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これは校則?
最近私の学校で新しい校則の様なものができました。 それは先生のことをあだ名で呼んではいけないと言う ものです。でも先生は許可も無くあだ名で私たちのことを 呼びます。 それで私は「なぜ先生は私達のことをあだ名で呼ぶのに、先生のことをあだ名で呼んではいけないのか?」と教務主任の先生に聞きました、すると先生はあだ名で呼ぶのは親しみをこめて呼んでいると言いました。 先生はよくて生徒はいけない。これは変だと思いませんか?私としては一言あだ名で呼んでいいかと声をかけてほしいですね。どう思いますか?
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まずは、あなたの言っていることは正しいということを最初に断っておきます。 私は中学の教員ですが、こういう校則を一方的に決めて生徒に従わせるということ自体が間違っていると思います。教務主任の先生のおっしゃっていることも答えにはなっていないと思います。 ただし、一つだけ頭に入れておいてほしいことは、新しく校則ができるということは、そこに必ず理由があるということです。例えば、校内で先生を呼ぶ(あるいは噂をする)時のあだ名に常識の欠けた(下品な)ものが増えている。また、特定の先生をあだ名を使って攻撃することで、勤務に支障が出てしまうなどです。(まあ、後者の場合は先生の側にも問題があるのかもしれませんが) これを明確にしないと、この校則が果たして全くナンセンスなものなのか、あるいは校則にする必要はないかもしれないが、生徒の側で何らかの反省をしなければならないものなのかの判断はつきません。 あなたの立場がよくわかりませんが、もしこの校則によって生徒が苦痛を感じているのなら、生徒会等を通してこの校則ができた原因と、今後の対処について学校(先生方)を交えて考えていく必要があると思います。 生徒の大半が常識を持って、先生に親しみを持ってあだ名で呼んでいるのならきっとこんなおかしな校則は出てこないと思いますよ。もし、一部の心ない(あるいは心の狭い)教員の個人的な理由による思いつきだとするならば、それこそ言語道断ですね。ちなみに私は生活指導担当なので、思いっきり攻撃的なあだ名をつけられていますが、まあ「怒り」半分、「苦笑い」半分といったところですか。自分では精一杯生徒のことを考えているつもりですが、これも現実です。
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- miamix
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こんにちは。 わたしは大学を卒業するまで日本の学校に通い、その後アメリカの大学に行きました。 はなしには聞いていたけど、最初はどうしても先生のことを「なまえ」でよべず ミスターなんとか、ドクターなんとか(どちらも敬称です)と呼んでました。 でもその先生たちから「どうして名前(ファーストネームです)を呼んでくれないんだ」 って何度も言われて、おそるおそる名前で呼び始めたんですけど、まぁ外国人 ということもあって、ずいぶんお世話になるうち、やはり親しみも尊敬もうまれて きました。 慣れればどってことないですが、やはりお国柄なんですね。 日本とは、文化からしてちがうわけですから、あっちがいいとかこっちがいいとか 簡単にはいえませんが、それでもあいからわず(わたしの学生時代から) 学校というところは閉鎖的で封建的なんだなぁって思いました。 だって、日本だと、男の先生からはまず名字呼び捨てだったし、自分の好きな先生 から呼ばれるならともかく・・ ただ、昔を思い返すと、(親しみをこめて)あだ名で呼びたくなるような先生って それなりに「わかる」ひとたちだったから、あのときそんな校則があったとしても 「それなりに」やっていたんじゃないかなぁと思います。 逆にあだなでもつけなけりゃやってられない! ってタイプの先生とは、まず 話す機会が絶対的に少なかったので、やはりあんまり関係ないかな? 脱線してしまいました。 ごめんなさい。
お礼
アメリカと日本はやはり違うんですね。ありがとうございました
教務主任の返答に笑いました。 「先生はあだ名で呼ぶのは親しみをこめて呼んでいる…(が生徒は嘲りをこめて呼ぶから)」(←カッコのなかがたぶん本音ですよ。)ここに先生という職種の脆さ愚かさがはっきりと見て取れますね。先生の言葉に胡散臭さを感じたあなたは、すくなくともこの教務主任よりは賢いと思います。でも、こういったことを要求する人が、前もって許可を求めてくるなんてことを考えるのは全くの無駄でしょう。
お礼
ありがとうございました
- oo1
- ベストアンサー率26% (100/378)
質問者の世代は、子供から大人に変化しつつある訳です。質問者のように自らの人格権に目覚める生徒もいれば、教職員の(精神的)保護を必要とする生徒もいるわけです。教師はその様な変化を温かく見守り、また手助けしなくてはならない。学校はその様な場でもある。 従って、かかる質問は教育の成果でもあるわけで、教師は当然それに敬意を払うべきでしょう。即ち、「一言あだ名で呼んでいいかと声をかけ」るべきですね。質問者は、新しい規則に従い、教師をあだ名で呼ばないのですから…。 「子どもの権利条約」って知っていますか? 日本も1994年に賛成した国際的な決まりごとです。学校の先生は、当然守らなければならない。次に揚げる中学二年生の女の子達が翻訳したものはとても分りやすい。図書室で読んでみて下さい。 『子どもによる子どものための「子どもの権利条約」』小口尚子・福岡鮎美、小学館
お礼
ありがとうございました。 子供の権利条約ですが家にあります。 小5の時親が買ってきました。
- nora1310
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中学校というのは、結構精神的にも不安定な時期の人が多いと、言われていますよね? 私は今高校生なのですが、私が中学のときも、周りは結構荒れていました。 教務の先生の言い分、「親しみをこめて」というのは、多分、その不安定な生徒たちを理解しようとする姿勢なのではないかと思います。 でも、それならば、生徒、教師間の隔たりをなくす事、つまり、片方・生徒側のみに制約をかけるのはおかしいと思います。 これによってまた、教師に対する不信感が募り、事態は良い方向へは進まなくなるでしょう。 確かに時と場合によっては、先生・生徒の立場関係を最優先することが必要になりますが、やはり校則で縛るのはどうかと思います。 おかしい事は明白だと思います。
お礼
ありがとうございました
- ema_0222
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校則っていまだに変なものができているんですね。 確かに変だと思います。先生方に「自分たちの方が偉い」と思っている人がいるか、「自分だけあだ名が無い」とひがんでいる人がいるのかもしれません。 まぁ発想は、前者でしょうね。「目下のものにあだ名で呼ばれるのはおかしい」つまり、あだ名で呼ぶ=対等の立場になる と思っているのでしょう。その発想自体がおかしいんですが気づかないんですよ。 矛盾した校則ができるということは、その校則を考える人と、生徒(marorin1さん)との考え方に大きな違いがあるということですね。永遠に平行線をたどるでしょう。逆にひょっとしたら「当然そうだな」と思っている生徒がいるかもしれません。 でも、おそらく校則の発案者と一部の先生を除く、良識在る(現代風の)先生は、別にあだ名で呼んでも怒らないと思いますよ。かえって喜ぶかも。 私が通った学校には、私服で登校してもいいがジーパンはだめ というのがありませた。水泳パンツ姿で授業を受けても怒られないのに、ジーパンはダメなんて変じゃないですか?
お礼
ありがとうございます
- taropoo
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変だと思います。 が、それよりも私はmarorin1さんの 「私としては一言あだ名で呼んでいいかと声をかけてほしいですね。」 という一文に心の広さを感じました。 恐らく生徒会に働きかけても校則は変わらないでしょう。 が、変わらない中でお互い気持ち良く付き合って行く方法を分かってらっしゃるmarorin1は かなり精神的に成長された方なんじゃないでしょうか。素晴らしいと思います。 今後世の中でおかしいと感じられる事に遭遇される事も少なくないと思いますが あなたならきっと活路を見出していけると思います。
- mayuho123
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やっぱり生徒と先生では先生のほうが目上だからでしょうね。でもなんだか納得いかない気持ちわかります。先生は生徒からあだ名で呼ばれてうれしくないのかなあ。こっちだって親しみをこめているのに・・。私の学校では仲のいい先生にだけあだ名で呼びます。冗談の通じない先生をあだ名で呼ぶと怒られるので(=*=)それにしても面白い校則(?)ですね。うふふ。
お礼
学校の先生が書いてくれてても嬉しかったです。 まことにamochiさんの言うとうりなのですが、私の学校の 生徒会はそういうことを話し合う事がありません。生徒会は文化祭などを先生の思い描いたとうりにすすめて、あくまで生徒が主体となってやりましたと言う事になるんですよね。 それに私が思うに先生に下品なあだ名がつくのは、それなりの結果なんだと思います。生徒から先生はそのあだ名のように見えるのです。結局は信頼関係の問題なのでしょう。一度生徒と先生で深く話あうべきですね。