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永遠の恋・・信じますか?
出会った頃はこの人とずーっと一緒にいたいと思っていたはずなのに、いつからか気持ちは冷めてイヤなところばり目について別れてしまう。また出会った人と「今度こそ運命の人に巡り会えた」と思ってもまた同じ事の繰り返し・・だから今は好きでもまただめになってしまうんじやないかと思ってしまいます。一生一人の人を想い続けることは可能なのでしょうか。中には熟年でも手を繋いで仲のいいご夫婦を見かけますが、どうしたら永遠に恋人のような関係で同じ気持ちを持ち続けられるのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
永遠の恋というのは今すぐに決めることではなく、二人で作っていくものだと思います。お互いの嫌な部分も認め合い、二人で改善していくことが重要ではないでしょうか。その関係を続けていって、最終的にどちらかの死を感謝の気持ちで見とれることが素晴らしいことだと思います。二人で永遠の恋を作っていく努力をしないとありえませんね。出会った人を運命の人だと思うより、一緒に運命の人だったと思えるように努力していくほうが大切なことだと思います。 あくまでも自分の哲学です。
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- oinieaga
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永遠の恋は、信じることはできても、ありえないと思います。 しかし、永遠の愛なら、存在すると思います。 >イヤなところばり目について別れてしまう 恋なら、正にそうである。 相手に自分の期待を押し付けてしまう。 愛なら、イヤなところには、受け入れられるのです。 爺や婆、下半身不随。ビンボー。失踪。浮気。 全部受け入れられたら、永遠の愛と言えるかもしれない。 相手に、求めているものが多いければ多いいほど、 いつか終わる可能性大です。
お礼
恋と愛・・って全く違うものなんですよね。つきあいはじめは恋でそれからだんだん愛に変わっていく。 子供への愛情なんて正に永遠の愛であり、無償の愛ですよね。すべてを受け入れられる愛をもっていきたいです。
- Mirac830
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こんにちは。 永遠の恋が存在するかどうか、一つの恋を永遠のものにするかどうかは あなたとパートナー次第だと思います。 質問者さんが運命と感じるのに、それは長続きしないということ、 まず、「これは運命の恋だから」と言って受動的になってしまうことで 自分から行動を起こすことを止めてしまっていませんか? まだまだお互い相手の見えていない部分を見つける段階にも関わらず 「運命だから」とそれを止めてしまうことにより、 お互いの関係に進歩も発展もなくなってしまう。 それどころか欠点すら見えてしまって、あっさり心も醒めてしまう。 質問者さんがそうではないなら、パートナーがそうなのでしょう。 誰もが「この人だ」という人との出会いを経験しているはずです。 でも「運命」という言葉を過信し過ぎてしまう時点でそうではなくなってしまう。 能動的に行動することを止めてしまえば、自分と相手の間に築かれたものは それ以上良い方向に進まない。 間違った方に行ってしまったり、壊れてしまったりさえする。 むしろ「運命」と言う言葉が重荷になってしまうこともあります。 大きすぎるから、重すぎるから、運命に依存してしまう。 運命に任せきりになってしまって、何もしなくなってしまう。 「運命は自分で切り開くものだ」なんてよくいいますが、 あながちはずれていないと思います。 >一生一人の人を想い続けることは可能なのでしょうか。 「可能」との断言は避けますが、不可能ではないと私は思います。 今のパートナーが「運命の相手」かどうかは別として 自分が出来る限り愛することで、それが見えてくるのではないでしょうか。 運命の相手なら、能動的に愛さなくても 関係が壊れないという保証があるわけではない。 運命の相手だからこそ自分から愛し、 相手から愛されることを楽しまなきゃ損だと思いますよ。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私も一生一人の人を想い続ける純愛を可能にしてみたいと願っています。たっぷり愛し愛されることを楽しんでいきたいと思います。
- usap
- ベストアンサー率33% (525/1577)
なんていうか、結果論だと思うんですよね、恋愛って。別れようと思ってつきあうことなんかないし、付き合い始めは「永遠に」と思うときもあるし。それでも別れてしまえば、結局は別れた、となる。 その瞬間瞬間の気持ちは、紛れもなく事実で、嘘じゃないと思うんですよ。熟年夫婦でも「もうこの人と別れようかな」と思ったことがない人なんか、いないと思います。いろんなことを乗り越えて、それでも別れずにずっと続けていて、結果的にそうなっているんじゃないかなと思います。他の人のことが気になったり、浮気のようなことがあったとしても、別れずに乗り越えていけたら、永遠になると思う。 だから、別れたらそれは本物の恋じゃなかったとか、永遠でなければ本物の恋じゃないとか、そういうんじゃないと思うし、永遠の恋にするかどうかは、自分次第でもあると思うんですよね。もちろん、相手次第でもありますよね。いくらこちらがずっと一緒にいたいと思っていても、相手からふられてしまえば、それまでだし、相手に思われなくてもずっと思い続けることが、お互いのしあわせかと言われたら、それも違うと思う。もしも私が誰かをふったとしたら、身勝手かもしれないけれど、私のことは早く忘れて、いい人を見つけて幸せになって欲しいと願うし。 どんなときもあきらめず、投げ出さず、ずっと続けられるかどうか。恋愛に限らず、そういうことってあると思います。時には、潔くあきらめることのほうが大事なこともあると思う。永遠よりも。だって、人生は誰にとっても永遠ではないから。 同じ気持ちを持ち続けるのは無理だと思います。人は飽きますから。同じ気持ちを持ち続けることが良いことだとも、私は思いません。成長って、ある意味では変化だと思うし。 いろんなときに、いろんな気持ちを感じていられないと、続かないと思う。同じところにずーっと止まっていることが良いことだとは思わないじゃない?いやなことがあって、それを乗り越えてもっと好きになったり、またいやなことがあったり。そういう波を乗り越えてくことのほうが大事だと私は思う。 質問の内容と違う回答になってしまったかもしれませんが参考までに。
お礼
アドバイスありがとうございます。 >どんなときもあきらめず、投げ出さず、ずっと続けられるかどうか 私はいつも新鮮な気持ちやトキメキが続くことを願ってたのかもしれません。相手を大切に想うことはどんな時もなにがあっても投げ出さないことなのかもしれませんね。
哲学や文学的には、どうなのかわかりませんが、生理学的には永遠の恋人というのは成立しません。 恋しているというのは、顔立ちなり、自分が好む相手の形質を信号として、脳内の快楽物質がドバッと出ている状態のことです。相手の姿や仕草などを見るだけ、思うだけでドキドキしたりときめいたりしてしまうというような状態ですね。しかし、相手を良く知り、慣れてくるに従い、受ける刺激が弱まり快楽物質の出が悪くなっていきます。そうして恋が冷めていくわけです。 反面、落ち着いた夫婦愛のような愛情を感じるというのは、相手の存在や振る舞いを刺激に脳内に安息をもたらすような物質が分泌されている状態です。ドキドキはしないけど、なんかホッとするとか安心できるというような感じですね。自分のことを大切にしてくれたりする人に感じやすいもので、肉親の情愛に近いかもしれないです。こちらは恋に比べればよほど長持ちします。 両者は全く別個の物でして、恋から単純に愛情に移行するというものではありません。だから関係を長持ちさせたいのであれば、はじめから後者を感じられるような人間を探す方が賢明です。でも恋は本能、愛情は理性に基づくだけに、本能の誘惑に勝つのは並大抵ではありませんね。
お礼
>恋は本能、愛情は理性 なるほど、なるほど・・鋭い分析力ですね。だから結婚して安心できる愛情の中でふと本能に走ってしまう人がいるわけですね。信頼関係と愛情があっても現実は不変的とは言えないんですかね。でも永遠に続く純愛・・信じたいです。
- porian
- ベストアンサー率18% (57/306)
その人しか見えないほど、好きになって、冷める。また好きになって、別れる。その繰り返し、自然だと思います。 運命って、「梅雨入り・梅雨明け」のようなもの。長い人生を生きてきたあと、振り返っていいことであれ、悪いことであれ、「あれは運命だったんだ」と決めるものです。最初から「運命だ」と解るものじゃありません。 でも、「これは唯一の愛、この人しかいない」と自分で思ってしまうのが恋愛ではあります。だからこそ「恋は盲目」といいます。 終わってもいい、短くてもいい、盲目の恋、愚かな恋を思いっきり繰り返すうちに、賢くなり、いい恋ができるようになります。 熟年になっても仲良し夫婦。熟年になったから仲良しに鳴れたんです。好きや嫌いだけでは超えられないいろんな事を知恵や勇気で乗り越えたてきたからです。 それに、年を取るともう、激しく心が揺れ動く恋に疲れるようになるのです。体力・気力のあるうちに何度でも恋をしておきましょう。
お礼
いろんな考え方があってそれぞれ納得できます。若いうちに燃え上がるような恋をしてそれが年とともに落ち着いた関係になり相手を死ぬまで愛し続ける・・理想です。
- pekchi
- ベストアンサー率37% (6/16)
私も最近質問者さんと同じようなことを考えています。理由は最近とっても好きでそしてお互いに好きあってた彼氏にフラれてしまったからです。「永遠の恋って…私の人生には関係ないのかもしれないなぁ」と思ってしまいます…。次付き合っても「この人とはどんな風に別れるのかしら」と思いながら付き合ってしまうかもしれません。 そこで私は考えてみました。付き合ってしまうとどうも自分はワガママになってしまうし、どうも付き合ってお互い思いやりの心をなくしてしまう。だからお互いを思いやってその心を忘れずにいられる関係の人と出会えれば、いいのではないかなぁと思います。それでもお互い無理せず背伸びせず、付き合える人と出会い愛し合えればいいのではないかなぁと思います
お礼
pekchiさんの気持ちよく分かります。私もとってもわがままですから。相手のことが好きなのにどうしてこんなイヤなこと言ってしまうんだろうとか、どうして可愛くなれないんだろうって思うことがしょっちゅうです。それは相手を思いやる気持ちより自分の欲求を強くぶつけてしまうからなんでしょうね。でも背伸びせずありのままの自分をなんでも言い合える仲ならうまくいくのかもしれませんね。
- mapler2005
- ベストアンサー率28% (11/39)
恋愛は熱病のようなもの。 タイプじゃないとか、価値観がぜんぜん合わない人なのに、なぜか好きになってしまったことはないですか?シチュエーションとか、運命っぽい出会いとか、いろんな要素で人は人を好きになってしまうものです。そして、熱がさめたとき、恋も終わってしまうんじゃないでしょうか。 自分の価値観としっかりあう人、一生歩んでゆけそうな人と出会えば、きっと長続きしますよ。 でも、どんなに好みのタイプのパートナーでも、これまで全く違う環境で育ち、違う人生を歩んできたもの。かならず、あわないことがでてきます。そんなときは「あわない、ダメ」ってなるんじゃなくて、お互い話し合って、理解していきましょう。 熟年になっても手をつないでいる夫婦は、ずっとラブラブだったのではなく(そんな人も中にはいるかもしれませんが)、たぶん、けんかして、けんかして、けんかして、けんかのたびにお互いの価値観をすりあわせて、理解しあって、そしてどんどん仲良くなっていったのだと思いますよ。
お礼
なるほど・・そうですよね。違う環境で育ってきてすべてが合うわけはない。けんかもして、ぶつかっても相手への気持ちをぶつけて歩み寄り、そこからまた相手の大切さがみえてくるのかもしれませんね。ありがとうございました。
- tonoji
- ベストアンサー率16% (2/12)
ありえます。 というか、僕はそうですから。 今42歳で、小学校の時に始めてあった女性をずっと思いつづけています。 多分、自分が死ぬ瞬間までこのままだと確信しています。 なにがあっても、まずは相手を一番に考え、相手のために と思えるのなら、続くのではないでしょうか? もっとも、逆にそれだけ相手を大好きだから、そういう風に相手を思いやれるのかもしれませんが
お礼
純愛ですね。30年以上も一人の人を想い続けるなんて素晴らしいですね。私には経験ないですがそんな恋って素敵だと想います。
- yukitty_love
- ベストアンサー率16% (1/6)
恋愛って、最初はラブラブで興奮状態ですよね。それが落ち着いたときに、冷めたって思っちゃうんですよね、きっと。 ずーっと興奮状態でいられるわけじゃないから、その後、落ち着いたときに、人って必ず欠点はあるものだから、相手の欠点も含めて大事にしていけるか・・・ってことが大事なんじゃないかなって思います。 私も付き合っては冷め、別れて、他の人を好きになって・・・の繰り返しでしたが、上記のことを最近感じるようになって、今の恋は、すごく大切にしていきたいって思ってます。 運命の恋、できると思いますよ。
お礼
そうですよね。落ち着いた関係になったとき、つまり夫婦なんて興奮状態やドキドキ感がなく一生淡々と続いていくものだから、相手のイヤなところばかり目について相手を思いやる気持ちが薄れてしまうんでしょうね。落ち着いた関係になった時こそ相手のことを大切と思えたら永遠の恋が実現できるのかもしれませんね。ありがとうございました。
- gontagoo
- ベストアンサー率27% (20/74)
私は人を一途にずっと愛することが出来ますね☆ というのも今まで付き合った人と別れてきて 思うことは合わないということ… 付き合った頃はいつかは絶対に合ってきて長続きして 結婚するんだなと思ったりしていましたが、やはり現実 は違いました。でも本当に一途に好きでした。 今の彼とは結婚をすると話があります。 彼は今まで一途に人を愛することが出来なかったようです。 しかし、今こうやって何年も私と付き合って一途で いれるは信頼できるから といっていました。 ちなみに彼の理想の女性とは正反対ですよ(×ロ×;) でも本当に必要で大切なら一生一人を愛することは 可能だと思います。 理想にとらわれすぎると長続きはしないと思います↓
お礼
アドバイスありがとうございます。理想を追い求めたらきりないですからね。相手を大切に想い続ける気持ちが純愛で永遠に続くのかもしれませんね。
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お礼
>最終的にどちらかの死を感謝の気持ちで見とれること ホント素晴らしいですね。私は壊れることや失うことが怖くて永遠の恋を作っていく努力が足りなかったような気がします。死ぬ前にこの人と人生を共にできてよかったと思えることが永遠の気持ちであり、運命の人なのでしょうね。 ありがとうございます。