口を揃えて「面白い」と 言ってくれたので、それは 嘘ではないと信じられるので 素直に喜ぼうと思っています。 またそういう素直さも残っていない 事には、人間らしいものも書けなくなり そうで。アドバイスは有り難いですが。 でも先生の方はその生徒さん達の 親切さに比べたら、 どうしようもないものを抱えているような 感じで、生徒の口から 「プロになってもああはなりたくない」 とか 「あの先生に褒められたらおしまいだよ」 とか、しばしば言われていました。 反面教師としている部分もありましたが、 一応プロなので、汚い言い方ですが その会員募集時の 宣伝マンになるみたいな感じで 捉えている人もいます。この状態じたいが おかしなことなので、井の中の蛙同士が あれこれ言ってもはじまらないので 一般の方のご意見も伺ってみたいと 思いました。 参考になりました。本当にありがとうございました。

回答No.5

僕は本の専門家ですが、あなたの先生のことは存じません。なので、ひとつの可能性として申し上げます。 文芸作品の場合、優劣をつけるのは簡単ではありません。例えばベストセラーになっている本、立派な文芸賞を受賞されている本でも、僕の目から見れば駄作というものがいくらでもあります。これは人によって評価の基準が異なるためです。 お年寄りに「プロの書いたライトノベル」と「ど素人の書いた歴史小説」とを読ませてみれば一目瞭然です。まず間違いなく後者に軍配を上げるでしょう。文芸作品の評価なんてそんなものです。 だから、あなたと先生とで感性が大きく異なるのかもしれません。書く人と読む人の感性が大きく異なれば、あなたの言われるようなことが当然起き得ます。理由を説明しろと問い詰めても無駄です。感性が合わないのですから、理由なんて説明しようがありません。嫌われていると一方的に決めつけるのはよろしくありません。 ただし同じけなすにしてももう少し言い方はあるかもしれません。先生であるならば言い方に配慮が必要です。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 No.4の方のお礼の欄にも書かせていただきましたが 教師としてのあり方を その先生は理解していないという のが残念です。

回答No.4

論文指導をしています。 授業の感想など書いてもらうと、たまに「自分は先生に嫌われているみたいだから……」のような内容のものが出てくることがあるので、その意味で、このご質問や回答は大変参考になりました。 ただ、指導する側から言わせてもらえば、わたしが評価するのはあくまでも作品であって、その向こうにいる書き手ではありません。 書き手が好きか嫌いか、など、判断のなかには毛頭含まれていません。 よく「文は人なり」と言われますが、それは非常に限定的な意味のことです(このことに関しては後述します)。 書き手がどういった人であるか(つまり、好き-嫌いの対象であるか)など、考えることはありません。 論文指導の場合、明確な評価ポイントがありますから、まず、それにそって見ていきます。 出題の意図を正しく読みとっているかどうか、あるいはまた、文章構成、論理の流れ、語句の用法、その他、いくつかのポイントを、丁寧にチェックしていきます。 そのうえで、書き手が書こうとしていることの真意を読みとって、どうしたら、それがもっとも良い形で表現することができるか、考えます。 そうするなかで、最初に出してもらった原稿は、真っ赤になるし、何度も書き換えを命じます。そういうなかで、ときには泣き出す生徒がいることもあります。 けれども、それが「指導」なんです。 わたしはそれでお金をもらっていますし、仕事としてやっているわけですから、そこに「好き-嫌い」の入り込む余地はありません。 ご質問なさっておられるのは、小説や詩ということで、論文とは性格が異なるにせよ、おそらく指導者のかたの考えておられることは、わたしとそれほど隔たってはいないと思います。 >他のメンバーが口を揃えて、「うまい。面白い」と褒めてくれた私の作品 というのが、実作を拝見していないので、どの程度のものかわかりませんが、 >「全然面白くない。こんなものが面白いなんて気が知れない」 なぜ、この先生の評価より、他のメンバーの方の評価にプライオリティを置かれるのかわかりません。 その先生の指導を受けるために集まっていらっしゃるのではないのでしょうか。 であれば、最低限、先生の批判に真摯に耳を傾ける、それが必要なことでしょう。 >あきらかにみんなが下手とけなしているような人の作品を引き合いに出してまで私と比べ、私の方が劣っていると執拗に言うのです。 読む、ということは、決して簡単なことではありません。その人の能力に応じてしか、読めないのです。先生と呼ばれていらっしゃるわけですから、おそらくプロの方でしょう。プロが読んで、どこが自分より優れているか、自分が劣っているか、もういちどじっくりと突き合わせてごらんになりましたか? うまい、ヘタ、というのは、決して漠然としたものではないのです。突き合わせて、何度も何度も読み返してみる。そうしたなかで浮かびあがってくる欠点を見つけていく。そうした自分の欠点の発見こそ、百の「褒め合い」のことばより、質問者さんにとっての財産ではないのでしょうか。 >そして「どこをどう具体的に直せばいい」のか そんなに簡単なものではありません。 「具体的にここと、ここを直したらいい」と指摘できるものというのは、実はそんな指摘がいらないほど、完成されたものに限るのです。 未熟な作品(質問者さんの作品のことを指しているわけではなく、一般論を言っています)の場合、具体的にどこを直したらいいか、それを見つけるのがまず大変だし(というのも、どこを残していくか見極めるということ。残すに足るものがあるかどうか、という問題が多くの場合あるのですが、それでもなおかつ、使えそうなところを探すわけです。ほんとうにこれは大変です)、そこを中心に組み立て直すことをやってもらわなければなりません(多くの場合、ここでまず激しい抵抗に合うのですが)。そのうえで、何度も、何度も手直ししながら、やっとおぼろげに「作品」になっていくんです。 ご回答のなかには、「嫉妬」などという記述も見受けられましたが、そのような心配はおそらく無用であると思います。 指導者というのは、素直に、生徒のきらめきを愛します。 何枚もの、読んでいて疲労感・徒労感しか感じないような原稿のなかに、ひとつぶの砂金を見つけたとき、それがほんとうに、どれほどうれしい瞬間であることか。 質問者さんがどの程度のものを目指して、創作をなさっていらっしゃるのかわかりません。 仲間内やネットで発表して、気の合う者同士で交流して、楽しい気持ちになるのを求めていらっしゃるのでしたら、プロの指導は必要ないでしょう。楽しくやっていかれたら良いかと思います。 ただ、なにがしかの目標があるのなら、そうして、自分の書くものを少しでも良いものにしたい、という、真摯な思いがあるのでしたら、もういちど、指導者の話に耳を傾けられることを希望します。 最後に上のほうで書いた「文は人なり」について。 わたしの好きな柳沼重剛のことばを引用します(原文にはない改行が適宜してあります)。 「書く方がここまで一所懸命に書いてくれたものならば、読む方でも、何が書いてあるかさえ分かれば十分だとは言えなくなる。ここまで文章に才能と手間をかけるならば、その才能にしても手間のかけ方にしても、書いた人間独自のものになるはずである。 文体などというものは、自分で考え、考えながら言葉を探し、言葉を見つけ、選んで書くのでなければ生まれる道理がない。だからこそ高山樗牛の『文は人也』というのももっともだと思えることになる。 文体のある文章が人を惹きつけるのは、人格が言葉を得て躍動しているのが見える、あるいは聞こえるからである。そこで読む方でも、そういう文章は一語一句考えながら読まないわけには行かないが、それが少しも苦痛ではなく、むしろ楽しみであることになる。そういう楽しみ方ができる文章を私は文学と呼ぶことにする」(『西洋古典こぼればなし』岩波同時代ライブラリー)

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 ただ、指導する側から言わせてもらえば、わたしが評価するのはあくまでも作品であって、その向こうにいる書き手ではありません。 書き手が好きか嫌いか、など、判断のなかには毛頭含まれていません。 回答者様のような立派な先生なら、別に悩んだりも しないし、こういうサイトであえてご相談もしないと 思うのですが、あまり質問の方が詳しくなくて 申し訳なかったと思いますが、その先生は、私だけで なく、いままで、何人も主に女性ですが、人格まで 否定するような事を言って作品をけなし、泣いて 生徒さんが泣いて飛び出して言ったりということも あったのです。指導する方の立場からすれば 言語道断だと思っていますが、仮にも月謝を とって教えているのなら、何か一つでも その人が向上できるような道筋をつけて やるのが、本当の指導者ではないか思っています。 生徒はプロではないのです。プロではないからこそ そういう素人の会に来ているわけでそこへ ただただ、作品を離れて人格否定をしてしまう 先生に疑問を感じました。素人の作品が完成度が 低いのは当たり前であり作品に対しての 建設的なアドバイスがほしいだけの事であって 面白いとか面白くないとか、言ってもらいたい わけでもなんでもないという事を その先生にわかってもらいたかったけど どうもうまくいかなかったのです。

noname#119854
noname#119854
回答No.3

同じような趣味の会とかないのですか。本音でそういう先生の基で続ける趣味ですか。  感性もあるのですが、指摘できないようなことでけなすことも好きでないのです。以前も毛筆の先生にけなされたことありました。何がいけないかでなく流派が違うらしかったです。17歳の多感な時期に祖父からの手ほどき受けた私には辛いものでした。クラブでしたのですぐにやめましたが今も書道には嫌悪きり残ってません。好きな趣味を嫌いにならないように願っています。ただ生徒が脅威に感じるとき理由なくけなす先生もいると思います。「生徒に越えられて初めて師」と語った主人の設計の先生がおりますが、生徒の作品を自分の名前で出展する有名な設計士もおります。貴方のオリジナルがすばらしいと思うなら仲間がほめていますでしょ。こびるような作品は後が続きません。感性を大切になさってください。感性がゆがむほどならまた考えるのも方法です。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 今他の同じ様な趣味の会を探しています。 お心当たりがありましたら、 教えていただければ嬉しいです。

  • yasya
  • ベストアンサー率29% (842/2899)
回答No.1

「自分が一番じゃないと気が済まない」タイプなんじゃないでしょうか? だから、みんなが褒めている人のことが嫌いなのでは? つまりは「お山の大将」でいたい人なんでしょうね。 ある意味、FUCHUNさんのことを脅威に感じているのでしょう。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 その会のほかのメンバーの人も そう言ってくれました。 自分が一番ってナルシストなんですね。

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