- ベストアンサー
気持ち自体をなくしたい
大変非常識で非倫理的な質問だと言うことは分かっていますが、私は、ある人を殴り殺してやりたいという気持ちを捨てられずにいます。 勿論本当にすることはありません。当たり前ですがそれは断言できます。 でも、一日中そのことばかり考えています。 シャワーを浴びながら、仕事を片付けながら、移動しながら、友人と笑い話をしながら。 食事と睡眠は、余りにも憎くて憎くて、とることができません。医者に通い続けても、変わりません。 なぜ自分が死なないのか、周りと普通に接しているのか、分かりません。 普通はそのうち憎み疲れてそんな気持ちも無くなるものだと思いますが、毎日毎日毎日毎日考えています。 相手は自分がそこまで憎んでいるとは考えていないでしょうが、殴るくらいはされると思っているのか逃げ隠れています。 こんな強く深く大きな気持ちを消すことができず、理性で抑えるのが精一杯で、その様な気持ちを抱くことが、苦しくて苦しくて仕方がありません。 気持ち自体を無くしたいと思っているのですが、今もはらわたが煮え繰り返るような気持ちです。 気分を悪くされた方がいらっしゃれば申し訳ありません。 どうか、助けてください。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
お返事ありがとうございます。再度の#4です。 たぶん、察するに余りある辛い体験をされてきたのだと想います。 で、まず「自分の中を戦場にしない」ということを覚えて欲しいんです。 激しい怒り、憎しみ、現在の人生への嘆き、消耗感、挫折感、虚無感、・・・・。 と、質問者さまの心の中が感情のジェットコースターになっていると思うんです。 これは「幸福でありたい」という欲望と「そうでない」という現実との葛藤なんです。 この葛藤が始まると自分の中が戦場になってしまうんです。 終わることの無い戦いが始まってしまうんです。 でも「感情」そのものには、何の責任もないんです。 仏教的に言いますと、縁って起こされている(縁起)というだけであって、感情には何の責任もないんです。 ですから、自分で自分の感情を拒絶したり、戦わないようにするんです。 「この感情は私の大切な感情です。 私はこの感情と対立しません。 この感情を許します。認めます。受け入れます」と自分に言い聞かせてみてください。 何も、憎い相手を許せというのではありません。 相手と感情を区別して、自分の中に起こる感情だけを許して、認めて、受け入れるんです。 これは、実際に脳の中に扁桃体という好き嫌いの判断をする部位があるんですが、ここの昂奮が過剰になってしまうと、いろいろな心の病に発展するらしいんです。ですから、常日頃から、自分の中を戦場にしない(扁桃体を昂奮させない)言葉として、この許しの言葉を自分自身に投げかけてみてください。 これはEMDR(眼球動作)以外に、常日頃から、実践してみてください(本当にやってください) あと、先に紹介しましたヴィパッサナー瞑想法の歩く瞑想というバージョンがあるんですが、私のHNをクリックしてもらえれば、簡単にご紹介してますので、これも、今すぐにからでも初めてみてください。 頭ののぼせがスッカリ取れて、とても頭がハッキリしている!と、イメージしながら、一歩、一歩、自分の身体感覚に集中して歩くんです。(ユックリ) 「獲物を狙うように」と書きましたが、それは、意識を研ぎ澄まして、「今、此処の私」に戻るためのイメージスクリプトなんです。 頭の中というのは、一年中、下心で張り裂けそうなんです。 下心とは裏心です。 買い物中にも、読書中にも、ネット中にも・・・・その瞬間、瞬間の自分に集中できている時間って、大人にはほとんどないんです。ましてや、辛い体験があると、さらに自己喪失してしまうんです。 ですから、ピリピリと感じるくらい、「今、私はこの瞬間、右足から歩いているんだ!」という生の感覚に集中するように努力しながら、歩く瞑想をやってみてください。獲物を狙うように、頭がスッキリ、クッキリ、鮮明に覚醒したとイメージしながらです。 本当に立ち直れる日はきますから、大船に乗ったつもりで居ていいんです。 あとは、やるだけです。 【今、此処にいる私!】を全身全霊でイメージしてみてください。 ピリピリとして、一寸の隙も無いくらい明確に、鮮明に!
その他の回答 (9)
- ke-ta1971
- ベストアンサー率50% (82/161)
No3で回答させていただいたものです。 私事でたいへん恐縮ですが、私も少し前にこちらのカテゴリーで質問させていただきました。匿名のサイトですから回答に期待はしていなかったのですが、皆さん他人の私の気持ちを理解して回答して下さって胸につかえていたものが取れました。それで私の意見で少しでも困っている方の気持ちが和らげば・・・と回答させていただいています。 Kuro-muさんの「助けて下さい」という気持ち・・・回答している皆さんなんとかしてあげたいと思っています。 質問文章から、どんな事をされて相手を殺したいと思う程憎いのか・・・その気持ちを無くすにはどうすれば良いのか考えてみました。 気持ちになって考えたからでしょうか・・・どんな事をされて、そう思うようになったのか気になって仕方ありません。触れてはいけない部分なのかもしれませんが、これが実は法律に触れるような事であれば、法律に詳しい方が教えてくれると思います。 男女間の問題、または三角関係のこじれとした場合、そのような経験をされた方の意見はこれからの大きな気持ちの変化に繋がるかもしれません。 また、相手が原因でそれが自分の人生を一生台無しにしてしまうような事だった場合、男女感の気持ちの問題以外のアドバイスが必要でしょう。 プライベートな部分なのかもしれませんが、もしも私が会社の同僚などにこのような相談を受けた場合であっても、絶対何が原因で気持ちがそうなってしまったのか聞くと思います。 ここは匿名のサイトですが、皆さんほんとに人の気持ちで考えてくれています。 原因を知った方が的確なアドバイスがくると思いますよ。 よけいな事を言ってたいへん申し訳ないですが、あなたの気持ちが少しでも軽くなれば・・・と昨日から考えています。
お礼
二度もご回答くださって、ありがとうございました。 皆さんには、本当に親身になってアドバイスしていただき、 にも拘らずずっと同じところに留まってしまって、 申し訳ありませんでした。 理由を言わなかったのは、実物の二人を見ずに、制限字数に収まる程度の詳しさで、話だけ聞いてしまったら、 病気の理解が難しいこともあって、誤解なされる方が多くいらっしゃると思ったからです。 非常に細かい、でも重要なニュアンスを持ったものが沢山ありすぎて、伝えきれないと思ったのです。 しかし、勝手に判断して、理由も言わずに悩みだけ相談すると言う傲慢な事をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした。 私は昨日、ke-ta1971さんの前回のアドバイスの最後の部分を何度も読んで、本当に実行してみました。 結果は、相手の方が自分と自分の置かれた状況について的確かつ公平に理解してくれ、 その上自分を認めるばかりか、本気で好意まで抱いてくれました。 私自身が今回の事でかなり歪んでしまっていて、人を好きになるというか、人を受け入れる事自体できず、結局話をしただけで次に会う約束もせずに終わってしまいましたが、 どんどん底へ底へと沈んでいった自分が、浮上した、というか、次に進めた気がして、本当に救われる思いでした。 これも、皆さんのアドバイスのお陰だと思います。 「行動」に移せた自分を、自分自身で認めてあげると共に、 行動に移す為に背中を押してくださった皆さんに、 心から感謝したいと思いました。 本当に、ありがとうございました。
- f_koga
- ベストアンサー率9% (9/91)
重ねて何度も申し訳ありません。 ひとつの法律をしつこく、見下すような言い方で言われたために、憲法などにある基本的人権を無視されたことを見逃してはいませんよね? またそれは、そのような会わない人と、関わらずにはおれない状況に置かれたための怒りではありませんか。いわば、社会に対する怒りでしょうか。 私だって、目の前で人が暴行、脅迫、強要されているのを見ながら、くすっと笑ったり、べたべた厚かましくしたり、犯罪被害に会っている人が「だらしない」「あなたに悪いところがあったのでしょう」だの「書類が整っていない」「DV、DV]と叫んでいる人を見ると、そんな気分になります。 被害を訴えているのに、言い返されても一緒です。 聖書や刑法を読んでみてはいがかでしょうか。読み方は自由です。どこにイントネーションをつけてもいいです。
お礼
分かりました。 少ししか学んでいないうちに、あの様な事を言って申し訳ありませんでした。 本当は、何人かの弁護士の方に無料相談をしてもらった時、「詳しく話を聞いて戦略を練れば十分勝訴する見込みはある」と言われたのですが、 儲けたいだけなんじゃ…という変な猜疑心が生まれてしまって、 それとお互いの両親の事を考えてしまったりして、 結局その場止まりでした。 f_kogaさまの言う通り、自分なりに、でも偏った見方と言う意味ではなく、いろんな種類の法律を読んでみようと思います。 ありがとうございました。
- f_koga
- ベストアンサー率9% (9/91)
こんにちは。 とりあえず、どういった暴行、脅迫、強要などがお互いの間になかったか確認しませんか? あなたが被害者なら、その怒りを裁判に向けて、相手を告訴してください。
お礼
私は、自分と同い年の子には絶対に絶対に同じ思いはして欲しくないという様な、恐ろしい思いをしました。 余命三ヶ月と言われるよりずっと辛い病気にもなりました。 いまも、そしてこれからも、苦しみから逃れることはできません。 でも、相手がしたことは、「違法行為」にはあたらないのです。 むしろ、「殺してやりたい」とか言ってる私の方が、法的に言えばずっと加害者なのです。 相手のホームページに、相手に何をされたか書いたこともあります。(訴えが事実であっても、名誉毀損でこちらが訴えられてしまうそうですね。) 本当に悔しいけど、法律は変えられません。 だから、いっそのこと殴って刑務所に入ってやろうかと考えたこともありました。 あいつのせいですでに人生は目茶苦茶なのだから。 でも、両親の事を考えると、できませんでした。 色々しつこく言って、すみません。 結局、皆さんが仰られる通りの事を実行するしかないのだと思います。 具体的な事を書かずに質問して、申し訳ありませんでした。 アドバイス、ありがとうございます。
- calm-sea
- ベストアンサー率25% (2/8)
助けて差し上げるにはあまりに私の力は小さいかも 知れませんが、お辛い気持ち、苦しさは 十分わかります。 今、まさに私も同じ状況ですから。 一日中、何をしていても常に頭から離れない。 この憎しみを早く手放したい、この執着から早く 自由になりたい、そう思いながらも 頭の別の場所では、相手を殴りたい、 刺してやりたい、駅のホームに立てば 「ここでばったり出くわしたらきっと 突き落とすだろうな」と考える自分がいる。 殴って怪我をさせたり、刺して死なせちゃったり すれば「犯罪」なのに、人の心に残虐行為を働いても 社会的な罪に問われないなんて、不公平だよなぁ、 とも思っています。 でも(私もそうですが)それを実行しない、と 断言できるということは、kuro-mu さんは ご自分を愛してくれている人の存在 (親御さんやご友人)をちゃんと感じて いらっしゃるということですよね。 私も、例えば親の人生に思いを馳せるとき、 その「重要な登場人物」であるはずの自分が、 彼ら(親)を傷つけていいはずがない。 愛する者に踏みにじられることが どれだけ残虐で非道なことか。それを自分は 身をもって学んだのだから・・・そう思っています。 (親とは決してうまくいっているわけでは ないんですよ。むしろ問題の多い家族です:笑) 私が今、kuro-mu さんに言ってさしあげたいことは 「存分に憎みましょうよ」 ということです。 他の方のご回答とは真逆のように聞こえるかも 知れませんが、終着点は同じだと思います。 無理に引き剥がそうとしなくていい。 憎んでいいんです。怒っていいんです。 その表現のしかたは吟味する必要があるでしょうが 憎しみや怒りに無理に蓋をしなくていいんです。 憎しみも、怒りも、十分味わいつくしましょうよ。 「出さなければ、手放せない」 今の私にはそのように思えています。 私は友人に「あいつのことを、死んじゃえばいいと 思っている」と言っています。 「殺してやる」じゃないから、いいや、 と思っています。 友人は「上出来じゃん!よく言えました」と 褒めてくれましたよ(笑) と同時に、友人は言いました。 「死んじゃえばいいってことは、どうなっても いいってことだよね。 どうなってもいいってことは、あなたがその目で 見なくてもいいってことだよ。 ヤツの苦しむところを見たいと願うことは、 結局ヤツに寄り添っていることと同じ。 しんどいけれど、その欲を少しずつ手放そうね」 ・・・・・・ 私自身が苦しみと悲しみの真っ只中にいるだけに、 「これが効果がありますよ」という助言に できなくてごめんなさい。 でも、週末の昼(いいお天気なのに) なんだか辛さにうなだれていた私に、 あなたへ語りかけようとさせてくれたkuro-mu さん。 あなたはご自身で苦しみながらも、 今、私を少し力づけてくれたんですよ。 大丈夫です、kuro-mu さん。 あなたにはちゃんと、道が開けていますよ。 的外れだったらごめんなさいね。
お礼
的外れなんて、とんでもありません。 あなたが今感じている気持ちの一つ一つが、実感としてとてもよく、解ります。 皆さんにアドバイスしてもらって、教えてもらった事を何度も読み返して、早速実行してるのに、…まったく抜け出せない自分がいました。 一人でいるからいけないのかもしれませんが…。 clam-seaさんはすばらしいご友人を持たれて、うらやましい限りです。 でも、clam-seaさんが書き込んでくださった事を読んで、救われた事も確かです。 同じ思いをしている人がいるのだ…と、お互いに思うことができた。 私の存在も、一時的なことで、解決には何のお役にも立てていないかもしれない。 でも、すごく有り難かったです。 その様に言ってくださって、ありがとうございました。 ほんとに少しずつでもいいから、良い方へと向かっていければと思います。
- hiro-2005
- ベストアンサー率29% (205/705)
私は宗教家ではないし、信仰すら持っていません。 けれども、この詩が心に染みました。 憎むことは自分を傷つけることだと知りました。 憎むべき相手のために、自分の人生を無駄遣いしていることに気づいて、もったいないことをしたと思いました。 今後の人生を、そんな相手のためにではなく、自分のために使いたい。 「ゆるすということ」 ゆるすことは幸せになるための処方箋 ゆるさないことは苦しむための処方箋 苦しみの原因が何であれ 苦しみにはすべて 「ゆるさない」 という種が宿っていないだろうか? 復讐の念を燃やしつづけ愛や共感を出し惜しみすれば 健康を害し免疫が低下することはまちがいない 当然だと思われるような怒りでもこだわりつづけていれば神の安らぎを味わえなくなる ゆるしとは その行為をよしとすることではない 残虐な行動を見逃すことではない ゆるしとは 怖れに満ちた過去にこだわりつづけるのをやめること ゆるしとは 古傷を引っかいて血を流しつづけるのをやめること ゆるしとは 過去の影に惑わされることなく いまこの瞬間に 百パーセント生き百パーセント愛すること ゆるしとは 怒りからの解放であり 攻撃的な思いにさよならすること ゆるしとは 誰に対しても愛を拒まないこと ゆるしとは ゆるさないという思いから生じた 心の空洞を癒すこと ゆるしとは 過去に何をした人でも すべての人の中に神の光を見ること ゆるしとは、相手のためだけでなく 自分自身のためであり 自分が犯したまちがいのためであり くすぶりつづけている罪悪感と 自分を恥じる気持ちのためである 最も深い意味でのゆるしとは 愛に満ちた神から自らを 切り離してしまった自分を、ゆるすこと ゆるしとは 神をゆるすことであり 神は自分を見捨てたという おそらくはまちがっている考えを ゆるすこと いまこの瞬間にゆるすということは もう先延ばしせずにただゆるすこと ゆるしは心の扉を開け 感情をスピリットと一体にし すべての人と一体にし すべての人を神と一体にする ゆるすのに 早すぎることはない 遅すぎることもない ゆるすにはどれだけの時間が 必要だろうか? それはあなたの価値観しだい 絶対に無理だと信じるなら 絶対に起こらない 半年かかると信じるなら 半年かかる 一秒ですむと信じるなら 一秒ですむ 私は心から信じている 一人ひとりが自分も含めてすべての人を ゆるせるようになったとき 世界は本当に平和になるということを
お礼
許せると自分で信じ続けること。 どんなに難しくとも、それができなかったら許すことなど不可能ですよね。 本当に素晴らしい詩だと思います。 教えてくださって、ありがとうございます。 周りに優しい言葉をかけたり、企業の人事の方と自信を持って接することができたり、いい服を買ったり、音楽に感動したり、おいしい料理を作ることができるのに、それと同時に「どうやって殺したら一番苦しむだろうか」などと考えている自分は、相当おかしいのかもしれません。 この詩を、何度も、何度も読もうと思います。 今は頭で理解することしかできないこの詩を、本当に自分の心で感じることができるようになるまで、自分の気持ちとして同じ事を思えるようになるまで。 どうもありがとうございました。
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
今度、記憶がフラッシュバックされたら、ガンバって眼球を左右に素早く振ってみてください。一心不乱に振り続けるんです。そうすると嘘のように気が晴れてしまいます。EMDRというトラウマ治療法です。 怒っているときや、嘆いているときに、眼球を振るというのは、物凄く抵抗あるし、根性もいるし、正気も要る作業なんです。眼球を振ることで脳の活性化という意味もありますが、それ以上に「平常心」を養うことが出来るようになってくるんです。 だって、怒りが燃えているときに「あ、私は今、怒っている・・」と気がつくことが出来るのは平常心だけです。さらに気が付くために必要なのは気持ちを落ち着けることです。さらに眼球を左右に振るために必要なのは、怒りとは別の意識なんです。 ですから、これを実施することで、怒りや記憶から離れることが出来るようになってくるんです。 専門家もいるんですが、自分勝手にやっても、かなりの効果が期待できると想います。 他にも坐禅、瞑想を深く勉強していくと、「自分を離れる」という境地にまでいくので、それもかなり有効な手段だと想います。 なぜならば、私たちが普段「自分」と思っている「自分」は、本当の「自分」ではないからです。 普段思っている「自分」とは、周囲との縁によって形成された現象にしかすぎないからです。 例えば、質問者さまで言えば、過去の出来事により、形成された辛い現象にあるということなんです。 これらの、全ての関わりあいの中と、自分を切り離していくことにより、本当の自分に出会えるようになってきます。そうるすると嘘のように頭ののぼせがスッ!取れてしまうんです。 「あれ? 私は今まで何をやっていたの??」という我に帰るという体験がきっと出来ると想います。(これは本当なんです) つまり、逆を言えば、普段の私たちは、それほど周囲との関わり合いの中で自己を喪失しているということなんです。それは何も辛い記憶だけでなく、見たもの、聞いたもの、触ったもの・・・ありとあらゆる接触によって、自己を奪われているんです。 そのことに気が付くだけでも、かなり自己を取り戻せますが、もし、興味があれば、坐禅や、そのルーツのヴィパッサナー瞑想というのをやってみてください。 絶対!に嘘のように楽になれます。
お礼
私は、正直、アドバイスしてくださる方皆さんに、「自分の為に忘れた方がいい」「何かに打ち込めばいい」「違うことに気持ちを持っていけばいい」と、ただ単に客観的事実だけを言われるものだと思っていました。 しかし、こんなにも色々な観点からアドバイスしてくださるとは、思ってもいませんでした。 皆様には、本当に感謝しております。 実は、仏教の本当の意味での「さとり」、(Syo-yaさんが教えてくださったことと同じ、自我からの開放です)を、ある専門家に教えていただき、瞑想も四ヶ月やったのですが、周りとの関わり合いや出来事で形成された偽りの自我を、かりそめのものだと認知することができず、実はいったん諦めてしまっていたのです。 しかし、そこに行き着く事ができたら、絶対!に楽になれると、わたしも思います。 運よくその事を本に書いている専門家の方が近くにいらっしゃるので、もう一度お話を聞いて、本格的に、取り組み直してみようと思います。 また、怒りが爆発しそうな時に眼球を左右に振ると言うのは、目からうろこでした。 泣くべき所ではないところで泣きそうになった時に、舌をかむと、嘘の様に我慢できると、教えて!gooで知りましたが、それと同じくらい、かなり効きそうです。 Syo-yaさんのように思えるようになるまで、(たどり着ける様になるまで)、何度も爆発しそうになると思いますが、その度に、必ず実行しようと思います。 為になる事を教えてくださって、また、もう一度取り組むきっかけを与えてくださって、本当にありがとうございました。
- ke-ta1971
- ベストアンサー率50% (82/161)
金銭的なトラブルがあるのか・・・それとも性格上の不一致なのか・・・何か法に触れない範囲で酷い事をされたのか・・・その度合いわかりませんが、文章を読む限りでは会社の上司や、親、親族などのいつも接しているような人物ではないようですね。 金銭的トラブルというよりは精神的な問題かな? その度合いを表現すると殴り殺して・・・って事ですからよっぽど心を傷つけられたのでしょう。 いつも接していない人間という事で話し進めますが、その人との繋がりはあなたの気持ち次第で切れるのですから早く忘れた方がいいですね。 気持ちを抑えられないから質問している事はわかるのですが、毎日毎日毎日憎いという気持ちが消えなければそれがストレスになり心に及ぼす影響、体に及ぼす影響が強くなり、どんどん悪い方向に進んで行きます。 じゃ~憎いと思う気持ちをどうすれば抑えられるのか・・・そればかりは状況がわからない以上、本人が考えるしかないのでしょうが、相手を考えた上で憎しみを消そうとするのではなく、他の事で傷ついた心を埋めるのが良いんじゃないですかね。 旅行に行っていろいろな人に接してみたり、趣味に打ち込んでみたり・・・でも、一番の特効薬は愛かな・・・ 愛を言葉で表現すると難しいので形で表現しますが、 ハートの形の掛けた部分が傷ついた部分だとするとそれと同じ形のピースを探して埋める事が良いんじゃないでしょうか。なかなか見つからないかもしれなけど、探す方向に気持ちが向けば憎しみも消えていくように思います。 人間は誰でも完璧な人間はいなくて、みんなどこかしら欠点を持っています。そして育った環境や、性格によりそれらを受け止める度合いは違ってきます。 度合いが大きいより小さい方が良い・・・・と思いますでしょうが、それは同じです。
お礼
自分は、今就活中で、ke-ta1971さんがおっしゃる様にとにかく何かに打ち込んだ方がいいと思い、あの厳しかった両親が心配するほど、あちこち飛び回っています。 普通の人なら爆睡するほど歩いてるし、他の事考える暇もないくらいなはずなのですが、一向に殺人欲求がおさまらず、食欲や睡眠欲も全くおきません。 大事な時期なので、周りからは軽蔑されるかも知れないけど、やはり、仰るとおり、愛しかないのかもしれません。 表面は社交的にやわらかく振舞ってはいるけど、心の中は復讐心で煮えたぎっている自分を、愛してくれる人などいるのか…とも思いますが、頑張ってみます。 どうもありがとうございました。
こんばんは 僕も同じ経験をした事があります。なので気持ちは リアルに伝わってきます。本当です。 『許さなくてもいい。その気持ちをエネルギーに 変える!』事をおすすめします。 PHPというメンタルケア雑誌に載っていたのです が、人の「向上心」や「やる気」は、劣等感と結び つきが強いそうです。なるほど、満ち足りている人は 向上しようという気持ちがおきにくいかもしれません ね。 僕もかつて殺したい奴にMという奴がいました。 今では、アバラの5,6本折ってやりたい!ぐらいに ちょっと憎しみが減りました(時間が過ぎるという 効果は驚くものです) 僕も時々奴にされた時のことを思い出す。上司に 怒られた腹いせに俺が蹴飛ばされた時、何故あの時 あの野郎をぶっ飛ばさなかったのか?軟弱な自分を 死ぬほど責めた。 でも、ぶっ飛ばさなくて良かったよ。やっていたら 恐らく刑務所行きだったろう、と思う。それがまさに あなたが発揮されている理性の素晴らしさです。 俺もMを時々思い出しますが、その都度「野郎を 越える男になってやる!」とかなりヒートアップしま すよ。でも、Mの事を思い出す以前に僕は色々と 自分の幸せの為に仕掛けている。そしてMを思い 出したら、見返す為に「仕掛け」へのやる気を 高めるようにうまくMを活用していますよ。せめて そのぐらいは役にたってもらわないとね。 でも、正直Mのことを思い出すのは相当減りました よ。それは3年以上の月日もたったし、それより 大切だったり楽しい事などが一杯あるからね。 「Mが憎い?っていうか、Mって誰よ?」って感じ になりたいです。(月9ドラマ仕立てw)
お礼
hamontukaiさま、いつも助けてくださっているのに、一向に不幸から抜け出せなくて、本当に申し訳ありません。 私の相手もMというのですが、やはり、あんなゴミの為に刑務所行きになって、両親を苦しめるのは耐えられず、何とか抑えています。 そして、そのアンチパワーは、hamontukaiさんがおっしゃるとおり、穏やかな時の自分からは考えられないような行動力を生む物凄いエネルギーでした。 もちろん感謝なんかしてないけど、自分で役立てるようにはできています。 でも、日に日に煮えたぎってくるような感じなんです。 やはり、何年も何年もたって、やっと薄れるようになるのかもしれません。 その頃には、Mの喜劇になっているかもしれません。
- sweet36
- ベストアンサー率28% (26/92)
こんばんは。 的外れだったらすみません。 私もそんな思いをしたことがあります。 今もその気持ちは(薄くはなっていますが)消えていません。 殴りつけて適う相手ではないので、なんとかして懲らしめてやりたいと思っています。 でも、やりません。質問者様と同じです。 でも、ある人に相談したところ、にっこり笑って 「許してあげなさい。受け入れてあげなさい。包んであげなさい」 と言われました。 なかなかできることではありませんが、折に触れ、そう思うようにつとめています。 気持ち自体をなくしてしまうことは多分、できません。 ところで、相手の人は何か法に触れることでもしたのでしょうか。 でしたら、社会的に抹殺する方法はあると思います。 (私は法律関係は全くわからないのですが) どんな関係でそうなったのかわかりませんが、カウンセラーに話を聞いてもらっていらっしゃいますか? そうでなければ「命の電話」や「心の電話相談」などは各地にあります。 一度電話で思い切りお話されたらいかがでしょうか。 少しでも気分が楽になられますよう、お祈りします。
お礼
法律も勉強しましたが、違法行為と見なすのは難しいようです。 カウンセリングや、いのちの電話にも大変お世話になっていますが、少しも減らすことができずにいます。 なんだか、我が儘な事を言ってしまって申し訳ありません。 気持ち自体をなくすことは、やはり難しいですよね。 自分がその気持ちを抱くことで、周りには何の危害も加えないけれど(肋骨が見えるほどになってしまって心配をかけてしまいましたが)、心の中だけは発狂しそうなほど苦しい。 相手を許すことが、結局は自分の為だと分かってはいるので、sweet36様のように、「許すようにつとめる」ということが最善にして最大限のことなのかもしれません。 夜中なのに、丁寧にアドバイスしてくださって、ありがとうございました。
お礼
今まで、何度もやって、ちっともできなかった理由が分かりました。 私の場合、ただ、(形だけ)やっていただけでした。 もって行き方を、こんなにも、分かりやすく教えてくださって、ほんとうにありがとうございます。 Syo-yaさんは、自分とものすごい年が離れているわけでもないのにものすごい高みにいらっしゃるのではないかという畏怖の念と、 自分自身が、其処へたどり着くことも十分可能なのではないか、という安堵・喜びを感じました。 あとは、やるだけですね! ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。