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愛することと相手への独占欲・束縛したい・嫉妬という感情
以前このカテで行った質問:「『愛は素晴らしいものだが、強過ぎる愛は毒になる』という考え方について(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1304780)」では、多数の方から、それは愛が強過ぎると独占欲・束縛したい・嫉妬という感情に繋がる、それが毒だというご回答を寄せて頂きました。それはそれで考え方として一理あると思います。 ところがです。筑波大学の社会心理学系の院生さんが書いているHPで、「週刊心理学ショートショート」というコラム(URL:http://www.shinrigaku.com/column/index.html)があります。なかなか分かり易く解説して下さっていますし、元ネタも主に実験社会心理学に基づく研究成果によるものなので、信頼できると思います。これの「第48回 LoveとLikeの違い...」を読んでいたら、ちょっと上のことは本当だろうかと思わずにはいられなくなり、しつこいようですが(?)再度質問させて頂いた次第です。 上記に書かれていることは著作権の関係上全てここに掲載できませんので、詳細はコラムを読んで頂くとして要点のみ書くと、恋人に対する思いを測定する「恋愛尺度」は、「相手をひとり占めしたい、助けたい」といった欲求を強く含んでいるそうです。後半の「助けたい」はいいことだと思いますが、やはり愛には前半の独占欲が付き物、というかこれなしには愛の本質は語れないんじゃないかという気もしてきました。 少し極端な例かもしれませんが、愛する人が他の異性を見ていたり、楽しげに口をきいていたり、親切にしてあげているのを目の当たりにしてもし平然としていられるのなら、上記の「恋愛尺度」は薄いのでは、という気もするのですが…。 皆さんはどう思われますか?
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なかなか面白い意見なので参加してみたいと思います。 さて恋や愛を定義なしで混乱するというschizophrenie の御意見に同意します。 この場合は男女の恋愛、つまり性愛(エロス)の事で宜しいでしょうか? どうも近年、恋愛至上主義的な考えをお持ちの方が多いのですが、果たして恋愛とはそれほど人間にとって素敵なものでしょうか? このOK WEBを眺めていても、なんと恋愛で一喜一憂される人が多いことでしょう。 明らかに一方的な片思いや、思い込みだけの方も結構見受けられます。 恋愛の始まりから、自分の気持ちを相手に理解してもらう事だけに心を砕き、他の異性と仲良くする姿に嫉妬と敵対心を露にして、何とか独占したいと画策します。 上手く付き合えても疑心暗鬼から相手を追い詰め、また勝手に幻滅したなどと別れては次の相手を探します。 なかには失恋した後、悲嘆に暮れたあげく憎悪と怒りで自分も相手も傷つける人だって少なくありません。 恋愛の負の面にばかり述べてみましたが、これは恋愛の本質が性愛であり、自然界における種の保存という闘争に他ならないからではと思います。 自然の中で次世代に己の種を残すため、生物は形の闘争を繰り広げます。 それこそが独占欲や嫉妬の本質ではないでしょうか。 運命的な出会いや、一目惚れなど恋愛は本能の衝動のまま突き動かされる要素が高いのです。 それは恋愛感情という名の通り恋愛もまた「悲しい」「楽しい」「憎い」などの感情の一つだからでしょう。 感情である以上、何年にも渡って怒り続ける事が出来ないように、いつかは理性的になりその衝動も落ち着いていきます。 それだけに理性ある人間が、本能のままに恋愛に引きずられる姿を私は嫌悪する部分もありますが…。 もう一つ恋愛という行為を通じて、男は女に、女は男に異性として承認されたいのです。 たとえ表面的な部分でもね。 http://www.so-net.ne.jp/renaikagaku/dic.pict/scdictionary_cont.html ここの24と25を読んでみてください。 人は何故に恋愛を欲するか、それは脳内物質が出まくりの興奮状態が快楽だからです。 片思いでも良いのに相手から認められた日には、承認の欲求も満たされて正にナチュラルハイですね。 よく恋愛は軽い狂気だって言われますが至言だと思います。 しかし理性的な恋愛ってのは無理なのかな?
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- schizophrenie
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私はフロイト派でもありませんし精神分析家でもありません。どちらかといえば精神分析には否定的な意見を持っています。フロイトは好きですけど。 性欲が中心と書いたのはただの私見、そう思っただけです。フロイトのような回りくどい比喩的な意味ではありません。 性欲は好意や尊敬、依存、不安などの恋愛factorの一つに過ぎないのかも知れません。しかし恋愛の収束先にはやはりsexがあり、結果として子孫を残す方向に進むのが動物として自然なあり方であると考えました。恋愛というのは動物としての生殖本能である性欲に人間の複雑な感情(好意・尊敬・依存・不安etc.)が混ざった感情であるというのが現時点で私の頭の中にある恋愛モデルです。 極めて個人的・個別的な行為だと思われている恋愛というものが、実は極めてbasicな本能である生殖本能に依存しているかも知れないというのは非常に面白いと思います。
お礼
schizophrenieさん、再びご回答ありがとうございます。schizophrenieさんのおっしゃるところの恋愛モデル、確かにその通りだと思います。人間も動物であり、動物的な側面、要素は否定できないからです。しかし人間には言語というコミュニケーション手段と、通常の動物なら発情期にしか起こせない生殖活動が年中無休にあることも事実だと思います。もっとも私には難しくてこれ以上分かりません。竹内久美子さんに伺ってみたい気がしてきました。
- schizophrenie
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恋愛の話をするときにいつも混乱を来すのはその言葉の定義が曖昧だからです。愛とは何か、恋とは何か、好意とは何か、定義が個々人によって違うからでしょう。 私は恋、愛と言う言葉の意味するところは広く、好意というものは定義が狭いと考えます。恋愛感情と言うものの中心はやはり性欲です。そこに好意、尊敬のような感情が加わり、更に見捨てられ不安や依存が入ります。これらの度合いが人により異なり、そのせいで恋愛の形に違いが出るものと考えます。 つまり一般的な好意や尊敬が大きく、依存や見捨てられ不安が弱い人は穏やかな恋愛をします。恋愛の中で依存や見捨てられ不安の占める割合が高いと嫉妬や独占欲が満載の壮絶なものになるでしょう。 「助けたい」という感情は裏を返せば、助けてあげることで自分の価値を見出すという自己愛の表現に他なりません。
お礼
なるほど、分岐点は「依存や見捨てられ不安」の強弱によると理解しました。ところで性欲を中心に持ってこられるのは、schizophrenieさんがフロイト派精神分析学に関わってらっしゃる方だからでしょうか? ご回答ありがとうございます。
お礼
この「恋愛科学辞典」、とても勉強になりました。教えて頂き、どうもありがとうございます。決め手はPEAですね。そうすると最後の1行に書かれていることはPEAが分泌されていない状態での恋愛はあるか、ということだと思いますが、どうでしょうね、難しいですね…。