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歩いて多摩川を渡る場所
最近大地震が起きた時にどうやって家に帰るか? という企画の話題を耳にしました。 実際私は、世田谷の成城辺りに職場があり、自宅は藤沢の江ノ島の付近です。普通通勤には小田急線や車を使う事もあり、ルートについては大体判るのですが、果たして多摩川を渡河するにはどうすればいいのか悩んでしまいます。登戸辺りにボート屋さんがありますが、非常時の運営法について何か、自治体と取り決めがあるのでしょうか?多摩川辺りにお住まいの方で、何かそんな時のための話は「こうだ!!」とご存じの方はいらっしゃらないでしょうか?
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#2です。先日の震度5を経験して、ご質問が真実味を増してきましたね。締めきらずにおいででしたので又、書かせていただきました。 明らかに首都圏地震に対する備えが真剣に検討されていないことが、今回わかりましたね。日本人は想定対策の詰めが甘いといいますか、にがてなのでしょうかね。 今回私が気になったのは、「徒歩で帰宅する」といっても、東京中心部では一定方向に人の流れが決まるわけではなく、居住地が近県に広がっている現状から、都心では、四方八方に流れるだろうということでした。 主要道を行く人の流れが対面した場合を想像するとゾッとしませんか?限られた道幅でしかも障害物やら場合によっては火災も発生する中、果たして東京を脱出できるでしょうか。質問者さんのように職場⇒自宅経路が中心部を横切ることの無い場合はまだ、安心ですね。 今回、震度5弱を体験して考えた結論は、私の場合、幾つかの日常パターンのいずれでも、自宅を目指さず、当面は近くの大きな公園に行くのが良いかと。救援物資を受取るにしてもマンションの高層階では徒歩での行き来は現実的ではないでしょうから。自分の良く行く場所近くの、公園、若しくは学校の所在地を確認しようと思います。 何か、情報、考察などお持ちでしたら、ご教示いただければ助かります。
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- cuba2004
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#2ですが追記させてください。 水深についての記憶なんですが、かなり浅く、ひざ上まではいかなかったように思います。当時も今もあまり身長は変わっていないのですが、155センチ位だったかな?大人であれば渡れるように思えます。初体験は小学生でしたから。 携行品として杖が役立つと思います。深そうな場所では杖で確かめ、水深を測れますし、底に差すことで流されそうになっても幾らか抵抗できるのでは? 多摩川の決壊、ありましたね。でも、あれは二子橋よりずっと上流でした。藤沢までの最適ルートはどんなコースか判りませんが、多摩川を渡るポイントは登戸よりも二子橋下のほうが良いかもしれませんね。
お礼
どうも再び有益な情報ありがとうございます なるほど杖を携行するのはよい考えですね、ガンダルフのような杖を捜して出かけよう・・・。 仰るとおり帰るルートは、二子玉をわたって246沿いに南下する方が 楽な気もするのですが、実家が生田辺りにあるので、たぶん両親の被害状況なども確認しつつ戻る旅になりそうです。 小田急線の架橋の下手にある水門の先に 結構中州が広がっているみたいです。 トライアル用のバイクなんかあると結構便利なんだろうな ぁ。なんてもう泣き言を言ってしまってちゃいけませんね。
補足
長い間さらして申し訳ないとは思うのですが、 春までの水量の少ない時期に渡河できそうなところは結構めどが付いた気がします。 登戸の橋の下流の堰の下辺りと 第三京浜の出口の橋あたりがもっともすくなさそう。 さてそろそろ雨期になり水量も増えていくのでしょうね 同じポイントでどうなるのかが・・・・ 以前颱風の折りは何処も彼処も凄いことになっておりましたが・・・・
- cuba2004
- ベストアンサー率33% (40/120)
古い情報であまり自信はないのですが・・。 私、歩いて多摩川を2回渡ったことがあります。因みに親はこの事、知りません。 ジャブジャブ歩いたポイントは二子橋下付近です。そう、高島屋があって田園都市線(大井町線)高架下あたりです。2回ともに東京側から神奈川に向かってでしたね。友人と一緒でしたから、もし、これを読んで自分の事かと、思い出してくださるとうれしいですね。 でも、ずいぶん昔なんです。1961年頃と1968年頃のこと。怖い思いは全くなく、なんか、平気でしたね。今はそのころと比べて水量は減っているように思うのですが、見かけだけでは判らないかと。 2回とも楽しかったんですが、初めての時は後で足の親指のつめにばい菌が入ってヒョウソになり、つめをとられました。そりゃぁ、痛かった! 非常時にはボートはきっと奪い合いになるのでは? 子供のころ、品川区に住んでいたのですが、そういえば、やはり二子橋下なのですが、親に連れられて泳ぎに来ました。水は勿論、もう、かなり汚かったですよ。当時、地元の方達はもう、泳がなかったそうです。(実は後年、二子橋近くに転居し、友人から聞きました。)まだ泳げなかったので浮き輪を使いましたが、足がちゃんと底に着いていましたっけ。 たぶん・・・、ですが、歩いて渡れる!という気がしません?
お礼
どうも早速の書き込みありがとうございます。 お返事書くのが遅くなって申し訳ありません、 何回か書いたんですが、幾度と無く サーバーが見つからないと訳の判らぬ、エラーで アップできませんでした。 凄いですね渡河されたんですか・・・ (゜ペ;)ウーンヒョウソって凄いな・・痛そう・・・ 二子玉当たりは確かに水位が昔より減っているんではないでしょうかね、 途中に水門なんかが出来ましたからね。 多摩川って結構水門で、水位を調整していますよね、ただ大震災なんかが雨期にあったら結構怖くなる気がします。 多摩川の土手の決壊って私の高校時代に河川敷のそばの建て売り住宅が何軒か流されたのを覚えてます・・・確かその時の地学の先生のうちも流されたような? 乾期なら確かに歩いて渡れそうですね。川を渡って30K位は歩かないといけないんで、 なるべく着衣や靴は濡らしたくはないですね。そんな意味でもcuba2004さんの体験は貴重です、やはり靴は脱がずに、渡ってから良く乾かした後 歩く 位が良さそうですね。 ペース配分の目安になりました。 どうもありがとうございました。また何か判りそうだったら教えて下さい。
- h-komi
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和泉多摩川-登戸間の多摩川水道橋が崩落する前提には??? 新しい橋ですし、基幹導水管というライフラインを担っていて、耐震設計もバッチリなのですが。 狛江側にボートハウスはありませんし。
お礼
どうも早速の書き込みありがとうございます。 お返事書くのが遅くなって申し訳ありません、 何回か書いたんですが、幾度と無く サーバーが見つからないと訳の判らぬ、エラーで アップできませんでした。 さて 多摩川の橋なんですが、確かに神戸の大震災以降に架け替えた橋ですね。 中に水道の本管を抱えた水道橋だそうで、 してみると国土交通省と水道局の管理なんですかね。 地震直後は渡れそうですが、保守管理のために通行が制限されそうな予感 それ以前に小田急線の高架だとか、結構スリルがありそうですね。 そういえば小田急の車窓から、狛江側の土手のにもボートは置いてあるのが見えますよ。今度一遍あの辺のボートにでも乗ってみるかなぁ。 どうもありがとうございました。また何か判りそうだったら教えて下さい。
お礼
いつまでも晒して申し訳ありません。 RESが遅くなって申し訳ありませんでした。 最近富士スピードウェイ近辺に出張で、パソコンを開く環境にありませんでした。ですから肝心の雨期の多摩川の水位については相変わらず?ですが、お奨めだった二子辺りから第三京浜の橋の下辺りまでは比較的水位が低めのような気がしました。 先日の地震の折には、 何人かがやはり揺れを感じていたようですが、鉄道機関のダイヤグラムが相当影響を受けたようですね。 幸い歩いて川を渡るところまではいかなかったようでなによりでした。足立区などで5強までいったそうですが、地震多発地域でしかも戦争による消失など、比較的新しい建造物が多い都心部だけに、構造物まで破損したケースは少なかったようですね。 こうなってくると、どの程度の被害で避難しなければいけないのか?の判断はどうも難しそうです。 特に火災などの二次災害の情報については、あの日富士のすそ野の遠隔地にいた私にはラジオによる情報しか手に入らず、ある意味不安に駆られることになっています。 後でTVなどで見る限り駅の緊急情報などが手書きの張り紙程度という情けなさ。何のための電光掲示板、アルタ前の大画面とか何かそういった物で、緊急情報を統括して公開するような手段などは執れない物でしょうか? またあの日緊急非常招集を受けた徒歩による出勤が可能地域にある社宅に住む職員が、非常呼集に応じなかったなど、まだまだ他にも問題はあるようです。 良い予行演習になったと思うので、機能しなかった部分をもっと声を大にして変更させていかないと・・・
補足
先日も、東北地方の地震であるにもかかわらず、 東日本のかなりの広範囲にわたり、交通機関への被害が出ましたね。 しかも帰省のUターンラッシュという皮肉な時期に・・ どうやって家に帰るか?というテーマに真っ向から迫ってきました。 多分今の時点での結論は、示唆していただいた、場所をシミュレートしつつ、考えていこうと思います。 今の時点では200cc位のトライアルバイクの中古でも手に入れて 会社に置いておこうかなぁと思っています。 どうも皆さんありがとうございました。